第118話・FIRE⑤

 ベッスンの手紙は挨拶ではなく、読み終わったら燃やしてくれ、からはじまっていた。内容の秘匿性を、その一文が現していた。また、その中身を確認しながら渡してくれたCTSに、蓮城は感謝した。

 食い入るように手紙を読み、それを脇から仁科が覗く。

 手紙の話は、シャグノン肝いりの特別二等車からはじまっていた。

「スロ60の話が、アメリカに伝わっていたとは」

「あの座席は、シャグノンが仲介していたからな」


 それまで日本にはリクライニングシートがなく、GHQの要求に応えるにはリクライニングシートをイチから作るか、アメリカから技術を買い取るしかなかった。時間的制約から、後者を選択せざるを得ない。その間を取り持ったのが、陸海交通を統べるCTSのシャグノンだった。

 決して安くはなかったが、任意の角度で傾斜する背もたれは大好評で受け入られた。導入直後の朝鮮特需で、日本人の利用があったのも大きい。GHQによる占領も悪くない、と思う職員もいたほどだ。


「あれだけの値段ならば、評判にならなかったら嘘ですよ」

 アメリカの特許料が高かったから。蓮城は、そう言いかけて息を呑んだ。目を剥いて、声も出せずにいる蓮城を見て、仁科はいぶかしげに手紙を読む。緊張を形にした字を目で追って、仁科は呆然として天井を仰いだ。

「私たちは、騙されていたんですか」

 衝撃のあまり躊躇っていた言葉が、仁科の口から呟かれた。それでようやく蓮城も、ひと言だけ吐き出せた。

「……そのようだ」


 手紙には、リクライニングシートの特許は切れている、と書いてあった。国鉄は、支払わなくていい金をCTSに、シャグノンに支払っていた。

 蓮城はハッとして、穴が空くほど手紙を見つめた。

 マッカーサーだ! 司令官解任が報道された日の夜。ここへの出頭を命ぜられ、オクタゴニアンの礼を告げられた。今の日本がどう映るかを尋ねられ、特急つばめだと答えた。

 特別二等車、リクライニングシート話に至ると、マッカーサーの顔色が変わった。CTSが要請し、協力したと話した途端だ。それは誰だ、シャグノンは特許と言ったのか、購入にまつわる書類を早急に提出しろと迫った。


 マッカーサーは本国に帰るなり、リクライニングシートの特許や、それにまつわる金の流れを調べたのだ。ベッスンはMRSに在籍していた経験を買われて、調査に協力したに違いない。

 手紙の続きが、推測を確信に変えさせた。

「私腹を肥やしたわけではない、任務のために金が必要だった、とある」

「その任務とは、なんですか」

 ひと文字ひと文字を漏らさぬように、急いで文章を目で追った。だが、CTSとは別の任務に触れた部分は、どこにもない。調べきれなかったのか、と思ったその瞬間。蓮城は手紙から視線を外して、窓の外にどこということなく目をやった。


 まさか、諜報活動か……?

 下山総裁の死の真相を突き止めるため、新聞記者に連絡をとって落ち合う直前。石斑魚うぐいのように粗野で派手派手しい男に、すれ違いざまに忠告された。端的だったが、これまでの、これからの話を知っているような素振りだった。

 陰謀論だと自分自身を諌めたが、狩勝峠も裁判中の松川も三鷹も、終わってしまった下山総裁轢断も彼らによる、彼らを操った組織によるのか、と蓮城は疑わずにはいられなかった。

 なんであろうと、言えない金の流れがあったのは確かだ。この文章は、明らかにそれを避けている。


「軍隊には機密が多い。かつての日本も、アメリカも同じだ。機密が漏れた隙間は、敵に突かれて広げられ、瓦解する原因となる」

 しかしそれは、あらぬ疑いを呼んでしまう。が、星の数ほどの疑義よりも、隠したい真実が軍隊にはある。世間の噂話など好き勝手にすればいい、真相が明るみになるよりは、痛くもかゆくもないのだ。

「軍人がいるところは、戦場だ。シャグノンの戦場は鉄道だった。マッカーサーとベッスンは、軍内部を戦場に選んだ。きっと、そういうことだろう」

 それから手紙は蓮城らへの感謝が綴られ、最後は今後の行く末で締めくくられた。


 理想を求めて戦争を放棄した日本だが、まだ世界は戦乱の中にある。海を隔てた隣国同士は戦闘状態にないだけで、戦争が終わる見込みがない。火種は世界中でくすぶっており、いつ破裂してもおかしくない状況だ。

 世界のどこであろうとも、軍人として戦地に赴かなければならない。懐かしい日本を、日本の鉄道をこの目で見たいが、叶うかどうかは命令次第だ。

 だから日本の土を二度と踏まなくても、悪く思わないでいて欲しい。赴任された半年が忘れられない時間になったのは、私にとって紛れもない真実だ。


 手紙の筆致は、柔らかくなっていた。ベッスンが心でしたためたのだと伝わってくる。

「いつかまた、日本に赴任されるといいのですが」

「何を言うか。任務と言わず、遊びに来てくれればいい。ベッスンの案内は、また私が務めよう」

 蓮城はベッスンをどこへ連れて行こうかと、四季折々の風景を巡らせた。そうするうちに、いつしか蓮城は夢想の中でベッスンと旅をしていた。

 ベッスンも、同じことを思い描いていた。日本を訪れたときは、また蓮城を頼りにする。そのときは美しい日本を見せてほしい、と。その一文で、手紙は結ばれていた。


 蓮城はその約束を胸に刻み、畳んだ手紙を灰皿に置いて、火をつけた。海を隔てたひとつの願いは、窓から差し込む黄昏に溶けていった。

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