第115話・FIRE②
桜木町での電車火災事故は、九十二名もの負傷者と、百六名もの死者を出した。一時的に遺体を安置した東横浜駅のプラットホームは、黒焦げになった遺体が並んだ。帰ってこない家族を
悲しみに暮れる家族に謝罪をし、補償をするので氏名と連絡先を教えてほしいと、蓮城が申し出る。凍てつくほどの怒りに燃える視線に、寒々しいほど身を焦がされる。
それが、百を超えている。感情が麻痺して、人間ではなくなってしまいそうだ。人のままであれ、と自分自身に言い聞かせると、呼吸さえままならないほどに胸を締めつけられてしまう。
結局、人を捨てるしかない。人間ではない、悪魔に魂を売らない、天使などはもってのほかだ。
私は国鉄、日本国有鉄道だ。遺された家族が浴びせる怒りは、国鉄に向けられている。自分自身を、国鉄という人ならざるものにするしかない。
それが正気を保つコツ、と渉外に配属された職員に伝えてきたが、いざ矢面に立って罵声を浴びて、掴みかかられ溢れる涙を目にすれば、胸から髄まで掻きむしられる。
人は、人間を捨てられない。
肩透かしを食らったのは、アメリカ兵三名の遺体だった。GHQが早々に引き取って、国鉄渉外部にこう告げた。
「これだけの被害が出たのだから、慰霊碑を建てるつもりだろうが、そこに彼らの名前を刻むな。兵士が戦場ではなく、電車で焼け死んだとあれば、名誉に傷がつく」
以降、補償の手続きを淡々と進める様子である。遺族ではなく上官で、名誉を尊ぶ軍が相手だから、そうなるのか。たとえ餓死でも、軍人に祀り上げるかのように。
捨てられない人心を捨てるのは、蓮城ひとりだけではない。鉄道事故において、戦後最大の被害者数だ。渉外部が総力を挙げて、事故の対応に当たっている。
貨物担当の仁科も、そのひとりだった。
負傷者名簿に目を通していると、ひとつの名前に目が止まった。
軽い火傷で自宅療養中の、平木。大井工場にいた職員だ。人員整理を機に退職したと、風の噂で聞いていた。同姓同名もあり得るが、あの平木なら……会うべきだ、と仁科の直感が囁いた。
事故にまつわる資料をまとめ、国鉄本社をあとにする。東京駅から列車に乗って、平木の家の最寄り駅へと向かっていった。
住所を頼りに、平木の住まいを探す。商店二階のひとり暮らしには手頃な立地と広さの一室が、彼の部屋だった。
呼吸を整え、薄っぺらな扉を叩く。
「恐れ入ります。国鉄渉外部の、仁科と申します」
名前を言う際、躊躇いに息を呑んだ。扉の向こうも名前を聞いて、空気が張りつめたのが伝わった。
忙しない足音に続き、ゆっくりとドアノブが回される。重たく開かれたわずかな隙間に、見知った顔が覗いた。
確かに仁科だ、大井で会った。
間違いなく、あの平木だ。
懐かしい因縁が、ふたりの間に漂った。粘り気があり不快だったが、互いにそれを顔に出さないよう努めていた。
仁科は隙間に正対し、手足を揃えて頭を下げた。
「この度は、多大なご迷惑をおかけしました」
「まぁ、中へどうぞ。散らかっていますが」
扉を開けて導いた両手には、真っ白い包帯が巻かれていた。軽傷とは聞いていたが、思っていた以上に重い。
玄関の隅に靴を並べて、すり切れた畳の上に膝をつき、名刺を滑らせた手を、額を擦りつけた。
「改めて、お詫びを申し上げます。怪我の治療費、休業補償、国鉄が負担させて頂きます」
平木は狼狽えていた。仁科が扉をノックしてから想像していた景色だったが、いざ目の前にしてみると迷いが生じ、ただひたすらに沈黙した。
気の済むまで頭を下げていてもらおう、恨み言のひとつでも言ってやろう。仁科に
「私は、機械の組立工なんです。この手では、しばらく休むしかないでしょう」
仁科は、畳から額を剥がさなかった。エンジンをやりたくて自動車会社に再就職したと、やはり風の噂で伝わっている。
仁科はハッとして、まだ許されていないのに顔を上げた。大井で囲まれたきっかけは、ベッスン准将から贈られた入換機だ。電車を担う大井には、エンジンを組み立てられる工員が平木しかいなかった。構造に興味を抱き理解して、目を輝かせていたから白羽の矢を立てたのだ。
「組み立てとおっしゃいましたが、何を……」
「自動車のエンジンです。精度を要求される、繊細な仕事です」
平木の視線は泳いでいた。エンジンの道に導いたのは、仁科だからだ。組合の気風に流されて平木を囲んだことを、悔やんでいた。
仁科は喜びを噛みしめた。怪我の補償をしにきたのだから笑ってしまってはいけないと、口角に力を込めていた。それでも端から笑みがこぼれて、神妙なふりをしてうつむいた。
「そうですか、エンジンを……。それは大変な仕事ですね。国鉄でもディーゼルエンジンを完成させたので、色々と伝え聞いています」
「ディーゼルエンジン!? それは、どんなエンジンですか!?」
エンジン屋の魂が火を吹いた。仁科の肩を掴もうと身を乗り出して、自由の利かない手を思い出し、我に返った。平木はしおしおとしぼみ、目のやり場に困っていた。
仁科は目を丸くしてから、こぼれた笑みを平木に見せずにはいられなくなった。
「改めまして、平木さん。お久しぶりです」
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