第114話・FIRE①
桜木町で電車が燃えたと報を受け、蓮城は廊下に飛び出していく。事故現場へと向かうか、被害者のもとへ向かうか、それとも──。
「おっと……。ああ、蓮城くんか」
と、足を止めたのは椎名工作局長だった。
「どこに行く。桜木町か? 病院か?」
蓮城は押さえつけられた
「被害者氏名を、駅が控えているはずです。桜木町に向かいます」
「落ち着け、駅は混乱しているはずだ。本社の人間なのだから、現場からの報告を待て」
らしくないぞ、と椎名は蓮城の肩を叩く。しかしその手は、見るからに震えていた。
「椎名局長……」
椎名は肩から手を下ろし、床に浮かぶ虚空を見つめて
「私が設計した電車なんだ、モハ63型は」
それが燃えて、未曾有の被害を発生させた。絶縁不良、木製屋根、可燃性塗料、はめ殺しの中段窓、金属ドア。被害を拡大させた多数の要素に、椎名は押し潰されていた。
今度は、蓮城が椎名の肩を掴んだ。その手もやはり、震えている。
「要請に応じたまで、ではないですか。軍事輸送を優先されて、旅客輸送は逼迫していた。物資が不足し、満足な絶縁を施せなかった。車内換気を容易にするため、三段窓を開発した。木製屋根は、脱線時の脱出のため。ペンキは、どの車両も使っている。金属ドアはGHQ命令だ!」
「窓の中段が固定でなければ、多くの旅客が逃げられたんだ!」
静寂、いいや沈黙。鉛のように重い空気が、廊下にぬるりと漂った。それをゆっくりとかき分けて、堰を切ったのは椎名だった。
「モハ63型を更新する。絶縁の改善、屋根板を金属に置き換え、不燃性塗料への塗り替え、窓の中段を可動化させる」
工作局長としての、設計者としての務めだった。大量に製造したモハ63型を、すぐには置き換えられない。ならばせめて、あぶり出された問題点を改良するしか
「蓮城くん、CTSには行かないのか? 隣接する東横浜駅を使っていると聞いている。あれはMRSの駅だろう」
渉外部にも、その情報は届いていた。搬出された遺体をプラットホームで安置している。緊急のことだから、MRSが許可したのだろう。
「その礼を伝えなくていいのか? それに謝罪と、車両の更新計画……これは、私の口から伝えたほうがいいだろう」
「いえ、渉外部の仕事です。椎名局長は、更新計画を組み立ててください」
椎名にとって、蓮城が見えない壁になっていた。CTSには行かせない、工作局に戻ってくれ、頑なな眼差しがそう訴えていた。
そうか、君がお白州に座るのか、と椎名は哀しく微笑んだ。しかし腹は切らせない、介錯人が落とす首はそれではないと、椎名は蓮城の瞳を見つめた。
「わかった、渉外部に託そう。ただ、これも伝えてくれ。工作局長の椎名が辞すると」
蓮城の視線が、椎名の狭い瞳孔を
「蓮城くん、これが責任というものだ」
「椎名さん。あなたは国鉄に、鉄道に多大な貢献をしてきた。あなたを失った鉄道は、まだ見ぬ未来を見失うんです」
椎名は、視線をふいっと
「買いかぶりだよ、私はそんなに立派な技術者ではない。もしそうだとしたら、私は軍人になっていたはずだ」
「鉄道は戦争に不向きです。一流の鉄道技術者は、軍人などにはなれません。鉄道の未来は、椎名さんにかかっています。鉄道から離れないでください、椎名さん!」
蓮城の雄叫びは、魂から吐き出されていた。椎名は迷い、目を泳がせてから、蓮城に柔らかく微笑みかけた。
「まったく、渉外とは厄介だな。敵は身内にいるというのは、本当だ」
微笑みは、ほとほと参ったというように自嘲へと変わっていった。
「喪が明けたら戻ってくる、下山との約束を手土産にして。それまで待っていてくれるか」
椎名は、鉄道を諦めていない。差し込んできた春の光に、蓮城は目を見開いた。
「走らせるんですね、弾丸列車を」
「物騒な名前は、やめてくれ。建設用地の住所にもある、新幹線と名付けよう」
「いい響きです。必ず約束を果たしてください」
蓮城と椎名は、互いを労い、再会を誓って握手を交わした。固く結ばれた手を離すと、椎名は工作局へと戻っていって、蓮城は廊下を歩きはじめた。
国鉄本社をあとにして、皇居を正面に捉えて行幸通りを進んでいく。突き当たり左折して、堀が宮城に沿って離れる。左手には第一生命館、GHQだ。
「国鉄渉外部の蓮城です。民間運輸局のシャグノン中佐にお会いしたく参りました、お取次ぎをお願いします」
入り口を守るMPは、迷惑そうに中へと入った。それからしばらく待たされて、皇居が暗く染まった頃、ようやくそのMPが戻ってきた。
「中佐は、会わないと言っている。国鉄に帰れ」
椎名が腹を切ると言ったのに、シャグノンは介錯をしてくれないのか。貴重な時間を浪費して、蓮城の背に泥のような疲労がのしかかった。
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