第74話・JUDGEMENT④
昭和二十三年十二月にGHQが示した「経済安定9原則」は翌年二月、来日したデトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジによって実施された。
その内容はインフレーションと国内消費の抑制、輸出振興を軸にしていた。具体的な政策は、予算や補助金を明らかにし、インフレーションの根源たる復興金融債権を絶ち、為替の固定と自由競争の促進するもので、日本経済は国際市場に復帰した。
世界に躍り出る
物価が下がれば、収益も
こうして日本に、失業の嵐が吹き荒れた。
非公務員化された職員はどうなるのか。鉄道総局の準備が遅れているが、非公務員化を見直しているのか。数々の推論が飛び交っていたが、呉羽は噂話は乗らず口を噤んだ。山形から得た情報をもとに、問い質したときの下山の顔。石像のように硬直したあの顔が、脳裏に焼きついて離れなかった。
その様子に、同僚が
「どうした? 呉羽、顔色が悪いぞ」
と、尋ねても
「疲れがたまっているようだ」
そうはぐらかして、迷いの渦に身を沈めていた。
確信しているが、確証がない。下山の顔色を思い返せば、三万人もの解雇があるのは間違いないが、その下山は答えていない。山形の彼からも、口止めされているままだ。
そうだ、山形。
どこの誰だか聞きそびれたが、情報を提供した彼に話を通すのが筋だ。恥を忍んで、山形の各部署に片っ端から電話をかけよう。シベリア帰りの呉羽に電話を寄越した、それは山形では彼しかいない。
そう思い至った呉羽は、空いた時間に鉄道電話を山形にかけ、彼を探した。
しかし少ない手がかりと、駅や機関区、車掌区に信号所、保線、通信、検車など無数に思える多くの職場。休憩時間の、鉄道電話が空いているときしか探せない。そこに彼がいなくとも、知っているかを聞き出して、手がかりを得ようとしたものの、それさえない。
彼は幻だったのか、そう思えて諦めかけたとき、電話をかけてばかりの呉羽宛に、電話がかかった。
きっと彼だ、と奪い去るように受話器を掴む。
「代わりました、呉羽です」
『ああ、呉羽さん。私を探していると聞いて、電話をしました』
彼の声だ。張りのある弾むような声を聞き、高揚する胸を必死に押さえ込んで尋ねた。
「君の名前と所属を聞きそびれたものだから。まずは、それを教えてくれ」
しかし、答えに間があった。迷っているような、考えているような、そんな素振りだ。どうして答えを拒むのか、同じ労働組合の仲間ではないか。
『実は、親の看病をしておりまして……。今は仙台鉄道局預かりです。すみません、名前が先でした。山辺といいます』
「それは、詮索して申し訳なかった。この電話は、駅に借りているのか?」
『親が眠ったので、最寄りの駅にお邪魔しました。どこの駅かは、聞かないでください。みすぼらしい家ですから』
そうか、若くして苦労が多いのか。看病で休んでいるなら、生活もままならないだろう。これは組合が助けなければと、呉羽は胸に炎を灯した。
『それで、用件は?……次官ですか?』
山辺は間を開けて、声をひそめた。周りの駅員に聞かれぬよう、受話器に手を添えているのが、こもった声から伝わった。
「そうだ。
『やはり、そうですか。私の代わりに、危ない橋を渡らせてしまい、すみません』
「いや、いいんだ。君は家族を大事にしてくれ。何かあれば、組合に相談してくれよ。そのために組合はあるんだから」
取り繕うように
「この話は、明らかにしていいのだろうか。次官は明言していない、俺は確信しているが噂の段階だ」
『呉羽さんが言うのなら、間違いはないでしょう。ただ、万が一ということもあります。下山の顔色を読み違えていたとしたら……』
「不安を煽り、混乱を招き、何も起こらず空振りに終わる」
『そうなれば、呉羽さんの立場が危うくなります』
山辺も同じ考えか、と呉羽は胸を撫で下ろした。組合から爪弾きにされては鉄道総局、引き継ぐ国鉄はもちろんのこと、組合の
「ありがとう、君と話せてよかったよ」
『いいえ、こちらこそ。連絡にお手間を取らせて、すみませんでした』
話の終わりが見えてきたので、呉羽は続きを山辺に求めた。出どころは不明だが、山辺の情報は有用だ。それを中央につなげたい、と呉羽は願った。
「また連絡したいときは、どうすればいい? 住所を教えてくれたら、手紙を送るが」
『いっそ、こちらに来てください。今は国鉄の準備でお忙しいでしょうから、そのあとにでも』
結局、連絡を待つよりないのかと落胆して、呉羽は受話器を置いた。
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