第35話・STATION④

 駅は職員でいっぱいだった。それに輪をかけて、旅客が溢れんばかりに押し寄せてきた。駅員総出で切符を売り、改札をして旅客を電車に押し込んだ。


 乗り切れないが乗らなければと、連結器に旅客が乗った。その客が、客室のわずかな隙間を見つけて「あっ」と口を開いたが、連結面の扉は無情にも内開き。車内の客の圧力で、扉が開くとは思えない。諦めた、と視線を逸らし手すりを握りしめたので、俺は車掌に発車出来ると合図を送った。


 本来ならば発車してはならないが、満州から引き揚げた俺が同じように乗ったのだから、咎める資格などないと黙認していた。それは他の駅員も同様で、連結面だろうと屋根だろうとお構い無しに乗車して出退勤し、非番や休みの日には買い出しに奔走していた。見送る我々駅員には、彼らの無事を祈ることしか出来なかった。

 せめて並走する快速線にプラットホームがあればと思うが、過ぎゆく列車もすし詰めで、無駄な考えだったとすぐ諦めた。


 機関車が牽く客車であれば、隣の車両へと容易に移れる通路が空いている。関西では電車も客車同様だと聞いた。

 何故、東京の電車は連結面の通路が空いていないのか。これがあれば車両間を安全に往来出来る上、通路を隠し定員に出来るのに。凝り固まった考えが恨めしくて仕方ない。


 次の列車が入線してきた。先の列車を発車させるまで時間を要したせいか、珍しく運行間隔が短い。

 自動扉が、旅客の圧力で開かない。ドア前に立つ我々が扉を手動でこじ開ける。と、プラットホームに乗客が吐き出されていく。

 しかし彼らの目的地はここではなく、隙間のない車内へと身体をねじ込んでいく。そこへ、先の列車を断念した旅客も、これには乗らなければと身体を押し込む。ドアの動線からはみ出す身体を、我々が手で腕で、全身を使って車内に収める。


 観念した車掌が、扉の閉め操作をする。はみ出た身体をドアが押し込み、車内の奥からうめき声を絞り出した。

 ドアが身体にぶつかって、途中で止まる。それを俺は手で押し込んで、ドアの動線を確保する。

「身体を引いて……中の方も奥に進んで!」

「無茶を言うな! 隙間なんてないぞ!」

「降りたくなければ、奥に進んでください!」


 わずかな隙間を詰めたのか、動線を確保したドアが勢いよく閉まった。手の平を掲げて発車の合図を車掌に送ると、屋根に上がった旅客が目に入った。

 満鉄で得た経験など、ここではほとんど役に立たなかった。線路に載った鉄の箱に、詰め込めるだけ詰め込んで走らせている、それだけだ。救いは炭鉱や保守などの、死と隣り合わせではない駅員でいられる、これは満鉄に感謝したい。


「ご苦労さま、交代だ」

 と、先輩の駅員と差し替わる。次は改札、切符や定期券が正当か、一瞬で判断しなければならない。気が抜けない作業に、つい足取りが重くなる。

「異常ありません、お願いします」

 一礼をして顔を上げると、艷やかな客車が快速線を駆け抜けた。窓から向こうの景色が見える、空いているとひと目でわかる。

 あんなに綺麗な客車ががら空きだなんて、と呆然としている俺に、先輩がぶっきらぼうに説明をした。


「あれはGHQの休暇列車Rest Camptrainだ」

 休暇列車と聞いて、首を傾げた。俺たちの休暇は闇市への買い出しか、家の雑事に専念するか、腹が減らないように大人しくしているだけだ。

 それがGHQは、快適な列車を仕立てさせ休暇を満喫しているのか。

「あれは、どこへ走っているんですか」

「京都だ。焼夷弾を落とさなくてよかった、とでも思っているんだろうよ」


 冷めた先輩に反比例して、業火のような怒りが腹の底から湧き上がった。焼夷弾を落としてよかった街などあるものか、と連合軍の傲慢にいきどおったまま木組みの改札に収まった。

 風に吹かれた落ち葉のように、通り過ぎゆく乗車券。切符に手早くはさみを入れて、定期券の区間と期間を一瞬のうちに確かめる。

 視神経の違和感が、腕を伸ばして旅客を止めた。


「お客さん、定期券が切れています」

「急いでいるんだ、帰りに買うから」

「駄目です、切符を買ってください」

「急いでいると言っているだろう!」


 はやる気持ちが苛立ちを招き、並んだ旅客の煮えた視線が激昂する旅客に浴びせられる。構ってられぬと列が崩れて、両隣の通路に流れていくと、それが更なる騒ぎを起こす。

「割り込むな! 後ろに並べ!」

「文句はこいつに言え! 足止めしやがって」

 早々に解消しなければ、規則を守るこちらにまで火の粉がかかる。制止する腕を前へと回し、切れた定期券を持った旅客を列から外す。


 人々が集う駅は、苛立ちの坩堝るつぼだった。一触即発の導火線を、誰もが引きずっている。せめて騒乱が起きないよう、接触を避けて流すのも大事な仕事のひとつであった。

 列の隙間に割って入り、我先にと前へ進む人影があった。横からの割り込みで激怒していた人々が、口を固く結んでうつむいていく。導火線を断ち切る影は通路かられ、俺の正面で立ち止まった。


「警察だ、食糧管理法違反の取り締まりを行う」


 列が崩れて二手に割れると、警察官が駅構内へと雪崩込み、勤め人や学生を押しのけて、闇市帰りの人々を追い回す。手に下げ背負った風呂敷包みは、駅の外へと投げ捨てられた。

 この混乱で電車は走れなくなり、閉まらないドアをぽかんと開け放っていた。今日が仕事でよかったと安堵して、俺は乗車券を一枚一枚確認していた。

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