第31話・SWITCH⑤

 桜木町駅から海岸通りへ。正面に丸柱をいくつも連ねるギリシア神殿風の建物が日本郵船、横浜郵船ビルである。GHQに接収されて、MRSが事務所として使用している。

 ひとりで向かう蓮城は、MRSから呼び出されていた。ベッスンの後任だったライオン大佐は、下山が言ったとおり十八日しか勤めなかった。対峙するのはシャグノン中佐、気をつけるよう言われていた人物だ。


 MPに氏名を申し出て、導かれるまま接収されたビルを行く。扉の前で立ち止まり、案内役も兼ねる通訳がノックをすると、奥から廊下へ返事が轟く。

 開け放たれた扉から、横浜港を照らす陽が差す。

 影が黒く染め上げている男の手元は、異様な鈍い光が放たれていた。

 拳銃だ、愛でるように撫でている。

 一歩も進めないでいる蓮城に、通訳がこっそりと耳打ちをした。


「中佐は拳銃が好きなだけだ。撃たないから、心配いらない」


 そう言われようとも、威圧しているように思えてしまう。胸ポケットに拳銃を仕舞ったシャグノンの目が、慈しみから身を貫くほどの憎悪に変わった。

「お前が蓮城か」

 Yes、そう答えるとシャグノンは立ち上がり、蓮城の胸ぐらを掴もうとするまで身を寄せた。

「日本人に、鉄道は任せられない。鉄道には、輸送には何が必須か、わかるか」

 胸ポケットに仕舞われた回転式拳銃、その弾倉が銀に光った。いいや落ち着け、この間合いでは撃てないと、投げかけられた問いに思考を集中させる。


 シャグノンは根幹を問うている、そう蓮城は察していた。しかし輸送における必須条件とは、とすぐには答えられずにいた。

 瞬間、シャグノンは胸ポケットから拳銃を抜き、撃鉄を引いて間合いを取った。蓮城が身構えたときには、銃口は胸に突きつけられた。

 シャグノンが銃爪ひきがねを引き、不敵な笑みを浮かべると、蓮城は南無三と走馬灯を駆け巡らせた。


 撃鉄は、小さく鈍い音だけを鳴らした。銃口は火を吹かず、弾倉を埋める銀色はひとつとして欠けていない。

「わからないのか? 輸送に必要なのは、安全だ」

 蓮城も通訳も、安全装置かと閉ざした口で呟いて額に汗した。これが日本の鉄道を統べるのか、そう思うと胸から喉へと黒い霧がこみ上げて、犯されたような吐き気をもよおす。

 シャグノンは拳銃を胸ポケットに収め、苛立ちに任せて部屋を歩き回って、熱く持論を展開させた。


「木製ドアが破れただと? 腐ったドアは金属製に交換しろ! だいたい日本の鉄道は、どれだけ事故を起こすんだ。先月は追突事故が起きている。車掌の乗務を省略するな、機関助士も信号を見ろ、ブレーキ距離を意識しろ、列車監視は駅員も行え。そう指示しなければ安全は担保されないのか!」


 東海道線国府津こうづ駅でのことだった。停止していた貨物列車に臨時旅客列車が追突し、貨物列車の車掌が命を落としていた。

 旅客六名が負傷したので、蓮城は専用列車手配の合間を縫って、旅客とその家族に謝罪をしに回っていた。

 原因が機関士の居眠りだったので、どれだけ罵声を浴びようとも、返す言葉はひとつもなかった。


 危険は承知だ。しかし買い出し、復員兵、そして本格化した引き揚げ者を、ひとりでも多く輸送するのが鉄道総局の急務だった。そうしなければ国民は飢え、港に人が溢れてしまう。

 いいや、安全軽視は戦時中からだった、と蓮城は思い直した。

 軍部主導の輸送量増加と燃料統制、それが原因で数多くの事故が発生していた。中には軍部にとって不都合だからと、もみ消されたものまである。

 それから狂った歯車を日本は未だ正せずにいるのだと、蓮城はシャグノンを真っ直ぐ見つめた。


「金属は軍部が回収したため、不足しています」

「それはアメリカも同じだ、しかしドアが腐るまで放置しない」

 アメリカも総力戦だったのか。そう思うと過去の日本の誇らしさと、それが招いた敗戦国の現状が、脳裏でねっとりとした渦を巻く。

 するとシャグノンは嘲笑い、蓮城を見下ろした。

「いっそ、ジュラルミンで作ったらどうだ? もう作っているのか? それとも走っているのか?」


 航空機禁止令が発布され、大量の航空機用ジュラルミンが余っている。関連会社が航空機も製造していた車両製造工場が、それを使って鉄道車両を試作していた。

 ただし骨格は鋼鉄のまま、ジュラルミンとは溶接が出来ない。旧態依然のリベット留めで銀色の外板がいはんを貼りつけていた。しかし、だ。


「それも間に合わせに過ぎません。鋼鉄にジュラルミンを貼り合わせては、その間で電蝕が発生すると詳しい工員から聞きました。これこそ、いずれ腐ります」

 冗談めかした名案をあっさりと退けられて、シャグノンは険しく眉をひそめた。がらんと空いた懐に蓮城が間髪入れず飛び込んでいく。


「木製ドアが破れたのは、腐っていたからではありません。当該列車は六両編成、運びきれない旅客が駅に押し寄せています。旧来の中型車を、大型車に置き換えるだけでは間に合いません。安全確保するためには、輸送力の増強こそ必須です」

「日本の鉄道を変えてやろうと言っているんだ! 負け犬は黙って従っていろ!」

 シャグノンの胸ポケットから、銃把が睨みを効かせた。彼が放つ弾道に抗えるのかと不安を胸に満たされて、蓮城は一礼をしてMRSをあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る