第13話



 小柴と透子が店内に連れ立って入ってきた瞬間、目の前にいる秀晴が固まったのを見て、気まずいという言葉を、身をもって体験する中谷と美香だった。


 「トーキチ……」

 「ごめん、遅れて、しかも明日は祭日で朝早いから、2時間ぐらいしか時間とれないんだ。小柴さんもそうだよね?」

 「あ。ああ……」

 「みんな、なんか頼んだ?」


 中谷と美香の気まずさを察しているのか、透子はベラベラと捲し立てる。


 「あー、お腹すいちゃった。ホント寒くなってきたよねー」


 美香はその透子を見て、なんという意地の張り方をするんだと、頭を抱えたくなる。

 ずっと好きだった相手から、会いたいといわれれば、流されてもおかしくない。

 透子自身も自分を抑える自信がないから、この状態をもってきたのだろうけれど、これはこれで秀晴に同情する。


 「……あのね、ヒデ、あたし――――」

 「トーキチ」



 「実は、つい最近なんだけど、小柴さんと付き合うことにしたの」



 中谷と美香は『そんな決定打、この場に来て早々に打たなくても!』と内心思う。


 「ヒデもさ、連絡とらなくなって、心配してたけど、怪我以降もちゃんと活躍してて、安心したよ、いつも見てるし応援してたんだよ」

 「トーキチ……」

 「ちゃっかり彼女まで出来たみたいだしさー、美人女優が相手だよって、もう、幼馴染としては、なんていうか遠い人になったなあって思ってたけど」


 美香は眉間に皺を寄せる。

 『それは、終ったって説明したのに……この発言はワザとだよね』

 秀晴からの言い訳とかを聞きたくないのだ。

 言い訳を聞けば、またそこで自分の気持ちが揺らぐから。

 秀晴がフリーだったら、気持ちが動きそうになるのが怖いから。

 だからあえて、現在も女優と付き合ってるんだと、透子が思っていることにしておきたいのだ。

 こうしておけば秀晴は言い訳できないだろうと、踏んで。


 「こうして誘ってくれて嬉しいな。そうそう、中谷君に誘われてね、今、リトルの監督やってんの、野球やってるよ。小柴さんも、小柴さんね、『梅の木ファイターズ』で監督してるんだよ」

 「……」

 「ヒデは、メジャーに行くんだよね。決まった?」

 「まだ話し合いの中段階だけど――――来年には向こうにいく」

 「おめでとうヒデ。更なる活躍を期待して、あ、飲み物回った? はいじゃ、カンパーイ」


 その場にいる人間は透子の勢いに押されて、とりあえず、ジョッキを掲げた。






 「いきなり――――誘ってごめんなさい……小柴さん……」


 帰り道、透子がそれまでのテンションとは変わって、静かになっている。


 「ヒデに会いたいって……云われたんです。だから、小柴さんを誘いました、小柴さんと付き合うのに、こそこそヒデには会いたくなかったから……」


 小柴は透子の顔を見る。


 「さっきのあたし、ただの幼馴染……でしたよね?」


 小柴がハンカチを差し出すと、透子は涙の止め方を忘れたように、鼻をすすり上げる。


 「ごめんなさい……、小柴さん……ごめんなさい……諦めるから、時間かかるけど、ヒデを好きなこと、諦めるから……」


 秀晴に誘われても、こうして小柴に何もかも話して、自分自身を気持ちの行き場を、こんなにも追い込んで、がんじがらめにして。

 だけど、そうしなければならないほど、透子は彼を好きなのだ。


 「あのさ、藤吉」

 「はい」

 「荻島のスクラップ、作ってるのあるんだろ? それ、見せてくれないか?」


 マンションまで送り届けると、小柴はそういった。


 「あの……」

 「全部」

 「でも……」

 「知っておきたいんだ。藤吉が荻島をどれだけ好きだったか。大丈夫、ヤキモチやいて、破損させることはしないと約束するよ」

 「……わかりました」


 透子は部屋に戻って、紙袋いっぱいになってるファイルを、小柴に渡す。

 これは大事にしてきたものだけど、小柴に見せるのは躊躇う。

 もし自分が逆の立場なら、いい気はしないのだから。


 「コレの処分もあたしが、いつかします……。だから――――」

 「うん、見るだけ、すぐに、返す。じゃあな」


 ポンポンと透子の頭を子供にするように軽く叩いて、マンションのエントランスを出ていく。


 小柴は大通りに出て、ファイルを取り出す。

 写真や記事だけではなくて対戦スコアまで書き込まれている。

 パラパラと捲り、最近の写真週刊誌の熱愛報道までファイルしていた。

 グシャグシャになっている紙面を一生懸命伸ばして、水滴の落ちたような後が誌面に残っている。


 ――――これじゃ、勝ち目はないだろう。


 パンと音を立ててファイルを閉じると、その場で手を上げて、タクシーに乗り込んだ。






 ドアチャイムが鳴る。

 秀晴は、インターフォンに出ることもなく、ドアを開けた。

 セキュリティ万全なスイートに宿泊しているにしては、無用心だなと思いもつかないほど自然な動作で。

 ドアをあけると、数時間前まで一緒にいた人物が立っていた。


 「――――小柴さん……」

 「入るよ」

 「何すか? いきなり」

 「荻島」

 「……」

 「お前に渡すものがあってな」

 「何――――……」


 小柴が思いっきり右腕を振り上げて、秀晴の左頬を殴りつけた。

 倒れはしないものの、バランスは崩れて、2、3歩秀晴はよろめく。

 が、態勢を立て直すと、秀晴も殴り返した。

 150キロ以上のストレートを放つ右腕で、容赦なく。

 先輩に対しての手加減とかはもちろんない。


 「透子を手に入れておいて、殴られる謂れはないっすよ」

 「っ、お前がグズグズしすぎなんだよ! 寄り道しすぎなんだよ!」

 「寄り道した覚えはねえよ!」

 「先週の週刊誌にすっぱ抜かれてるくせに、どこが!?」

 「あんたに関係ないだろ!」

 「ふざけんのも、大概にしろ!」


 バンっと紙袋を秀晴に投げて寄越す。


 「俺は確かに、藤吉が好きだよ、けどなあ、あの子はお前じゃないと駄目だろう!」


 見てみろよと、紙袋に目線を走らせる。


「泣かさないように、幸せにするって、云ったのに! 泣いたってお前を思ってる方が、何倍も幸せそうなんだから、しょうがないだろ!? 腹立つ野郎だな――――」


 投げつけられた紙袋から、ファイルを取り出す。

 透子がスクラップしていると、中谷から聞かされていたけれど、本当に丁寧に、スクラップされていた、試合の感想とかも小さく書き込まれている。


 「小柴さん……」

 「俺にそれを泣く泣く渡したよ、処分は自分がするから、だから勝手に処分しないでくれってな、無理だろ、こんなの処分したって、気持ちが変わるわけないだろ? あーもームカツク、もう1回殴っていい?」

 「いや、勘弁してください」

 「こっちの科白だ馬鹿野郎、ほんとこんな道化は、一生に一度でいい勘弁してくれ。約束しろ、幸せにしてやれ」


 小柴は言うと壁に背を預けて、ため息をつく。


 「もう、やだぞ」

 「小柴さん……諦めよくないっすか?」


 小柴はもう1度、秀晴に向き直って右腕を振り上げる。


 「殴ってもわからないのか! お前は! ホントにバカだな! 諦める? 違うだろ、俺はお前の為じゃない藤吉のためだ。ここであの子を不幸にしたら、絶対に許さない」


 秀晴は今度は殴り返さなかった。


 「云ったらきかないのは、あの子の性分だ。だからって、簡単に諦められるはずがないんだ」


 小柴は殴った右手を開いて、手首を振る。


 「それは、お前もそうだろう、だから、今日、会いたいと云ったんだろ?」

 「……」

 「もう、俺ができるのはここまでだ。あとは自分でなんとかしろ、お前等……」


 溜息をつき、呟く。


 「お前等……バッテリーなんだから」

 「オレ……小柴さんには憧れなかったけれど、自分が女だったら、惚れるかも」

 「ヤ・メ・ロ! ちなみに俺は藤吉が男でも惚れるかもな、お前は違うのか」


 「――――違わない」


 秀晴がニッコリと笑う。

 野球が大好きな小さな少年のように。

 さっきの飲み会には見せなかった、昔のままの笑顔だった。

 多分、怪我をしてから、誰にも見せてこなかっただろう、荻島秀晴の本来の笑顔。

 それを引き出せるのは、彼女の存在なのだ。


 「こんなに応援してる先輩を思いっきり殴りやがって」

 「先輩が先に手を出した」

 「だけど、藤吉には手を出してないぞ」


 小柴がそういうと、秀晴ははっとして、間髪入れずに「ごめんなさい」と頭を下げる。


 「……藤吉は、明日、荒川の西堀第3グラウンドで練習試合だと」


 小柴がそういって、ドアから出ていくまで、秀晴は頭を下げていた。




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