第8話



 「最後の最後で、貴方の嫌いなマスコミにバレちゃったわね」

 イヤリングをしながら、彼女は云う。

 バレたんじゃない、バラしたのだ。多分。シーズンに入る前に付き合いはじめたから、今まで一番長く関係した女だ。

 芸能人、しかも一番売れている女優だ。仕事量もそれなりだし、スキャンダルの取り扱いにもなれているだろうに。

 発売された雑誌のコメント。事務所への根回しも卒がない。

 秀晴との関係を終らせても、はげしいバッシングはないだろうタイミングを計ってるようにさえ思える。

 追加の報道がされても、「食事をしただけ、ただの友達」のコメントを有効になるようにはしているようだ……。

 秀晴の目がそう云ってるのに、彼女は怯まない。


 「もう、終るからいいじゃない」

 「最後まで綺麗にする方だと思ったのにな」

 「何が?」

 「スキャンダル系はアンタも株を下げるからいやがると思った」

 「腹癒せよ」

 「?」

 「貴方に」

 「やつあたりか?」

 「いままで、前の彼女も私も、貴方がその気にならないのは、死んだ恋人でもいるのかなって、思っていたんだもの」

 「……」


 「――――とおこ」


 彼女が名前を呟く。秀晴は彼女を見る。


 「ベッドで必ず、出てくる名前。死んだ恋人なら許すけど生きてるんじゃない。これにはムカツイタのよ、大人気ないけど、一応女ですから」

 「気にしないタイプかと思った。今までの女も気にしてなかったみたいだし」

 「貴方ってホントはバカ? 気にするわよ、気にしないように思い込んで、悩んで一人で泣き出す女もいるだろうけど、私は違うの、悪かったわね」

 「……まあ、アンタはそういうタイプ」

 「なによ」

 「レッドカーペットの方が似合うってこと」


 秀晴にしては珍しい褒め言葉だなと、彼女は思う。

 最後の最後で会話らしい会話をしているなとも。

 鏡を覗き込んで、身だしなみを整える、ドコから見ても一般女性とは違うオーラがある。

 彼女は秀晴の隣りに座る。


 「秀晴」

 「?」

 「最後に一つ教えて」

 「何?」


 「とおこってどういう人? 恋人だったんでしょ? 何で別れたの? 振られたの? 今何してる人?」


 「一つじゃないだろ」

 「揚げ足とらないで」

 「透子は、恋人じゃない。でも、オレはずっと惚れてた。結婚しようって、思ったこともある」

 「貴方が一方的にアプローチしてたの? 相手はなんとも思ってなかったの?」

 「アンタ、自分が女優できなくなったらどう?」

 「……」

 「ストーカーチックなファンに顔に傷でも傷を負わされて、仕事できなくなったらどうする?」

 「全財産かけて顔を取り戻すわ」


 質問の相手を間違えたなと秀晴は思う。


 「野球選手がもし、怪我をして、再起不能になったら? しかもそいつはガキの頃から野球しかできなくて、他は役立たずの場合は……?」


 高校を卒業して1億の契約金を手にした。

 親孝行もモチロンだけど、生活が野球だけでイッパイになるという事実、その嬉しさに 囚われて、まったく気づきもしなかったこと。

 身体が資本のアスリートに、そう云った故障はつきものだ。

 今までが健康で順調だっただけに、プロ2年目の怪我で、思い知った事だ。

 もしも再起不能になったその時、彼女に負担になってしまわないか……。

 そうなった時の自分は、きっと自棄になって、手がつけられないだろうし、そんな姿を見て失望して、彼女の気持ちが離れていくところまで想像した。

 そう思うと言い出せなくなって、連絡も途切れがちになった。

 まずはプロとして、野球を続けていくことだけを考えた。野球のほかに、自分を見出すことができないからそこだけは、譲らずに。

 結果を出して、自信がついたら、云えなかった言葉を、透子に云おうと思ったが……。

 怪我で気持ちは塞いで、1人では乗り越えられなくて、楽な方に身を任せたのも事実だ。

 そして、時間がかかりすぎてしまった。

 取り戻せないだろうと、秀晴は思う。


 「幸せにしてやるとか、大口叩けなくなった……それっきりだ」

 「貴方、それ、相手に訊いた?」

 「……いいや」

 「やっぱり、バカ。貴方がプロポーズしたいぐらいの子ってことは、相手も多少は、貴方に気はあったんでしょ?」

 「それも訊いたことない。嫌われてないのはわかってた。バッテリーだったのにな」

 「?」

 「幼馴染なんだ。透子はリトルリーグでバッテリーだった」

 「うわー、バカだわ。それ、そんな付き合い長いのに、言わないの? 意気地なしね」

 秀晴は目を閉じる。




 ――――意気地なし! 泣いてんじゃないわよ、ヒデ、やられたら、やり返せ!


 記憶の中にいる昔の透子。

 小学生の時だ。

 透子から借りたグラブを上級生に取り上げられた時、透子は相手の上級生の方に走っていったかと思うとグラブをひったくった。


 ――――勝手に人のを使ってんじゃないわよ! これはヒデに貸したのよ。


 リトルですでにピッチャーのポジションを狙っていた透子は、男子の間でも有名で、生意気だと突き飛ばされても、泣き出すどころか、逆に殴りかかっていった。

 いつだって、勇ましかった。

 そう、いつだって、前向きで、怯まない。


 ――――ふざけんな。絶対、マウンド降りないからね!


 どんなにボロボロの状態で、控えのピッチャーを監督が寄越そうとしても、ガンとして譲らなかった。

 例えそのゲームが透子の失点で負けるとわかっていても、チームの負けを透子の責任とされても、透子はマウンドを譲らない。


 ――――負けたの、あたしの責任です、だけど、次は絶対に抑えて見せます。


 だから、次の試合も使えと、監督にくってかかるなんて、他の選手たちはしないのに、透子ぐらいのものだった。

 敗績を、観戦していた親になじられても、潔く頭を下げて。

 そんな時の後姿は、声すらかけられなかった。


 ――――ヒデ! この試合、絶対勝つ! 


 リベンジは絶対に成功させる。

 いつもは秀晴のリード通りに投げるけど、負けたチームとの再試合の時は、秀晴よりも相手チームのバッターのデータを頭の中に叩き込んで、秀晴のリードにダメ出ししたり、OKを出したり。


 ――――っしゃ! 勝利投手だ!!


 試合後の笑顔が、泥だらけなのに、すごく輝いて見えて。

 ドロだらけのユニホームも、すごくかっこよくて。

 完封した時のガッツポーズ。秀晴の憧れだった……。




 「自覚はしてるから、バカを連呼するなよ」

 「その子の代わりに云ってやるわ、バーカバーカ」


 秀晴は笑う。

 本当にこんな風に、透子と話し合ってたことを思い出した。

 秀晴のそんな横顔を見て、彼女は溜息をつく。


 「秀晴の笑った顔、初めて見たわ」

 「……」

 「そんな顔、彼女のことを思ったりしないと、できないのね」

 「……」

 「彼女に、会ってみたら?」

 「……意気地なしなのは、認める。あいつの傍には、もう、オレじゃない誰かがいると思う」


 時間が経ちすぎた。


 「その時は、奪い返せばいい話」

 「は?」

 「今度のドラマは譲らないわ、私」

 「立派だよ、アンタは。ちょっと透子に似てる」

 「でも、本物には敵わない、貴方はソレをいやというほど思い知ってるでしょ? メジャーで成績あげたいなら、『透子』には土下座でもしてよりを戻してもらうことね。さよなら、秀晴」


 彼女は勢い良く立ちあがって、姿勢良く歩き出し、ドアの外へとその姿を消した。

 2度と振り返らないだろうということはわかっていた。

 その潔さはやはり透子を彷彿させた。


 でも彼女は透子じゃない。

 もし、透子が別れの言葉を彼女のように口にして、秀晴に背を向けていたら、多分その背中を抱きしめて、決して離さないだろう……。

 そのぐらい、いま透子に会いたかった……。



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