第4話



 「よろしくお願いしまーす!」




 帽子を外して、互いに一礼。

 それぞれのベンチに戻って、中谷率いる墨東エンジェルスの攻撃から、試合は開始される。

 守りは梅の木ファイターズ。

 マウンドにいるのは6年生だろうか。

 審判の「プレイボール!」の声。

 先頭打者がバッターボックスに……。

 久しぶりにドキドキしている自分がいると、透子は思った。

 ワインドアップからまっすぐのストレートを、バッターは迷いなくスイング。

 ボールはファール線上を走る。

 グラウンドを取り囲む保護者達の応援が、盛りあがっている。

 子供達の一生懸命な表情に、透子は懐かしさだけでなく、保護者達同様、応援したい気持ちが、湧き上がってくるのを感じていた。


 試合はかなり接戦、どっちも守備が光っている。

 スコアボードにはずらりと並んだ、0の数字。

 最終回7回に、梅の木ファイターズが1点をいれて、ゲーム終了になった。

 秋も終る空に放たれた、白い放物線は、さよならホームラン。

 梅の木ファイターズのベンチは盛り上がって、打者を迎え入れる。

 負けた墨東エンジェルスも、悔しそうだけど、あの見事なホームランは追っていけなかったようだ。悔しいけれど、みんなキチンとならんで、最後は「ありがとうございました!」の礼をする。




 「どっちを応援してたの?」


 美香に尋ねられて、透子は答える。


 「どっちも……可愛くて……いいな、一生懸命で」

 「元チームじゃないの?」

 「いやエンジェルス。小柴さんが監督じゃ強い。よく、守ってたよ、中谷君のチーム」

 「小柴さんて、前、荻島君の誕生日プレゼント買いにつきあってくれた人じゃなかった?」


 美香の記憶力に驚いて、透子は美香を見る。


 「よく憶えてるね」

 「連絡、してた……わけないか……偶然ってすごいね」

 「何が?」


 透子がキョトンとした表情で美香に尋ねる。


 「もしかして、運命の相手だったりね」

 「誰が?」

 「あの監督さんが」


 美香が云う。


 「やだ、何いってんの」


 透子は笑い飛ばすけれど、もしかしたら、その方が、透子が幸せになれる可能性は高いかもしれないと、美香には思える。

 ずっとずっと、何年もお互い好きだと云えないまま、距離も時間も離されて、相手の立場だってすごく変化している。

 それでも相手を好きでいるなんて、辛いだけだ。




 「植田さーん! 藤吉さーん!」


 子供と保護者達が帰り支度をしているとき、監督同士が何か話し合っていて、美香と透子を呼んだ。

 小柴は透子を見ると、驚いたようだった。


 「藤吉?」

 「はい、お久しぶりです、小柴さん」

 「何、お前、元チームじゃなくて、よそのチーム応援してんの」


 透子が苦笑する。


 「しかも今度、エンジェルスの監督代理やるんだって?」

 「そうみたいです。小柴さんは、いつからやってるんですか?」

 「大学の時かな、監督から声がかかってね、藤吉や荻島が甲子園に行ってるのがなんかいいなと思ったのも動機の一つかな。メール、くれただろ球技大会で野球やったって」

 「あ――……はい……」




 高校の教室で、透子がメールを長々と打っていた時のことを思い出す。

 その様子を見て、ヒデが声をかけてきた。


 ――――誰にメール?

 ――――小柴さん。


 ずっと燻っていたヒデへの気持ちとか、野球への気持ちとか、球技大会を終えてハッキリと自分の気持ちに気がついた透子が、感謝のメールを打っていた時のことだ。


 ――――オレというものが、ありながら、小柴さん?


 ヒデの軽口を椅子を蹴飛ばすことで、文字通りに一蹴した透子。


 ――――アドバイスをくれた先輩には感謝でしょう。

 ――――トーキチのそういうところ、体育会系だ。


 椅子の背に腕乗せて、ニッコリと笑うヒデ。

 透子の記憶の中でしか見る事の出来ない笑顔……。




 「あれもらったら、俺も動かないとだめだなって、藤吉に説教してるくせに、俺自身もどこか野球に対して不完全燃焼だったところもあったし。大学入学してすぐに、監督を引き継いだんだ」

 「……そうだったんですか……」

 「また、試合しましょう」


 中谷が小柴と握手を交わす。


 「その時は、よろしくお願いします」


 帽子をチョコンと外して、それじゃあと、小柴は荷物をまとめて、子供達に帰宅の指示を出す。

 その姿を見て、中谷は溜息をつく。


 「カッコイイよなー、あの人」

 「なに、中谷君まで溜息ついちゃって」


 美香が呆れるように云う。


 「えー、だって雰囲気いい人じゃん、小柴さん? あれで僕等と1歳差には見えないよな、老けてるっていう意味じゃないよ、落ちついてて大人」

 「うん」

 「彼女いるのかな?」

 「いてもおかしくないんじゃないの?」


 透子があっさりと云う。

 その言葉を聞いて、美香がらしくもなく、グラウンドの方から出ていこうとする小柴の方へ、ダッシュする。

 その様子を見て、透子と中谷は驚く。

 ちょっと距離があって、美香が何を云っているのかは聞こえないが、美香は話をするとすぐさま戻ってきた。


 「訊いてきた」

 「は?」

 「彼女がいるか……」


 美香は息を切らせながらも、話し出す。


 「植田さん、意外と積極的……」

 「透子、フリーだったよ、小柴さん」

 「えー、そうなんだー」


 美香の言葉を聞いて、透子は間抜けな返事を返す。

 あまりの間抜けさに、美香はその場にへたり込む。

 中谷が、美香にスポーツドリンクを渡して、透子から2人で少し離れる。


 「訊いた? 今の、訊いた? 中谷君『えー、そうなんだー』よ? ありえない……」

 中谷は美香が僅かに憤っているのを察している。


 「落ちついて、植田さん」

 「どっちでもいいから、透子が幸せになるなら、どっちでもいいから」


 それは荻島でも小柴でもという意味なのだろうなと、中谷は察する。


 「あの鈍感強情娘を力強く口説き落としてもらいたい……」

 「植田さん、まるで行かず後家の娘を心配するオヤジのような発言だよ、それは」

 「あの調子じゃ、行かず後家になるわよ」


 中谷もそんなことはないよ。なんて云えないようだ。深く頷く。

 美香は中谷から貰ったスポーツドリンクのペットボトルの蓋を開けて、一口で飲み干した。


 「とりあえず、メルアドと携帯番号はゲットしてきました」

 「仕事早っ!」

 「こういうことは、ちゃっちゃとやらないと」

 「でも、藤吉さんは、その情報を活用するかどうか、わからないじゃん」

 「活用させるようにします」


 キランと美香の目が光る。

 美香は透子の方に、クルリと振り向いて近づく。


 「透子」

 「?」

 「携帯貸して」


 透子は美香がいうとおりに、素直に渋ることなく、携帯を差し出す。

 美香と同機種の携帯だったので、アドレスの検索をしてみる。

 小柴のアドレスも携帯番号も昔のままで、さっき美香が入手したものとは違っていた。

 素早く情報を再入力させて、携帯を透子に渡す。


 「何を……」

 「これ、小柴さんの携帯番号とアドレス。入れといたから」

 「なんで?」

 「これからリトルの監督代理にもなるんだから、小柴さんに心構えやノウハウを訊くのにいいでしょう。監督やって1年の中谷君にはわからないこところも、小柴さんならわかるかもしれないでしょ」

 「ああ、なるほど。ありがとー美香」


 透子は納得したように頷いた。

 その様子を一部始終見ていた、中谷は一歩引く。

 可愛くて大人しいだけじゃない、やるべきことはきちんとやるところは高校時代のマネージャーぶりと変わらないというか、さらにパワーアップしているように思う。


 ――――付き合ったら尻に敷くタイプなのか!?


 最初はただ感心しきりで、美香の後姿に心の中で拍手を送っていたが、自分の事に置きかえると、ちょっぴり不安になる中谷だった。




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