白球少年

第1話



 去年の春。

 あたし、藤吉透子は東蓬学園に入学した。


 都立の城東高校が中三の時の進路の第一希望だったんだけど、悲しいかな都立の受験日に急性虫垂炎にかかってしまい受験できなかった。

 それですべり止めに受けていた私立の東蓬学園に入学をすることになった。

 すべり止めにここを受験しようと思ったのは単なる洒落というか……まず、都立にいくことが大前提だったから、私立はもう本当に適当で、親も親戚も、「どうだ、お前は野球好きなんだし、甲子園出場に毎年上がるような学校受けてみればいいじゃないか」なんてお気楽半分な発言を真に受けて、受験して、受かってしまった。

 いや、受かったのはいい。

 ココで受かっていなかったら、二時募集を待つことになったはずだし。

 でもその時点では、通う気はさらさらなかった。

 数週間後の都立受験の当日にあのアクシデントがくるまでは。


 痛みを堪えて学校に行ったところまでは覚えているが、そのあとの記憶がすっぱりとぬけている。

 気がついた時は病院の手術台の上だった。

 結局、病院のベッドの上で「いいじゃないかもう、東蓬受かってるんだから」と麻酔が切れて痛む体に苛立っているあたしに、両親はそう云った。





 私立、東蓬学園の野球部は何度も甲子園へと出場を果たし、プロ野球選手も多く輩出するいわゆる古豪と評価されている野球部。

 野球だけでなくサッカー部にも力を入れて、最近はここを卒業した後、Jリーガーになった人物もいるとかで、体育会系の部活はその二つが、内も外にも注目を集める華やかな部だ。

 かつて、リトルリーグに所属しエースピッチャーにもなったこともあり、身体を動かすのは嫌いじゃないので、中学時代はバレー部に所属してみた。

 でもこれは、どうにも肌に合わなかった。

 そのことを反芻してみて、高校は、心機一転を計って文化系のクラブに入ってみようと思い悩む――――。

 小学校の時から太陽の下を駆けずり回っていた。

 周囲のオンナノコ達がバレエだピアノだって習ってる時に、マウンドにいた反動か―――。

 そこそこ憧れてはいたのだ、楽器を弄るってことに。

 で、入部したのは文化部――――吹奏楽部だったりしたわけだ。

 担当はトランペット。

 スカーンとした高音の響きが気に入った。

 サックスとかトロンボーンもかっこいいけれど、手にする軽量な感じも悪くはない。

 でも、多分これも小さい頃からの刷り込みが、少なからずあるんだろうな。


 だって吹奏楽+トランペット=甲子園のスタンド。


 やっぱどこかで野球好きなあたしなんだなと、入部して本格的な練習がはじまった時に思ったりしたのだ。

 だって入部して、楽器が決ると、新入生に渡された譜面はそれ(甲子園応援スタンド)専用のものだった。

 野球をすっぱりやめたのに、なんだお前、未練たらたらなんじゃねーの? なんて云われそうですっごくイヤだなと思ったんだけど、あたしがリトルで野球をやっていたなんて事実を知る者はこの吹奏楽部にはいないことだし、あたしが黙ってればいいだけだし。

 それにココ数年、部員が少ないらしんだ。

 もう、キラ星のようなスター選手がいた時は、春の部活勧誘の際に、その選手に、「応援よろしく」とか云ってもらったりしたら、どわっと一気に入部希望者が殺到するらしいんだけど、どーにも、最近そんなカリスマ的要素の濃い選手はいないらしい。

 まあ、野球だからね。チーム力で勝負していけば、そういう選手はいなくたって、ある程度は進めるだろう、この東蓬ならば。

 だけど、そうなると、アレよ、こういう文化部の方は部員獲得するにはなかなか難しいもんがあるよね。


 こんなに新入部員少なくて、もし甲子園に出場が決ったら、どうすんですかと先輩に尋ねたら、卒業したOBが人をかき集めてくれるんだってさ、楽器できる人を。


 「えー。じゃあ、在校生は制服、OBは私服でスタンドに立って演奏なんですか?」


 「専用Tシャツが支給されるのよ」


 あたしは納得した。

 なるほど、それなら違和感はないよな。

 そんなわけで、一瞬入部を躊躇ったあたしだったけど、せっかく入った新入部員は逃さないわ! とギラついた視線で迫られた。


 「一昨年は春センバツに出場したけれど、去年は夏も春も出場はなかった。野球部のマネージャーに訊いてみたら不作の年だったらしい。今年はまだわからん」


 「じゃあ……今年は……甲子園出場とか―――――?」


 「可能性はなくもない。その為に、初心者のキミ達は朝練よ! いいわね!」


 文化部の中に体育会系の精神がびっちり沁みついてる……。

 そのときそう思ったね。

 いや、それはそれで嫌いじゃないからいいんだ。

 いいんだけどさー。

 なんか切なくなるなあ……なーんて、去年の春は思ったもんなのよ。

 そんなあたしの感慨を吹き飛ばすように、先輩の猛レッスンがすぐさま開始された。

 そのおかげで、現在あたしはある程度ならトランペット吹けるようになったんだけどさー。

 だけどさー……。

 そんな先輩の猛レッスンに、一緒に付き合ってきた同学年の植田美香がさあ……今年、春になったら、野球部のマネになるから退部するってゆーのよね。







 放課後の練習後に立ち寄ったマックで先輩が言う。


 「……ぶっちゃけ、ウチも大打撃だけどね」


 マックシェイクを一口飲んで、そういう。

 美香はちょっと申し訳なさそうな顔をしている。


 「だけどあたしも、野球部のマネとは友達だし、泣き入ってるのを観てるから―――わかるし、美香なら大丈夫じゃないの」

 「ごめん、あたしも、もしアレだったら、吹奏楽部に戻る可能性もでてくるかもだし」

 美香が言う。

 「あの監督、厳しいからなあ」

 先輩は呟く。

 「でも、今時、男女交際禁止ってどうなのよ?」

 あたしが云うと、美香と先輩は事情を知ってるらしく言葉を濁し始めた。

 「うーん……いや……それは別に問題なくて問題はその―――――ねえ……コトがねえ、コトだしねえ」

 「……」


 美香は真っ赤になって俯く。

 先輩は美香にはこれはムリだなと思ったらしく、あたしのネクタイをグっと引き寄せて、耳元で小さく言った。


 「部室でやっちゃあマズイっしょ」

 「ぶっ!!っっ!!」


 先輩があたしの口を押さえた。

 あたしも自分の手で自分の口を塞ぐ。

 そいつはなんて不祥事!

 壁に耳あり障子に目あり高野連の耳に入ったら、問答無用で、今年の春と夏は立ち消える。

 あたしは、制服を整えて、座りなおす。


 「へ……へえ―――――……そうなんだぁ……」

 「また見付けたのが監督なんだよ」

 「あああああああ」


 もう思わず、頭を抱えちゃったよ。

 他の運動部のことなのに、我が部の不祥事を耳にしたような感覚だ。


 「そこで、美香に白羽の矢ですよ」

 「監督の実の妹なら、そういうことはまずないもんねえ」


 いくら部員が100名近くて、レギュラーのほぼ全員が専用寮に入寮して女日照りだからって、美香は監督の身内で実の妹、そういうデンジャラスな人物とどうこうなろうなんて勇者はいないだろう。

 監督は身内だから遠ざけるではなく、身内だからこそ、遠慮無く使うタイプか。


 「で、どうなったの、当人は」

 「なんか女子が別の学校へ転校でカタがつくみたいよ?」

 「でもさーそういうの本人からマスコミにリークされないの?」

 「されないんじゃない? 理由が理由だけに親も納得したらしいよ」

 「……へえ……」

 「……だいたいさー、そこまでならもう本人同士も内心盛りあがってんでしょ、女子も男子もシチュエーションに酔っちゃってんじゃないの? ロミオとジュリエットみたいだとか、妄想入っていてもおかしかないわよ」


 先輩……なんてドライな発言。

 17、8の乙女とは思えない発言。


 「うわっ、もう、もう、心配だ、美香がそんなところへ行くなんて! ずっとこの透子ちゃんと一緒にいなちゃい!」


 あたしがいうと、美香は笑う。


 「大丈夫、多分……今年は――――――春に出るよ」

 「……決ったの?」

 「お兄ちゃんが云ってたよ。今年は甲子園に行けるって」

 「……」


 あたしは先輩と顔を見合せる。

 野球部の監督のこの自信満々な発言。

 じゃあ、じゃあ。あと数ヶ月後、どうなんの?

 甲子園へ行くのに、うちらは部員少な過ぎっ!

 スタンドでやるには、もう少し人数入れておかないと音に厚みがでないきがするよ!?


 「……レギュラー落ちの二軍に無理やり仕込むのも時間が足りなくない?」 


 せ……先輩……あんたそんなこと考えてんですか?


 「それ実行したら誰が指導するんですか」

 「藤吉とあたし」

 「……」

 「美香はいなくなるしね」


 ――――先輩の目がマジなのは見なかったことにしようと思った。



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