3-5
急ピッチで準備が進んでいく。
出現は四日後。
ちなみに穢れは大きければ大きいほど、早く感知しやすい。
「……伶龍」
現地に向かう車の中、隣に座る伶龍に声をかける。
けれど彼はドアに頬杖をついて黙って窓の外を見るばかりで返事をしてくれない。
「あの、ね。
あの……」
戦いに挑む前になにか言わねばとは思うが、なにを言っていいのかわからない。
いまだに私の中では義務以外のどんな気持ちで穢れを祓えばいいのか答えは出ていなかった。
「その、えっと。
……ごめん」
とりあえず謝った。
それしかできなかった。
「それはなんに対する『ごめん』だよ」
視線は窓の外に向いたままだが、それでもようやく伶龍が返事をしてくれ、少しだけ頭が上がる。
「れ、伶龍が怒ってる、から……」
「……はぁーっ」
私の答えを聞いた途端、彼が大きなため息をつく。
おかげで肩がびくんと跳ねた。
「なんで俺が怒ってるか、わかってんのか?」
それには答えられず、じっと俯いて唇を噛む。
彼の視線はちっともこちらを向かない。
「そんなヤツに俺の背中は任せられねぇ。
俺は俺のやりたいようにやる」
伶龍の言うことはもっともすぎて、ますます落ち込んだ。
そのあとはずっとふたりとも無言だった。
詰め所でも伶龍は私と目すらあわせてくれない。
「なんだい、通夜みたいだね」
そんな私たちを見て、祖母は呆れるようにため息をついた。
いつもなら大興奮の伶龍が静かだなんて、なにかの前触れか。
違う、それだけ伶龍は私に対して、腹の底から怒っているのだ。
「しゃんとしな、しゃんと!」
「いたっ!」
祖母が背中を思いっきり叩いてくるが、それに抗議する気も起こらない。
「大丈夫ですよ、きっと伶龍は翠様の気持ちをわかっています」
威宗の声が聞こえたのか、隣で伶龍が鋭くちっと舌打ちをする。
「……だといいんだけど」
おかげで威宗の励ましに曖昧に笑うしかできなかった。
――おおおぉぉぉぉぉぉん。
思ったよりも早く、唸り声が聞こえてくる。
それは低く地面を這い、空気をびりびりと震わせた。
「……来た」
小さく呟き、伶龍が腰を上げる。
遠く、蠢く足が見えたかと思ったら、どーん!と下から突き上げられるような衝撃が来て一瞬、身体が宙に浮いた。
「……参る」
鯉口を切る音がしたかと思ったら、伶龍が飛び出した。
「待って!」
私もそのあとを、慌てて追う。
伶龍はあっという間に見えなくなった。
「まっ、て……」
いつもそれが当たり前なのに、今日は彼から捨てられた気がした。
それでも出てきそうな涙を堪え、ひたすらに走る。
「大きい……」
見えてきた本体はそびえるほどに巨大だ。
こんなの、祓えるとは思えない。
「でも、やんなきゃいけないんだよね」
頬を叩いて気合いを入れ直し、足場を探してビル街を駆ける。
見上げた遙か先、小さな影がせわしく動いているのが見えた。
きっと伶龍だ。
「無駄だっていってるのに……」
今日も伶龍は効果がないにもかかわらず、穢れに刀を振るい続けていた。
穢れにほど近いビルの、外階段を駆け上がる。
ある程度登り、矢をつがえてかまえた。
ずっ、ずっ、と穢れが少しずつ移動し、身体を形成する蟲がぼろぼろとこぼれ落ちる。
落ちた蟲は周囲を這って広がっていっていた。
あれが禍を起こすのだ。
ただし、核を破壊すればそれらはすべて消える。
「いけっ!」
放った矢は穢れに当たったが、僅かに蟲が散っただけだった。
続けざまに三本、さらに矢を打ち込む。
それでも核はまだまだ見えない。
「もっと近くからじゃなきゃダメか……」
飛び降りるように階段を下り、再び駆け出す。
今日の矢にはいつもよりも強い術をかけてある。
蟲を蹴散らす力は何十倍もあるはずなのだ。
なのにこれだなんて、手強い。
さすがA級だ。
こんな相手をふたりで協力もせず、祓えるんだろうか。
「ううん、弱気にならない!」
祓わなければとんでもない事態になるのだ。
きっと、大勢人が死ぬ。
それは避けなければ。
今度は穢れ本体に肉薄するビルの外階段を駆け上がる。
「今度、こそ……」
限界まで弦を引き絞り、矢を放つ。
――おおぉぉぉーん!
効果があったのか穢れが僅かに呻き、ばーっと一斉に矢が当たった付近の蟲が散った。
「この、まま……」
続けざまに二射、三射と矢を放つ。
蟲が大きく抉れ、僅かに核が見えてきた。
伶龍も気づいたのか、核に向かって走り出している。
「あとすこ、しっ……」
さらに矢を打とうと弓につがえる。
――その、瞬間。
――うおおぉぉぉん!
穢れが大きく呻く。
それは感情などないはずなのに怒りや恨みを感じた。
高く持ち上がった足が、私に向かって振り下ろされてくるのが見えた。
弓をかまえたまま固まり、その行方を見つめる。
「……え?」
「翠!」
伶龍の怒鳴り声が聞こえるとともに、身体が、宙に浮いた。
私のいたビルが、穢れによって破壊されていた。
ガラガラと大きな音を立ててビルが崩れるのが、まるでスローモーションのように見えた。
受け身も取れない勢いで落下しているはずなのに、妙にゆっくりに感じる。
……ああ。
私、死ぬんだ。
この期におよんでやっと、伶龍が怒っていた理由がわかった。
きっと私が命を大事にしないからだ。
死ぬのは怖い、そのくせ死ぬかもしれない任務にはなんの疑問も持たずに従う。
死と隣り合わせで人々を守って戦っているのに、それを馬鹿にされても仕方ないと済ませてしまう。
それに伶龍は腹を立てていたのだ。
「翠!
翠!」
伶龍の声が聞こえる。
全身が痛い。
呼吸がしにくい。
せめて彼に、謝りたかったな。
不甲斐ないパートナーでごめん。
私が死ねば、伶龍も消えちゃうもんね。
もっといろいろ、やりたかっただろうに。
本当にごめん。
ごめんね……。
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