3-3

「伶龍、いい?」


私がふすまを開けた途端、彼は立ち上がって私の脇をすり抜け、部屋を出ていった。


「……せっかく好物のお菓子、買ってきたのに」


仕方ないので屋敷の奥へ向かい、曾祖母の部屋を訪ねる。


「大ばあちゃん、いるー?」


「これは翠様」


すぐに春光が私を迎えてくれた。

曾祖母は湯飲みを握ってうつらうつらしている。


「あー……。

寝てるなら、また」


「いえ。

そろそろ起きられるかと……」


「あら翠ちゃん。

いらっしゃい」


春光が全部言い切らないうちに曾祖母が起きたのか、顔が上がった。


「美味しいシュークリーム買ってきたから一緒に食べようと思って」


証明するかのように手に持った箱を上げてみせる。


「じゃあ僕はお茶を淹れてきますね。

シュークリームなら紅茶がいいでしょうか」


「おねがーい。

あ、春光の分もあるからね」


こういう菓子は伶龍は必ずふたつは食べるのからそれを考慮して三つ買ってあるので、問題ない。


「ありがとうございます」


会釈して春光が出ていき、私は曾祖母の前に座った。


「ねー、大ばあちゃん」


行儀悪くテーブルに顎を置き、指先で天板をほじる。


「自分が穢れと戦うのに疑問?とか感じたことある?」


民を守るために穢れと戦う、このお役目に疑問なんて感じたことはない。

でも、このあいだ伶龍に言われて、気持ちが揺らいだ。


「そうさねー」


続く答えを待つが、曾祖母はなにも言わない。

もしかしてまた寝ているんじゃ?

そんな疑惑が湧いてくる。

曾祖母は年を取ったせいもあって、いつも目が開いているのか開いていないのかわからない。


「……民を守る立派な使命だとしか思ってなかったよ」


起こそうかどうしようか迷っていたら、不意に曾祖母が口を開いた。


「……そっか」


それは祖母……娘が巫女になるまで、孤軍奮闘していた曾祖母らしいと思った。

戦中は空襲も激しかったが、そんな状況だったので穢れの出現率も強さも半端なかったらしい。

おかげで曾祖母が巫女になる前に先々代も先代も穢れによって命を落としていた。

曾祖母は本来、数えの二十歳で巫女になるところを特例で、十五でなったそうだ。

私なんか想像できないほど、大変なんて言葉で片付けられない苦労をしてきたに違いない。

長かった間はそれだけの重みを感じさせた。


「そんな疑問が持てるなんて贅沢なこったさね。

悩めるだけ悩みなさい」


珍しく目を開け、曾祖母が私と視線をあわせる。

さらに手を握り、元気づけるように軽く叩いた。


「……うん」


曾祖母に比べたら、母がいなくても私は恵まれている。

これは私自身が解決しないといけない問題だ。


「おまたせしましたー」


そのうち、春光が紅茶を淹れて戻ってきた。


「どうぞ」


「ありがとう」


差し出されたカップを受け取る。

紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐり、少しリラックスした。


「じゃあ、食べようか」


「わあっ!

美味しそうですね!」


箱を開けて出てきたシュークリームを見て、春光が目を輝かせる。

一番好きなのは和菓子だが、次はケーキの類いが好きなのだ。


「いただきます」


大きな口を開けて春光がシュークリームにかぶりつく。


「クリームこぼさないように気をつけなよ」


「うっ」


言った端から春光の手にクリームが垂れてきた。

苦笑いで手近のティッシュボックスから数枚引き抜き、渡す。


「ほら」


「ありがとうございます。

ううっ、昔は僕のほうがお兄ちゃんだったのに、これじゃ翠様のほうがお姉ちゃんです……」


しゅんと項垂れてしまった春光がおかしくて、つい笑っていた。


「春光はさー、なにを考えて穢れと戦ってたの?

てか、刀って初めから、使命?とかわかってるの?」


伶龍に避けられるようになって、改めて私は刀についてなにも知らないのだと気づいた。

いや、一応祖母から通り一遍、教わってはいる。

しかしそれはうわべばかりで、ディープな部分についてはなにも知らない。

同じ刀である春光の気持ちを聞けば、少しくらい伶龍も理解できるのではないか。


「そうですね」


手についたクリームを舐めている春光は、どこからどう見てもただの小学生男子だ。

曾祖母と激闘を生き抜いたなんて普通の人は信じないだろう。


「目が覚めたときには自然と、自分は人間を守るために存在しているのだとわかりました」


そういえば伶龍も顕現したとき、「俺が戦うのは弱い人間のためだって、ここがいってる」

と胸を指していた。

そういうことなんだろうか。


「あとはもう無我夢中で。

とにかく穢れを倒し、光子様と生きて帰ることしか考えてなかったですね」


当時を思い出しているのか、つらそうに春光が目を伏せる。


「春ちゃんはもう、惚れ惚れするほど強かったんだよ」


ふふっと小さく笑い、曾祖母は紅茶をひとくち飲んだ。


「光子様もお強くて、安心して背中を任せられました」


春光も小さく笑い、曾祖母に視線を向ける。

そこにはなんか、ふたりだけの空気が広がっていた。


「ええっと……。

私、邪魔?」


「ああいえ。

別にそんなことは」


見つめあっていたのに気づいたのか、小さく咳払いし、真っ赤になって慌てて春光が取り繕う。

反対に曾祖母はしれっと紅茶を飲んでいた。


「話聞いてくれてありがとう。

私ももうちょっと、悩んでみるよ」


少し雑談して気分も紛れ、腰を上げる。


「きっと伶ちゃんも翠ちゃんの気持ち、わかってくれるよ」


声をかけられてはっとし、思わず曾祖母の顔を見る。

視線のあった曾祖母は静かに頷いた。


「ありがとう、大ばあちゃん」


曾祖母は最初から、私がここに来た理由がわかっていたんだ。

まあ、いつもは曾祖母が大好きな和菓子なのに今日はシュークリームだなんて、気づくか。

それにしても、曾祖母にかかればあの伶龍も〝伶ちゃん〟なんだ……。


夕食の時間、伶龍はいなかった。

いつもなら横から私のおかずを盗っていくのに、あれからずっと姿を見せない。


「まだ喧嘩してんのかい?」


「うっ」


祖母に言われ、手が止まる。


「い、いや。

その……」


しどろもどろになりながら、意味もなく一粒ずつ米粒を口に運ぶ。


「そんなもん、さっさと犬にでも食わせっちまいな」


祖母が素っ気なく言い放つ。

当事者でなければ言うだけなので気楽でいい。


「犬ってそれ、夫婦喧嘩……」


ん?

この先を一緒に歩むという点では夫婦と同じなのか?

「夫婦喧嘩なら犬は食っちゃくれないよ」


「……ソウデシタ」


さらに小さくなり、もそもそと食事を進める。

私が伶龍の満足する答えさえ出せればこの喧嘩は終わりなのだとわかっていた。

いや、頭ではなんと言えば彼が満足するのかはわかっている。

しかしそこに私の気持ちが伴わなければ意味がない気がする。

それにそんな上っ面だけの答えなど、さらに伶龍から失望されそうな気もしていた。

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