第一章 〝さいきょう〟の刀

1-1

その日、私は古びた木箱を前にしてうんうん唸っていた。


「……わからない」


大きめの、手提げ金庫サイズくらいの木箱の中には、大量の鍵が詰まっている。

これらはこれから、下手すれば生涯を共にする刀をしまってある箱の鍵だ。

この中からひとつ選べ、とは言われたものの。


「せめてヒントをおくれよ……」


じっと見つめているのも飽きて、ごろりと床に寝転ぶ。

明日の大晦日までには決めろと祖母からは口うるさく言われていた。

年明けて正月の祝いとともに私の数えで二十歳の祝いもおこない、そのときに刀のお披露目をするとなればそうなるのはわかっている。

しかし私はこの鍵の入った箱を渡されて一週間、いまだに選べずにいた。


少し気分転換しようと、ガラス障子を開けて部屋を出る。

縁側を台所へ向かって歩いていたら、向こうから祖母がこちらに向かってきているのが見えた。

着物姿でその高い背をしゃんと伸ばし、おかっぱ頭なのですぐにわかる。


「決まったのかい」


私の顔を見た途端、もうこのところ挨拶にようになっていた言葉が祖母の口から出てくる。


「……まだ」


ふて腐れ気味に俯いて視線を逸らす。

育ての親とはいえ私は、さばさばとした祖母が苦手だった。


「いい加減、決めたらどうだい。

あんなもん、手を突っ込んで適当に掴めばいいんだよ」


はぁーっと呆れたように祖母がため息をつく。


……その結果が、それですか。


ちらりと、祖母の後ろに立っている男に視線を向ける。

目のあった彼は、柔らかく私に微笑みかけた。

髭面で筋骨隆々な彼は、祖母の刀だ。

数えで二十歳のときに彼を選び、以来折れることなく四十三年。

祖母は彼とともに過ごしている。

ちなみに黒スーツ姿なのは、それが刀の制服みたいなものだからだ。


「いや、適当とか言われてもさ……」


ごにょごにょと口の中で呟き、庭石に視線を向ける。

折れたりしないかぎり、選んだ刀と生涯をともにせねばならない。

ならばお婿さんよりももっと慎重に選ばないと……などと思っているのは、私だけなんだろうか。


「うだうだ悩んだところで決まりゃしないだろ。

掴んだそれが運命の刀だ、覚悟決めろ」


「あいたっ!」


私の背後に手を回し、祖母が思いっきり背中を叩く。


「とにかく早く決めておくれよ。

皆、困るんだからさ」


かっかっかっと豪快に笑い声を上げながら去っていく祖母を不満げに睨んで見送った。

申し訳なさそうに後ろの刀――威宗たけむねが頭を下げてそれに続く。

祖母はああいう性格だが、刀の彼は見た目に似合わず繊細な性格で、よくあの祖母と上手くいっているなと不思議に思っていた。


台所でなにかおやつはないか物色する。

来客の残りなのか、紙に包まれた高級まんじゅうがあったのでそれを掴んだ。


「……そだ」


まんじゅうを三つに増やし、三つの湯飲みにお茶を淹れる。

それらをお盆にのせて、私は屋敷の奥へと向かった。


「大ばあちゃん……」


ふすまを開けた座敷のさらに奥、縁側に座っている小さな人影が見える。


「しっ」


私に気づいた、小学生くらいの男の子が人差し指を自分の唇に当てた。


「おやすみになってますので」


「……そう」


大ばあちゃん――曾祖母を起こさないように、小声で話す。

もう年末とはいえ今日は天気がよく、風もない。

日当たりのいいここの縁側はぽかぽか陽気で眠気を誘うだろう。

とはいえ、齢八十を超える曾祖母は、うとうとしていることが多いのだが。


「おまんじゅう、置いとくね。

あとで大ばあちゃんと食べて」


近くのテーブルに持ってきたおまんじゅうのうち、ふたつを置く。


「ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げ、彼は曾祖母の元へ行って持っていた毛布を掛けた。

その様子はまるでおばあちゃんと孫といった感じだが、彼もまた曾祖母の刀なのだ。


「大ばあちゃんに相談に乗ってもらおうと思ったんだけどなー」


厳しい祖母とは違い、曾祖母は私を甘やかせてくれた。

それもあって春光はるみつ――曾祖母の刀とは兄妹のように育った。

けれど。


「……いつの間にか私のほうが大きくなっちゃったな」


無意識に苦笑いが漏れる。

小さい頃は兄のように慕っていたが、今の見た目では私のほうが完全に年の離れたお姉さんだ。


――刀は人間の姿を得たときから見た目が変わらない。


契約の巫女が永久の眠りにつき、自身も再び眠りにつくそのときまで。


「……で。

問題はこれですよ」


部屋に帰ってきて、まんじゅうに齧りつきながら再び鍵と対峙する。

鍵には番号の書かれた木札が付いており、これで各刀を管理している。

当然、その台帳があるわけだけれど、それは役人によって厳重に管理されており、私に閲覧の許可は下りない。


「いっそ、忍び込むか……?」


などと考えたものの、すぐに諦めた。

災害庁の奥深くなんて、一介の女子大生が忍び込めるわけがない。


だいたい、こんなにたくさん鍵があるのがまず問題なのだ。

十本とかならまだそこまで悩まなかったかもしれない。

しかし目の前にある箱の中には百本などといわない量の鍵が入っていた。

それもそのはず、遙か昔より刀は年に一振りずつ生み出されているのだ。

巫女ひとりに基本一振りなのだから、そんなにいらないんじゃないかと思う。

折れたときの予備といわれても多すぎる。

しかし曰く、相性のいい刀を選ぶ率を上げるため……なのらしい。

十本よりも百本、百本よりも千本。

そのほうが相性のいい刀が含まれている率が上がるからとか言われても、こんなに大量だと返って選びづらい。

おかげであのように祖母など、手を突っ込んで適当に掴めとか言ってくる。

まったくもって本末転倒だ。


「あーあ」


堂々巡りは果てがなく、終いには床に寝転んで携帯でSNS巡りを始める。

祖母は適当になんて言うが、私には理想の刀があるのだ。


――母のパートナーだった刀のように美しい刀を選びたい。


それが、私の願いだった。


亡くなった母の刀は、それは美しい刀だった。

絹のように細く艶やかで、漆黒の闇のような長い髪。

すらりと高い背。

白い肌に切れ長な目をしていた彼は、同じ人間か疑うほど美しかった。

いや、人ではなく刀なのはわかっている。

それでも歴代で最高に美しい刀とまでいわれていた。

さらに物腰柔らかく、彼が微笑むだけで老若男女、頬を赤らめる。

それくらい、美しい刀だった。


「髪だけなら私も、似てるんだけどな」


無造作に結んで背中に垂らしていた髪を前に持ってくる。

背中の中程を過ぎるほど長い髪は、彼を真似てだ。

父親のいない私は彼を父のように思っていた。

祖母などは邪魔だから切ってしまえなどと乱暴なことを言うが、娘が父を偲んで髪を伸ばしてなにが悪い?

とはいえ彼は刀であって本当の父ではないが。


私は実の父親の顔を知らない。

おかげで小さい頃は本気で、刀の彼を父親だと思っていたくらいだ。


『私は刀ですから、父親などもったいない言葉です』

私がお父さんと呼ぶたび、困ったように笑っていた彼を思い出す。

そのくせ彼は、私を実の娘のごとくというよりも、実の娘として愛しんでくれた。


そういえば幼い頃、彼は父親ではないと言われるたびに、じゃあお父さんは誰なのかと聞いたが、はぐらかすばかりで答えはもらえなかった。

大きくなるにつれてこれは聞いてはいけない話なのだと悟り、口にしなくなったので今でも私の父親は謎のままだ。

父親だけじゃない、祖父も、曾祖父というものも私には存在していなかった。

祖母がいて母がいて私がいるのだから、それらが存在しなければなり立たないのはわかっている。

離縁した、婚外子だったとしてもちらりとくらい話題に出そうだが、一切そういう話は誰からも耳にしていない。

これは私の、長年の謎だった。

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