ep. バロン侯爵side1
その日は疲れていた。
代々続く歴史あるヴァーレン家。それ故にきな臭いことも多く、一族と言えど気は置けず、一族間での争いも日常茶飯事。
一族の存続と繁栄。その重圧と、ギスギスとした屋敷の空気は私を疲弊させた。
骨肉の争い。その表現がこれ以上ないほどにしっくりと来る争いの果てに、当主となった。
その痛みもあって、この呪いの楔を断ち切りたいと思っていた。だがそんなことは不可能だと思い知る。
ヴァーレン家と言う産物の魅力は強過ぎるのか、前当主に言われるままに婚姻を結んだ女狐同士の争いを、何とか表面化させないようにするだけで精一杯だった。
招かれた会食には、好事家の貴族が呼んだ旅芸人の一座がいた。
ーー早く帰りたい。……いや、帰りたくは、ない。
騒ぎ立てる貴族に適当に返事を返しながら、繰り広げられる芸を眺めて酒をあおったーーその手が、止まる。
黒い髪に黒い瞳。夜の闇を纏ったような、白い肌の美しい女ーー。
年齢がわからぬような幼い顔立ちながら妖艶さを併せ持ち、重力を感じさせない蝶のように旋律に合わせて舞う。その瞳を捕らえて離さない姿に魅了された。
「お招きありがとうございます」
「は……っ!?」
思わずガタリと音を立てて後退った私に、部屋に入室するなり丁寧に頭を下げた女は奇妙な顔をした。
勧められるままに宿を借りた私に、好事家が気を利かせたのだと直ぐに気付き歯噛みする。
「ーー申し訳ない、屋敷の貴族が要らぬ気を利かせたようだ……」
「……そうでしたか」
眉間にシワを寄せて片手で顔を覆った私に、無表情に美しい女はしばしの後にその表情を緩めた。
「ーーでしたら、私はこれで。ゆっくりお休みになってくださいませ、侯爵様」
「待ーーっ!」
「………………何か……?」
思わず引き留めて、女を再び無表情にしてしまってからハッとなる。私は何をしているのか。
「ーーいや、引き留めて失礼した。お詫びに、良ければ酒でも飲んでいかないか。用意して貰った果物や食べ物も、私1人では食べきれない量だ」
「………………ご温情、心よりお礼申し上げます」
心から信じていない顔だ……っ! と内心変な汗をかきながら、私は立場的に下手を打てなかったであろう女の手を取り部屋へと招き入れる。
引いた椅子に促され、好事家が用意した酒と果物、料理を目の前にした女の闇のような黒い瞳は、それらを無表情で眺め下ろす。
「……安心しなさい、別に取って食おうとはしていない。私は既に妻子持ちで女に困っていない上に、火遊びの趣味もない。旅芸人は過酷と聞いた。良ければ好きに食べて、気が済んだら戻るといい」
「…………いつもこういった方法をお使いなのですか?」
「…………まぁ無事に帰れなければ、今何を言っても無駄だろう。好きにすればいい」
言葉を重ねたところで、女の生死が私の手中にある以上どうしようもない。言うことは言った。もう相手にするのはやめようとした時、女が笑った。
夜の闇に浮かぶ月のような美しさに、言葉を失う。その笑顔が、脳裏に焼き付いて今も離れない。
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