9.接触

 しばし、反応がない時間が訪れた。


 ルド様を囲む女生徒たちが突如現れた他校の女生徒と、騎士然とした好青年にざわざわとする最中。


 当のルド様は感情の読み取れない表情で、突然現れた謎の2人組をその蒼い瞳で注意深く観察しているようだった。


「ハンナ・ルーウェン……?」


 小さく今しがた聞いた名前を呟いて、私の顔を眺めた後、今度は私の左後ろにいるであろうガロウさんにルド様の視線が移動する。


 ふむと呟き、ルド様の顔に王子様のような笑顔が再びペタリと張り付いた。


「これはこれは、愛らしい小鳥ちゃんが訪ねて来てくれたものだね。その制服は淑女学校のものかな。可憐な小鳥ちゃんを更に愛らしく魅せてくれるようだ」


 ちょっと失礼するよと、周囲の女生徒に優しく断りを入れてから、ルド様は私の手を取りその甲に軽く挨拶のキスを落とす。


 女生徒たちからは、ただの社交辞令の挨拶に対してさえも、嫉妬混じりの異様な視線を向けられている……気がするのは私の考え過ぎかも知れない。


「小鳥ちゃんたち。本当はもっとずっと話していたいけれど、今日はわざわざ遠くから会いに来てくれた小鳥ちゃんがいるから、名残惜しいけれどまた明日会いに来てくれるかな」


 くるりと身体の向きを変え、背後に集う女生徒たちに優しく語りかけるルド様に、悲しみの声が沸きあがる。


「そんな悲しそうな顔をしないで、小鳥ちゃんたち。僕はいつだって小鳥ちゃんたちの止まり木として、どこにも行かないのだから。また明日元気で健気な可愛い小鳥ちゃんたちの声を聞かせてくれるとすごく嬉しいのだけれど」


 女生徒たちへ語りかける内容は不可解であるも、まるで演説でもしているかのように1人1人の顔を見ながら話している。


「……ルド様がそう仰るのでしたら……」


 大人しく引き下がる者や、まだ何か言いたげな者など反応は様々であるものの、最終的にはルド様の親衛隊のような女生徒が何人かでその場を仕切り出し、その場の空気を誘導していった。


 とても痛い視線をこの身に無数に突き刺さされつつ、女生徒たちは謎の訪問者を怪しみながら1人、また1人と名残惜しそうにその場を後にして行く。


 騒がしかった庭園は、その騒々しさが嘘であったかのように静かになった。


 美しく手入れされた庭園に遊びに来た本物の小鳥たちが、可愛らしく囀る声が聞こえてくる。


「さて、場は整ったと思うのだけれど、小鳥ちゃんは僕に一体何の用事だったかな?」


 ニコリと人の良い笑みを浮かべながらこちらに向き直るルド様は、改めてこちらを観察しているようだった。


 遠目に見ても王子様のような容姿だったルド様は、その整った顔と雰囲気は近くで見ると更に王子様然として緊張してくる。


「突然に押しかけた上に、歓談の場をお邪魔してしまい大変申し訳ありませんでした」


 まずは失礼のないように謝罪をと、丁重に頭を下げる。


「あの場に分け入ってくるほど、小鳥ちゃんは僕に大事な用事があるのかなと思った僕の判断だから、気にしなくても大丈夫だよ」


 ニコリと物腰柔らかく応対してくるルド様に、優しい……っ!と心の中でくらりとする。


 あまりの優しさに、あれ? これは婚約破棄必要かしら? とか心の中で揺れながら、あせあせと緊張から視線を揺らす。


 だいぶ変わっている言動なのに、あれだけの人気で、見ず知らずの怪しい小娘にもこの対応をしてくれる優しいルド様になら、単刀直入に婚約を困っていることを打ち明けても大丈夫そうな気がしてきた。


 勝手に緊張していたのもルド様の空気に触れて緩み、肩の力が抜けるのを感じる。


「ご配慮痛み入ります。実は、婚約についてお話ししたく本日は参りました」


「婚約? まさか小鳥ちゃんは僕と婚約がしたい……なんてお願いかな?」


 告白か何かとでも軽く考えていたのか、さすがに少し緊張の走る表情を一瞬見せたルド様に、私は慌てる。


「あ、いえ、そうではなく、すでに結んでいる婚約のお話しについてです」


「……それは誰と誰の婚約の話しかな?」


「えっと、私とルド様の……です」


 ん? ん? ん? と言う表情をさすがに誤魔化し切れず、こちらの意図を測りかねている様子のルド様に更に焦る。


 どうやら当人は知らないパターンと伺えた。


「私も先日両親から伺ったのですが、ご存知ありませんでしたか……?」


 信じて貰えずに変な娘と思われたらどうしようと、嫌な汗を感じながらルド様を見つめる。


 なにせあの人気ぶりであるからして、変な娘の1人や2人くらいはいそうなものであるし、側から見れば私はどう考えても怪しい。


「……あー、そういったことは特に僕の耳には入っては来てはいないけれど、小鳥ちゃんがそう言うならそうなのかな」


 こちらの心配を他所に、ルド様は少し思案した後に、かるーく返してくる。


「……で、僕の将来のお嫁さんな小鳥ちゃんはその婚約話しをどうしたいのかな?」


「……あの、大変恐縮なのですが、もしルド様も婚約にご納得でないのなら、再考して頂けないかとお願いに参りまして……」


 ルド様自身も婚約について知らないのならば、考えても仕方ないと思い、単刀直入に尋ねる。


 もしかしたら、婚約破棄を協力してくれる心強い仲間になれるかも知れない。


 こちらを思案しながら眺めるルド様を、期待のこもった眼差しで見返す。


「小鳥ちゃんの要件は分かったよ。婚約が急に決まって驚いちゃったんだね」


 可愛いなぁと呟きながら、ルド様は私の頭をぽんぽんと軽く撫でた。


 前世の記憶はあるものの、今世での男性への免疫が一切経験のない私は、予想外の扱いに瞬時に身が強張る。


 身体が熱くなり、変な汗が出る私の頬を、ルド様はそのままつつつと指先で撫でた。


 半ばパニックになりながらルド様を見上げる私の顔を、王子様然とした顔色一つ変えない顔で見返し、ニコリと艶やかに微笑みながら口を開く。


「残念ながら協力は出来ないかな」


 優しい笑顔と裏腹に返された言葉は、私にとっては地味に予想外の返答だった。

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