1.最初の敵は…
豪華な調度品と朝ご飯が並ぶ長方形の食卓に、普段には似つかわしくない空気が流れていた。開け放たれた窓から零れてくる鳥のさえずりや木々のざわめきがありがたいほどに。
気のせいか、気のせいではないであろう突き刺さる家族の視線をその身に浴びながら、私はもう一度お父様に同じ言葉を繰り返す。
「お父様、私はやはり婚約を考え直したく思います。このまま自立や苦労もせずにルド様に嫁いだとて、よい夫婦関係を築いていけるとは到底思えません。山あり谷ありの夫婦関係を乗り越えるために、私は自己を磨きたく思います。」
同じ言葉を復唱しても尚、家族一同、特にお父様のぽかん具合は相当なものである。ちなみに”ルド様”が渦中の私の婚約者様16歳で、話は聞いたことがあるものの本人に会ったことはまだない。
19歳のアラン兄様はその柔和な笑顔のままにピシリと沈黙の流れる場の動向を伺い、16歳のライト兄様は人の悪い笑みを浮かべながら面白そうにこちらを眺め、9歳の弟ニースは「?」を浮かべながらその愛らしい表情で愛嬌をふりまいているのが目の端で伺える。
「それはなりませんよ、ハンナ」
ぽっかーんと音が聞こえそうなほどに固まっているお父様が口を開くよりも早く、柔らかいけれども鋭くぴしゃりとした声音が静かな室内を更に静寂へと誘った。アラン兄様の笑顔がピクリとし、ライト兄様が舌を出して首をすくめる。
ニースはその無垢な表情を、室内を更に静寂へ陥れた主、お母様に向ける。
「それはなりませんよ、ハンナ。あなたはこのルーウェン家の一人娘です。これまであなたが何不自由なく暮らしてこられた理由はあなたがこのルーウェン家であるからこそです。誰でもが手にできるものでないからこそ、あなたにはあなたのルーウェン家での役割があるのです。それをあなた一人のわがままで放り出すことは許されません」
聞き間違いか、静かに、けれど決して反論を許さない声音で2度同じセリフでたしなめられた。お母様はにこりと私へ笑いかける。とはいえその目の奥はまったく笑っていない。
「私のような若輩者が苦労も知らず嫁いでもご迷惑になるだけだと思いますが」
「そのようにならぬよう私が幼少より教養を教えているでしょう。どうしたのですか、ハンナ。婚約については先日もお話したでしょう」
「お母様に押し切られましたが、やはり納得いかないのでこうしてお話をしているのです」
「何が不満なのです。家柄も性格も申し分のないお相手で、しかも年の頃もハンナと同じ頃合いの16歳ですよ。一昔前では当たり前であった10も20も年の離れた小汚いオヤジに嫁がせようとしている訳でもなく――」
「そういう問題ではありません。自分でこの人と決めた殿方と一生添い遂げることすら難しいのが結婚です。それを政略結婚で進められたところで私には無理だと改めて実感したのです」
「実感も何も付き合ったことすらないでしょうに」
「付き合ったことくらいありま――」
「なっ、どこの誰…っ、いえ、まさか何もしていないでしょう――」
「レ、レミア……少し落ち着きなさい……」
ヒートアップしたお母様を控えめにたしなめた、20も年の離れたお父様はふぅと息を吐き汗をぬぐう。思わぬ角度からの攻撃にその表情には複雑さがにじむ。
アラン兄様はすべてを悟ったかのようにお得意の笑みをただただ顔に貼り付ける作戦に出はじめ、ライト兄様はついに笑いをこらえきれずにぶふっと吹き出したのを取り繕っている。ニースは会話に飽きたのか足元に寄ってきたルーウェン家の愛猫を抱き上げてご満悦だ。
「ハンナ、ひとまずお前の気持ちはわかった。だが、婚約とは相手がいて、お互いに立場というものもある。簡単にするしないと決められるものでもないし、覆せるものでもない。賢いお前ならわかるだろう?」
「……はい」
とはいえ、心の中で私の意思をなまじ無視して婚約を取り付けたのはあなた方ですよねとつぶやく。
「あと、込み入った話は私の部屋に来なさい。ひとまず話は保留とするから、お前たちは各々学校へ向かいなさい。よいね」
「……」
何もよくないと思ったが、この流れになったお父様に話を続けることは今は諦め、私はまだ何か言いたげなお母様の視線に気づかないふりをして食卓の席を立った。
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