能ある鷹は爪を噛む

鷹橋

第1話 Introductory

【能ある鷹は爪を隠す】 意:本当に力のあるものは、みだりにそれをひけらかすようなことはしないというたとえ。




 ここ東京帝都大は日本の最高学府の中でも最高学歴とうたわれる大学である。だからというわけではないが、入学式は東京のど真ん中。武道館なるところで大々的に執り行われる。

 一学年あたり三千名そこそこの大所帯でもある。が、悲しきかな、三年次からの振り分け制度によって大半が工学部へ移行するため、理系が大多数を占めている。それによって言わずもがな、男子学生諸君がマジョリティなわけだ。

 四対一くらいの割合で女子学生も混じってはいるのだが、彼女たちは彼女たちなりの慎ましい学生生活を送る予定でもある。勉強熱心な大学柄ということもあり、全体的に見ても色恋沙汰にも発展しないのだ。

 そんな大層立派である大学に入学した男がひとり。彼もまた清廉潔白な学生生活を送る羽目になるのだろう。

 決して女性に興味がないなんてわけではない。そりゃあ六年間も続いた男子校生活からおさらばした彼自身を自由にしてあげたいって気持ちもあるようだ。

 入学式には似つかわしくない学生が夢前 由鷹。

 他の新入生はみんな期待に胸なんか膨らませてしまって、羽目まで外さんとしている。テレビの取材も来ている。浮かれるなっていうほうが無理な話である。

 桜の花びらが舞う中、かわいい黒髪ロングの女子学生と出会ってしまいすったもんだあって、「楽しい学生生活だったなあ」と三十年くらいあとで懐かしく郷愁に浸るまでが物語の黄金律かもしれない。そうは問屋のほうも卸してはくれないのが人生。彼にとっての男子校六年間についても、初めのほうは苦労をしたことを彼も忘れていなかった。

 とぼとぼと途方に暮れながらスマホを片手に握り、いじりながら歩いている由鷹。彼には対人関係のスルースキルが十二分に備わっていた。スマホを見ていながらでも他人を避けられる。

 誰かとぶつかりそうだなとなったときにはすぐ彼は立ち止まって相手に進路を譲れる。とても器用な男だ。

 例に漏れずぶつかりそうになって立ち止まった。相手も止まる。こういうパターンがいちばんやっかいだ、と由鷹の顔は険しくなった。どちらかが動くのを牽制しあっていると、らちがあかない。自分が動いた場合、相手が呼応してくれないと、ぶつかる。

「「お先にどうぞ」」

 両方の声がかぶった。考えていることは同じだった。

「いや、僕は急いでないですし。待ち合わせもしていないので」

「ありがとうございます」相手はぺこりと擬音が付くようなお辞儀した。丁寧な人だな、由鷹はそう思う。

 声の主はいささか華奢な女子学生のようで、黒縁のめがねをしていた。頭にはハンチング形の黒い毛糸のふわふわとした帽子をしていて、髪の色とか長さまではわからない。帽子が膨らんでいるのだから髪の毛は長いのかもしれない。男子校時代の六年間ではとても聴く機会のなかった、高くて可憐な声だということは由鷹にもわかる。

「あの」

 そんな可憐な女子学生さんが由鷹へ話しかけてきている。由鷹は怪訝な顔を一層深める。

「はい?」

「もしよろしければ、私と一緒に式にご出席されませんか」

「そうですね」由鷹は少し間を置いてから「僕の高校からは、僕しかこの大学には入ってないんでお誘いはうれしいくらいです。……でも初日から男女二人で大丈夫なものなんですか?」と、念のために確認をした。

 女子学生は満面の笑みと一緒に、

「ぜんぜん平気です!」と言い放つ。由鷹は逆に戸惑ってしまう。彼の右手に握っていたスマホをスーツの内ポケットにそそくさと隠した。

「どうも。僕は、夢前 由鷹。ゆめのまえの夢前に、由来の由に、鳥の鷹でゆたかです」

 女子学生は、持っていた鞄から何かを取り出そうとしていた。名刺でも持っているのかな? と由鷹が見つめていると、中からミルキーの大袋をつかんでからその一つ取り出して、おもむろに彼のほうへ手を伸ばした。

「飴ちゃんです。今日のはミルキーだから、飴、かどうかは微妙なところですが!」

 と、ほほえんだ。

 由鷹も口角を上げる。

 由鷹に黄色い包みのミルキーを渡してきた。とても愛らしい。小動物みたいな雰囲気の女子学生だった。

「ごめん。ありがたいんだけど、こちらからは何も返せない」

「気にしないでください。話の種ですよ」

 ミルキーの袋を鞄にしまってから、女子学生は顔を上げた。女の子って笑うとえくぼできるんだなあ、と由鷹はしみじみ考えていた。

 マスクがないとわかりやすく見えた。

「私は、長谷川 澪です。普通の長谷川に普通の澪です。ちなみにミルキーには種はありませんからね」

 知っているよという言葉が由鷹の脳裏をよぎるが、これも彼女なりの話の種なのだろう。ありがたく頂戴することにした。あえて深くは言及はしない。

「久しぶりにミルキー食べた気がする。これでよく歯の詰め物を持ってかれたんだよな」

「ミルキーはなめるものです。噛んだらだめですよ!」

 と言ったあとに、どこからか自分のミルキーも一つだけ取り出して口に入れていた。由鷹も同じく包みを剥がして口に含む。

「初めはあんまり甘くないのです。だんだんと甘くなっていくのです。でも噛んではなりません。ゆっくり口の中で転がして楽しむものですよ。焦らず焦らず。人生みたいなもんですよ」

「は、はあ」

 違う意味でやばい人に捕まったのかもしれないと、由鷹は戸惑った。

「このミルキーが溶けた頃にはちょうど式も始まると思うので、もうそろそろ中に入ったほうがよいかもです。ただ、私は先約があるのでドロンをせねば……」

「え、長谷川さんが誘ったんだよね?」

 と言うと、困ったみたいな顔を長谷川さんはした。

「ごめん」

 とだけ由鷹は言った。言葉は軽く消えていく。

「うん。ありがとうね」彼は立ち去ろうとする。また長谷川さんは困っている。

「スマホ……。連絡先をば」

 長谷川さんはまた鞄をごそごそと手を突っ込み、スマホを取り出した。由鷹はスーツの内ポケットに入れていたこともあってすっと取り出した。

「二次元コードを出せばいいかな?」

「お願いします」

 慣れた手つきで二次元コードを出して、長谷川さんはそれをカメラで読み取った。

「苦しゅうない。ありがとうございました!」

「いやいや、こちらこそ」

 双方ともお互いにミルキーを含ませているから口が動かしづらくて、もごもごと辿々しい。ミルキーを口の入れたのは失策では……? とすら思う。

「また今度連絡するよ」

「はい! またね!」

 またね、か。なんだか大学生が言うところの「よっとも」くらいにしかならないような気がするのだよなあ。

 一人残された由鷹は考えていた。武道館の大きな扉の前には他の新入生たちが集まっていた。

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