中卒労働者な俺、異世界で最高の料理人になります!
鼈甲飴雨
一話 醤油ラーメン 1
「大将ー! 鶏のから揚げ四つ! 後、この焼き鳥って串焼きもー!」
「はいー!」
忙しなく働く。
熱された揚げ油の前のムッとした空間に陣取りつつ、炭火を並べたコンロでてきぱきと仕上げ用の串を並べ、甘辛いたれを付けた。
下味をつけ、衣を付けておいたその唐揚げを揚げていく。揚げ油は二種類用意している。米油と植物油の配合は変わらないが、一つは温度が低い。まずはそこでじっくりと中まで火を通し、最後に高温の油でカリッと仕上げる。
本来、醤油がなければ日本風の唐揚げは厳しかったりしたが、ひょんなことから醤油を大量に仕入れることに成功して、多種多様な日本食を展開できていた。
こっちの料理も覚えたいけど、まずは自分のなじみ深い料理をこっちの食材に合わせて改善していく作業があるしな。
でも、そろそろ……俺一人で回すのは限界があるかも。
せめて、ウェイトレスがいてくれたら……人を雇ったことなんかないんだけど、そこらへんは同業者に相談して、相場を教えてもらって、設定しなければ。
とりあえず――
「おーい、ハンバーグ定食二つ!」
「こっちは焼き魚定食頼むわー」
「お待ちをー!」
とりあえず注文が頭からすっぽ抜けるようなヘマをしない体に産んでくれた母親に感謝しつつ、料理を並行作業で作っていくのだった。
これは、異世界へと飛ばされた俺による、冒険も特になければ命のやり取りもなく、ただ単に日本にいた頃と変わらず、メシを作り続けるだけ。
そんな俺の、日常の話だ。
俺こと久瀬亮人は中卒労働者である。
決して頭が悪かったわけではない。進学校にもちゃんと進むことができる脳みそくらいはあったのだが、親との相性がそらもう悪かった。進学に費用を出さない、後は出ていって好きに暮らせと実質の育児放棄を中三の冬にぶちまけられ、キレた俺はそのまま家を飛び出し、まず居酒屋で住み込みで働かせてもらった。そこから二年勤め、調理師免許を取得。ラーメン屋、中華、隠れ家的フランス料理店、一つ星ホテルなどを渡り歩き、十九歳で居ついた寿司屋での修行中、帰宅途中で意識を失って――
――気づいたら、よく分からん場所に立っていた。
福岡人こと俺は、その景色を熊本で見た事があった。無限に広がる大草原。その向こうに、何か街のような見えるが、なんか、よく分からない生き物が闊歩していたり、牛っぽいのやなんか巨大な生物がのっしのっしとやはり歩いていた。
何だここは。どこなんだ?
そんな当然の疑問はさておいて、喉の渇きを覚えた俺はこりゃヤバいとその見えていた街に向かっていった。草原を駆け抜ける。アスファルトと違う大地の感触と、新鮮な自然の匂いを、肺いっぱいに吸い込みながら。
何とか乾ききる前に街に到着できたが……こんな街並みは、本当に現代なのだろうか。
きょろきょろと右往左往する俺はおのぼりさん以外の何者でもなかったが、仕方がないだろう。だって、レンガ造りの道はおろか、白い土壁の家々が軒を連ねているのはまだ理解できるが、髪色が水色だったり金髪だったり真っ赤だったり緑だったりと、更には耳が長かったり背が低かったり肌が緑だったり青だったりするんだもの。何もかもが物珍しくて、思わず目で追ってしまう。
しかも、市場で売られている食材も食材だ。鶏だろうか。やたらデカい肉が鎮座しており、漫画肉的なそうはならんだろ的な肉すらもあるのだから。もう訳が分からん。
「お兄さん、お兄さん!」
そう声を掛けてきたのは、色の白い女の子だった。淡い桃色のウェーブした髪に、少し古めかしい革のローブに若草色のワンピース、白いタイツにブーツという格好が何とも物珍しい。けれど、雑多なこの中では溶け込んでおり、俺の普段着のジャージが浮いていた。手には杖なんかが握られているが……。何か、老人が使う魔法とか出そうなやつ。
大きなマリンブルーの瞳がこちらを覗き込んでくる。うっわ、可愛い。何て整ってるんだこの子の顔は……。何か気品すらも感じる。
「どうしたの? 見ない格好だし、もしかして困ってる?」
「……現在進行形でね」
肩を竦め、両手を上げて見せる。お手上げだ。
「何で困ってるの?」
「えっと、ここがどこだか分かんない。気づけばここにいて、多分ここで使えるお金もない」
「財布はあるの?」
「あるよ」
「見せて」
俺は財布を取り出して、彼女に渡した。カードとか色々入っていたが、このどうみたって中世ヨーロッパのファンタジーっぽい雰囲気でどうにかできる文明のレベルじゃない。
その証拠に、小銭を見て驚いているのだから。
「こ、こんな綺麗な細工の硬貨を、いっぱい……!? ひょ、ひょっとして、どこかの貴族!?」
「いやいや、ド平民」
そういや言葉は通じてるな……なんでだろうか。
「この国の共通言語は?」
「へ? きょーつーげんご……? 言葉の種類ってこと? 多分、どこもそんなに違わないよ。ああ、リンガではなんか堅苦しい言葉になるし、シャンバールでは不思議な、所謂訛りってやつになるって聞いたことがあるなあ。いつか行ってみたいなあ、リンガもシャンバールも!」
と言われても。どこにあるどんな国であるかは全く分からない。やはりここの他に国がたくさんあるようだ。まさか二つなんてことはないだろうし。にしたってここはどこなんだろうか。日本語がたまたま通じる世界? んな馬鹿な、都合が良すぎる。俺はなんで草原のど真ん中で立っていたんだ? 俺はこれからどうなるんだ?
考え込んでいると、なんかいい匂いがして顔をあげると、間近に彼女の顔があって思わず距離を取った。め、メッチャビックリした。女の子ってこんな花のようないい匂いするんだ……。十九年生きてきて初めて知った。
「君、ヘン!」
「……だろうね」
宣言された言葉をごくあっさりと飲み込む。
「ありゃ、自覚あるんだ」
「君から見れば変だろうけど、俺もこの状態にしこたまビビってるというか……」
逆に冷静になってしまう自分がいるのに気付いた。困窮を極めると開き直れてしまうというのは本当だったのか。
そんな時、くきゅるーと可愛いお腹の音。目の前の女の子が真っ赤になっていた。うわ、そんな顔もなんか可愛いな。女の子をじっと見る余裕出来たのマジで久々なので何か見入ってしまう。
「そ、そんなにこっちを見ないで欲しいというか……。ご飯、ご馳走したげる。うちにおいで! とりあえず!」
そう笑顔を向けてくる彼女に、俺は少々躊躇いを覚えた。善意なのは分かる。この瞳から悪意を全く感じない。感じる奴がいたら心が汚れている。俺みたいに。
「……渡りに船だけど、良いのか? 俺しこたま怪しいと思うんだけど」
「あはは、武器なんか持ってたらそりゃ警戒するけど、何も持ってなさそうだもん。私もこの街にきた時に親切にしてもらったし、お返ししたいんだ!」
「そ、そうか。じゃあ、受け取っておく」
「うんうん、おいでおいで!」
先導する彼女。歩くたびに、結構な大きさの胸も揺れている。大きい。柔らかそう。
……胸か。胸肉。鶏むね肉を連想するな。あれは調理法を間違わなければしっかりとしっとりした出来上がりになる。生食を出しているいかれた居酒屋があるが、鮮度があったって当たったりするのでアホのやること、火はちゃんと通せと教わっている。事実その通りだと思うので、俺も徹底しないとな。
そんなことを考えていると、俺は彼女にぶつかった。
「あ、ごめん」
「ううん。それより、ここ! 私の工房なの!」
見慣れない文字が。何と読むのだろうか。
「ありゃ、読めない?」
「読めないなあ」
「シャリエッタの錬金術工房! 改めまして、私シャリエッタ……えっと、家名はヒミツ! シャリエ、とか、リエッタ、とか呼ばれてるけど……」
「えっと、俺がいきなりそう呼んでいいのかな?」
「いいよ! 好きに呼んでね! 君の名前は?」
言われ、俺は確認するように自分の名前を口にする。
「くぜ、りょうと……うん、俺は久瀬亮人。君ら風に言うと、リョウト・クゼになるのかな」
「リョウトね! えへへ、待ってて! 料理するから!」
……え、料理?
調理器具といえば、デカい鍋がぐつぼこしてるだけ……
「まさか、それにぶち込むの?」
「え、うん」
うわぁ……。何か一言で形容するのが難しいものの、闇鍋という言葉が真っ先に出てきた。途轍もない嫌悪感がある。
「俺が作るよ……」
「えー、ここじゃ錬金術でも使わない限り作れないよ?」
「火があればなんとかなるから。調理器具見させてもらうよ」
ふむふむ、一通りは揃ってる……あれ、なんだこの液体。黒い。で、こっちは……あれ、この匂いは……
「これは?」
「ああ、大豆から何か新しい錬金術できないかなーって思ってたら、失敗しちゃって。なんかしょっぱいのが出来ちゃった。液体になったり、なんか……その、アレみたいな見た目のやつが出来たりして……」
醤油じゃん。味噌じゃん。舐めてわかった。なるほど、錬金術ってこういうことできるんだな。
俺はとりあえず、鍋にぶち込もうとしていた鶏肉に塩、コショウの下味をつけて、皮を伸ばし、皮目からフライパンで焼いていくことにした。遠い火でしっかり中まで火を通し、串を差して透明な汁が出たことを確認したら、そのフライパンにバターと醤油をたらし、バター醤油ソースを作った。その上に、薄切りにスライスしたレモンをあしらう。
簡素なチキンステーキが完成して、彼女は不審そうに匂いを嗅ぐ。その顔がパッと華やいだ。
「あ、いい匂い……! 焦げた失敗大豆の匂いがするけど、これが香ばしいね」
「食べてみてくれ」
「い、頂きます」
パリ、と皮の音。何回か噛んで、彼女は目を輝かせた。
「じゅ、ジューシーで美味しい! このソースもすっごく美味しいよ! あれ、これ失敗作で作ったんだよね!? こんなにおいしくなるなんて!」
「これは俺の国では醤油って呼ばれてる。こっちの、見た目あれなのは味噌だよ。失敗じゃないと思う。天才だよ、リエッタ」
「え、えへへ……! やっぱりリョウトもそう思う? 私も自分のこと天才肌だって思うんだよねー!」
調子に乗りやすい性質らしい。上機嫌で切り分けた肉を食べている彼女を見て、俺は見かけた井戸で水を汲み、飲み下す。冷えた感覚が喉をスッと通り、体を潤いが駆け巡るのを感じて、もう一口。落ち着いた。そのころには、あっという間に彼女が食事を平らげてしまっていた。早いよ、もっと噛みなよ。
「リョウト! お店だそうよ! 協力する! すっごく料理が上手だもん、きっと流行ると思う!」
「いや、俺金ないし……」
「ふっふっふー、私は敏腕錬金術師だよ? お店のひとつと開店資金くらいあるに決まってるじゃん! その代わりー、私はいつ来てもタダにして! ね? これが飲めるなら、お金貸してあげる!」
「……」
我ながら即座に快諾できない気の小ささにあきれるが、自分の店と思うと心に熱いものが滾る。
いつかは、と思っていたが、こういう形でチャンスが巡ってくるとは。
未熟者だとは思う。それは今だに思っているし、もっともっと勉強すべきだと思う一方、俺は自分の力でどこまでやれるか試してみたいという気持ちも確かに抱いていた。
新しい土地。本当に自分がやりたい店……
「分かった、任せたよ、リエッタ!」
「任された! 早速話付けてくるねー!」
舌を出しながらのサムズアップに同じポーズを返した途端、彼女が踵を返して駆け出していった。あーあ、工房放り出して……。
とりあえず……
「この釜、火つけっぱなしでいいのか……?」
ひたすらに湧きっぱなしのこの怪しい液体の入った釜の火の番という役目を、俺はとりあえずこなすのだった。
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