第3話 天空の道
分岐路B-3を行き過ぎてから、一年後。
私は相変わらず、迷宮の中を歩いていた。
変わり映えのしない生活だったが、その日はちょっとした事件が起こった。
突然、どこからか朗らかな呼び声が聞こえてきたのだ。
「おーい!」
声は高いところから降ってきている。探してみると、迷宮の壁よりさらに高い空中を、テクテクと歩いている少女を発見した。
私は目を丸くして尋ねた。
「あなた、空を飛べるの?」
すると彼女はクスクスと笑う。そして、両足を交互に、力強く、踏み鳴らしてみせた。
「違うよ。ここにはね、透明なガラスでできた道があるの」
少女が足を動かすたびに、コンコンと硬い衝突音が鳴って、ここまで響いてくる。なるほど、と私は納得した。その少女は、空を飛んでいるのではなくて、空中に敷かれた見えない道を歩いているのだ。
驚く私の反応が面白かったのか、少女はまだあどけなさの残る表情で、イタズラっぽく笑っている。私はしばらく呆気に取られて、彼女を見返した。
少女が着ているのは、白い襟のついたピンクのワンピース。茶色い髪は三つに編んで、後ろに垂らしている。さらによく目を凝らしてみると、その肩には、一羽の青い小鳥が止まっていた。作り物かと思った矢先、その鳥はチチッと可愛い声で鳴く。どうやら本物らしい。
青い鳥を引き連れて、ふわふわの綿雲を背景に、空中を歩く。その少女はまるで、御伽話の世界から飛び出してきたようだった。無味乾燥な地上を歩く自分とは、大違いである。楽しそうに空を散歩する彼女を、羨ましく思いながら尋ねた。
「その道、どうやって見つけたの?」
「分岐路B-3っていうところで、右に曲がるのよ。そうすれば、ここに来られるわ」
「分岐路B-3で? あそこには、扉が一つあるだけで、右に曲がる道なんてなかったと思うけど」
すると少女は、得意げに胸を張った。
「私も最初はそう思ったの。だけど、わざわざ分岐路って書いてあるってことは、何か他の道もあるんじゃないかと思って。ちゃんと探したら、右側の壁に隠された扉があったわ」
「そうだったんだ」
それを聞いて私は、どうしようもなく悔しい気持ちになった。
分岐路B-3にはやっぱり、隠し扉があったのだ。
もしあの分岐路で、もう少し粘っていれば。
もしあのとき、右側の扉を見つけることができていれば。
そうすれば今頃、こんな地べたを這うようなつまらない道を抜け出して、少女と一緒に天空から地上を見下ろしていたかもしれない。
私は奥歯を噛み締める。
しかしそんな後悔も、少女の次の言葉で、一気に虚しさに変わった。
「でもね。隠し扉を見つけるの、すごく難しくて、十五分ぐらいかかっちゃった。私は黒壁のことが見るのも耐えられないくらい嫌いで、いつもせかせか歩いていたから良かったけれど、そうじゃなかったら時間が足りなくて、見つけられなかったかもしれないわ」
私は思わず、眩しい道を歩く彼女から目を逸らした。
私はいつも、黒壁が見えるくらいの位置をのんびりと歩いている。実際、分岐路B-3に立ったときも、私には三分間の猶予しかなかった。しかし他人が十五分かけて見つけたものを、自分が三分で見つけ出せるとは到底思えない。
つまり最初から、天空の道に通じる扉は、私の前には開かれていなかったのだ。
黙っていると、少女は高い空を見上げながら、残念そうに唇を尖らせた。
「でもなぁ。欲を言えば、十五分と言わずに、もっとたくさんの時間が欲しかった。だってもし、もっとたくさんの時間をかけて、あの分岐路を調べていたら、右側だけじゃなく、左側にも扉が見つかっていたかもしれない。そして左側扉には、もっといい道があったかもしれないわ」
痛いところを、さらに突かれたように感じた。たしかにそうだ。分岐路の先に伸びる道は、いつも二択とは限らない。もしかしたら三つ、いや四つ、あるいはそれ以上の選択肢が、分岐路B-3にはあったかもしれない。
それなのに私は、ろくに考えもせず、安易に目の前の扉に進んでしまった。転がり込んできたチャンスを、自らふいにしてしまったのだ。
悔しがっていた少し前の自分が、とても滑稽に思えてきた。
やっぱり愚かな私には、地べたを這う道がお似合いだ。
一方、はるかな天空を歩く少女は、こちらに向けて小さく手を振る。
「私、急いでるからもう行くね!」
「急いでるって、何か予定でもあるの?」
「ううん、別に。でも急ぎ足で進み続ければ、その分、黒壁からの距離が遠くなる。そうすれば次の分岐路に差し掛かったときに、もっと考える時間を持てるかもしれないでしょ?」
青い鳥を連れた少女は、そう言い残して駆け足で去っていく。別れ際に小鳥が発した歌うような声が、長いこと耳に残った。
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