盗賊視点のラストバトル ~VS左右咬蛇龍カクゥヨムス~

水白 建人

最終話

 おれには三分以内にやらなければならないことがあった。

 まだ、まだ猶予はある。覚悟がしたい。

 おれは水銀のように融かされた右腕が乾き果てた地にしみゆくさまから目を背け、片膝をかがめたままあたりを見回す。

 星なき虚空はいやに近く、暗き眼下は深淵のごとし。

 ここは生まれざるはずの空間の隙、時空の裂け目を無理に広げた閉ざされるべき領域。

 かいびゃくしたものがそのはずみで引き寄せた大地の残骸が浮島のようになっており、おれたち人間はかろうじて落下を免れるためにそれらを足場とするほかない。

 陽光も、重力も、時空の裂け目が中心だ。

 薄く空気はあるが、熱には事欠く。あまりに冷える。

 覚悟がなければ、あの奈落の底に身を投げてしまいたくなるだろう。

 ――――できるものか。

 時空の裂け目を螺旋に縛る、金の大蛇と銀の巨龍がいる限りは。

 左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムス。

 おれたちが追い詰めた宿敵であり、おれたちのせいゆうしゃをふたつの口で咬みちぎった魔王だ。


 顔を上げた先の、いくつかの漂う足場に仲間たちが見える。

 せいゆうしゃは両手両足をなくして倒れたきり、ぴくりともしない。

 ふるつわものは融けきった。

 僧侶はひざまずき、涙ながらに眠れる神へと祈るばかり。

 魔法使いはもの言わぬ魂と化している。

 奈落の底への逃亡を試みるも、時空の裂け目が発する重力に抗いきれず、左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスにあえなく食われたからだ。

 盗賊おれはまだ、戦える。


 踊り子は――――もうじき三か月を迎えるだろうか。

 置いてきてよかったと、心から思えてならない。


 おれには三分以内にやらなければならないことがあった。

 だからおれは立ち上がる。

 僧侶が左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスのあごで叩きつぶされようと、眉ひとつ動かさない。

ジョウザイナド生ヌルイ。ワガアギトニテ、出ル杭ヲ打ツガゴトク滅ボシテクレル」

 繰り返し振り下ろされる魔王の暴威。

 ついには僧侶がいた足場が血しぶきもろともはじけ飛び、金の大蛇は山にも勝る頭をもたげた。

「執筆セヨ。無双ナル真世界ノ開闢者デアル、ワレラガ金字塔ヲ」銀の巨龍が続く。「そこなせいゆうしゃの目指したものが、読破すべからざる夢物語なれば…………」

「ドウダ賊ヨ? ヤリガイガアルト思ワナイカ?」

 おれは暗き眼下につばを吐いた。

「おまえらのせいでどろどろになっちまったこの右腕じゃ、執筆なんざ夢のまた夢よ。頭ふたつ下げられたってごめんだぜ」

「キサマハ賊ダ。元来、セイユウシャノ側ニ立ツ器デハアルマイ。シカレバ『三分、時ヲヤロウ』ト、アラカジメ告ゲテヤッタノダ」

「屈服を選ぶがよい…………」

「キサマラニ勝チ目ナドナカロウ? ソレニ、従ウナラバ悪イヨウニハ扱ワン。傷ハ癒ヤス。融ケタ右腕モ新シク生ヤシテヤル」

 ごちゃごちゃとやかましい魔王だ。

 おれたちはこのとおり壊滅状態だが、こうなるまでにおれたちからの攻撃を受け続けてきた左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスも軽傷というわけではない。

くされ魔王が…………! おれたちが力を合わせて、ようやく追い詰めたおまえとの決着を、こんなところであきらめるわけねえだろッ!」

 魔法使いの叡智が、おれたちをこの領域へと導いてくれた。

 今なお続く僧侶の守護が、おれの痛みを和らげている。

 古兵の決死の奥義が、破りがたき呪いを封じた。

 そしておれたちのせいゆうしゃが、左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスの命脈たる核をひとつ浄化したのだ。

 あとは、あとは盗賊おれだ。

 道具によるすばやい援護だけがおれの得意技ではない。

 まともな攻撃が通らない相手だろうと、打つ手はある。

「――――覚悟できたぜ」

 おれは浮島のような足場を蹴った。

 目指すは倒れているせいゆうしゃだ。

 左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスは、おれの動きを見て交渉決裂だと思ったらしい。

 銀の巨龍は逆鱗に触れられたかのような形相で咆哮し、金の大蛇はがらがらとせせら嗤ってきた。

「イッタイナニガデキル? 右腕ヲ融カサレテカラハ小細工スラロクニ続カナカッタ、キサマゴトキニ」

「おれの職業は盗賊よ! どんなものでも盗んでやるのが、ずばり本懐ッ!」

 おれはいくつもの足場を飛び移ってせいゆうしゃのもとにたどり着くと、左手に巻いてあった布を歯で引きちぎり、

聖勇者おまえがやられてから二分五〇秒、か。ぎりぎりで悪かったな」

 あらわになった左手の《逆さ黒星デビリッシュスター》をせいゆうしゃの胸にかざした。

 ――――いくら人々を守るために戦おうと、過去に極めし悪徳は消えず。

 だからおれが、世界の闇に生きてきたおれだけが、あやまつことにまっとうでいられる。

「き、きさま…………!?」

「答エヨ! ナニヲ握ッタ!? ソノ手ノ輝キハナンダ!?」

「『』! だったら盗めるッ! 輝けし黄金の過去ときは今、この盗賊おれの手の中だッ!!」

 直後、せいゆうしゃは透明になって消えた。

「たったの三分、されども三分ッ! 両手両足を食われた聖勇者おまえの過去は、このおれがいただいたぜ!」

 これはいわゆる、摂理からの脱法。

 左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスの懐深くまで肉薄し、迎撃の牙に咬みちぎられるより早く秘技を放ったあの瞬間へと、せいゆうしゃを遡らせたのだ。

 銀の巨龍は届かない。

 すでに命脈たる核を浄化されており、頭が鈍っていたからだ。

 金の大蛇は間に合わない。

 音さえしのぐ勢いで頭を反転させようとも――――。


 極彩色が閃いた。

 時空の裂け目を縛る螺旋をこうぼうが伝い、星なき虚空に断末魔の叫びがひとしきりとどろいた。

 光と声が静まったところで、あとに残ったものをおれは見据える。

 ひとつはおれたちが勝利したあかしたる魔王のから

 ひとつはすがすがしいほどにぱっくり開いた、時空の裂け目の向こう側。夕焼けに染まったおれたちの世界。

 ほかは数えるわけにもいかなさそうだ。

 とっくに尻もちをついていたおれに向かってくるせいゆうしゃはきっと、もうしばらくはぼろぼろこぼし続けるだろうから。


 左右そうこうじゃりゅうカクゥヨムスを滅ぼしたことで、おれたちの世界はしかるべき摂理を再起動させたに違いない。

 おれはその摂理を逆しまに扱った。悪徳のだ。

 引き換えに、摂理からは人間として扱われなくなる。

 人々が暮らす世界には帰れない。

 天使や悪魔になったわけではないから、そういうものたちの世界を訪ねたとしても門前払いを食らうはずだ。

 それこそが摂理。

 人々はときに、これを神の力と呼ぶ。


 おれには三分以内にやらなければならないことがあった。

 せいゆうしゃを助けることとは別に、この期に及んでもうふたつあったことを思い出した。

「…………カクゥヨムスのからに残ってた力は傷ついた世界に使え。おれはここで風化していく。なにをどうしたって、生きることも、死ぬこともできねえ。…………摂理だ」

 だからおれには使うな、とおれが言いきる前に、おれの体を支えているせいゆうしゃはまたしても泣いてしまった。

 おれはしぶしぶ空元気を出した。

「おれのことは気にすんな、自業自得よ。死んじまった仲間たちやつらと比べりゃよっぽどましだぜ」

 古兵も、僧侶も、魔法使いも、形見になるようなものはかけらも遺っていなかった。

「魔王に勝った喜びだって味わえてるし、っと…………見ろよ」

 おれは閉ざされゆく時空の裂け目へと視線を走らせる。

 この領域からおれたちの世界に通じる道はあれしかない。

 閉じてしまえば帰るべき場所に帰ることは不可能。

 時空の裂け目から入ってきているであろう薄い空気も完全に絶たれる。

 別れを惜しんでいられるのはここまでだ。

「言いにくいんだが…………白状、させてくれよ」

 おれはせいゆうしゃにとつとつと語った。

 順調にいけば、せいゆうしゃに甥か姪ができるかもしれないことを。

 そして、最期にやらなければならないことを。

「おれ、踊り子あいつに『必ず帰るぜ』って言っておいたんだ」

 おれはずうずうしくもせいゆうしゃに頼んだ。

「嘘ついちまったこと、おれの代わりにわびといてくれよ? …………へへ、そうこねえとな」


 おれたちのせいゆうしゃは歩みだす。

 過ぎ去りし戦いの名残ときを踏み越えるべく。

 盗賊おれには、まぶしすぎる後ろ姿だった。

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盗賊視点のラストバトル ~VS左右咬蛇龍カクゥヨムス~ 水白 建人 @misirowo

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