ニャンとも愛しき君たちへ

kie♪

ニャンとも愛しき君たちへ

 私は自他共に認める猫好きだ。残念なことに父が猫アレルギーなため自宅で飼うことが許されないが、その分街中やTV番組などで見かける猫にはついつい見惚れてしまうし、神保町にある猫にまつわる本だらけの本屋、たま駅長で有名になった貴志駅にも行ったことがある。それだけではない。猫を中心とした動物写真家の岩合光昭さんの写真展に行った際、偶然にもご本人にお会いすることが出来てサインと握手を戴いた。

 さて、そんな猫好きの私だがきっかけとなった2匹の猫を紹介しよう。その2匹は母方の祖母が飼っていた“とら”と“しろ”である。2匹とも私が生まれる前、まだ母が独身だった頃に祖父が拾ってきた元野良猫。一応室内飼いということになってはいたが、別にケージに入っているわけでもキャットタワーなどの遊び道具が用意されているわけでもない。彼らは比較的自由に長屋を出入りしていた。数日間不在にしても必ず帰ってきて狩りの成果を自慢する。きっと褒めてほしくてわざわざ飼い主のところに持ってくるのだろうが、ネズミや虫の死骸を運ぶので祖母や母はとんだ災難に度々遭ったという。

 とらはその名の通りのキジトラであったが、しろは少々黒い毛が混じった雑種っぽかった。特にしろは人間によく慣れていたのか私の弟が幼いときにしろのしっぽを思いきり掴んでしまっても怒ることなく、

「まあ、人間のチビっ子がしたことだからしたことだからしょうがないわね」

 とでも言いたげな様子で我慢していた。しかし少しトラウマになったようで後日ちょっとでもしっぽに触れるとペシンペシンと地面をはたいて触れられまいと必死でかわすようになった。嫌なことは“嫌だ”ときちんと示す猫なのである。そんな猫たちだったが、寿命というものには抗うことが出来ずに今は空の彼方へと旅立ってしまった。よく“猫は自分の死期を悟ると飼い主の前から姿を消す”というけれど必ずしもそうとは言い切れない。事実、とらは風邪をこじらせたのが原因で亡くなったと母から聞いたことがある。一方のしろは私に

「あんまり長生きすると猫又になるよ?」

 と冗談で言われるほどのご長寿でなんと23年ちょっとというニャン生を送った。しろが亡くなった際には祖母から電話がかかってきたので覚えている。猫としての平均寿命を大幅に越えたが特別なことはしていない。ただ自由にしていることが多かったのでストレスフリーな生き方が理由かもしれないが。

 そんなこんなで彼らと別れてから随分経つが未だに祖母の家に行くと2匹が自由気ままに暮らしながらも私を出迎えてくれそうな気がしてならない。間違いなく私を猫好きにした彼らの得意げな顔が今も浮かんでくる。とら、しろ、いつか私が空の彼方を訪れたらまたうちの子になってくれないか? 今度は猫又になっても良いからずっと一緒にいてくれないか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ニャンとも愛しき君たちへ kie♪ @love_tea_violin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ