𝐂𝐥𝐨𝐜𝐤𝐰𝐢𝐬𝐞・𝐱𝐱𝐱

宵花

第0章 叶わぬ祈りと覚める夢を

第0話 不可逆に行く

某日、グローセ本部にて。

静かな空間にコツコツと足音だけが響く。動きに合わせて長い黒髪と白衣が揺れる。本来であれば指導者や他の隊員が本部内を多く行き交っているが、どうやら今日は大半が出払っているらしい。先程すれ違ったメインオペレーターの彼女はどこかぐったりした様子を見せていたため、思わず声を掛けたが「問題無いので大丈夫です」と素早く返されてしまった。様子から察するに彼女の疲弊は専属指導責任者の彼によるものだろう。物怖じせずに誰にでも真っ直ぐ伝える姿勢が余程気に入ったのか、彼に対してかなりの心労は抱えつつも何とか上手くやり過ごしているらしい。


そんな彼女と軽く会釈をして別れ、現在は2階の長い廊下を進む。この本部の建物が建設されたのはかなり前だと聞くが、隊員の数が最も多い時に建てた弊害は未来に当たる今に影響を与えていた。多すぎる空き部屋がその象徴とも言えるだろう。現在12名にプラスして専属の指導者やオペレーター達は存在するが、仮に1人1部屋与えたとしても余ってしまうのは目に見える。だからこそリーダー経由で国へ申請を出せば、余程の理由でない限り専用の研究室が与えられるというメリットもあるのだが。

現在は1人1部屋研究室を与える、よりも大人数で1つの研究に向き合うべきでは?と上から方針が定められているためかなり非現実的な話となってしまった。


そうして長い廊下を進み、角を曲がった時に見える赤髪に「ウィル、」と小さく一声掛けた。


呼ぶ声に足を止め、振り返る。角に居た人物…シェロ・ランディーノに対してウィルペアト・ディートリヒは軽く手を挙げて応えた。少し早足でシェロの元へと駆け寄り、少し視線を下げた。

「シェロ。悪い、気づくのが遅れて。…何か用だったか?」

「いや…俺の方こそ急に呼び止めてごめん。……あぁ、急ぎの用事なら後でも…」

「問題ないよ。…その手元のは?」

シェロが手にしている書類へとウィルペアトが目を落とせば、「この間の結果」と一言返された。資料に目を向けたまま、淡々と測定結果が述べられていく。

「前回と比べて大きく異常が見られた子達は居ないかな。少し気になる子達はいるけど……これも前回と同様の子。新人の2人も大きく気になる点はないかな。ウィルは前回より少し力が増加してるけど…細かい数値まではまだ結果が届いてなくて」

「本当か?まぁ、魔力が多いに越したことはないが……あまりバランスが偏りすぎてもな。これには慣れてるから構わないが、疲弊するのが早くなったら慣れも意味は無いからな」

軽く自信の半球体型が特徴的な眼帯を指し、息を吐く。入隊前ではなく、幼少期からの傷ということでシェロもウィルペアトが眼帯で覆っている傷跡は見たことが無かった。

チラりと視線が決して合わない片目へと視線を向け、「あ、」と小さく何かを思い出したかのような声をシェロは零す。

「……そういえばこの前、西区の見回りに行った時に多分ウィルの話。されたけど」

「えっ!あ、い、いや!本当にアレは壊そうとして壊した訳じゃなくてな…!!」

(……助けて貰った人がいるって話だったんだけどな)

恐らく目の前のリーダーはまた何か壊してしまったのだろう。グローセ隊員が勤務中に壊した物に関しては基本自費での弁償となる。いくら組織のリーダーと言ってもそれは変わらず、グローセをよく思わない国民からは顔を顰められている話でもある。問題になるほどウィルペアトが物を破壊している訳では無いし、むしろ彼の人柄や信頼から許されることも多い。それであっても目の前の彼は1人1人に真摯に向き合っていた。


泳がせた視線の末に続く言葉を待っていれば「そろそろ任命式だが、」と話をすり替えられる。

「治療サポート班の方でも何か不足している分は無いか?今から中央区に行く予定だったから伝えてくるが…」

「…いや、無かったはずだよ。……あ、でも確認してもし抜けていたら連絡しても構わないかな…?」

「あぁ、良いよ。……さすがに数年経っても、全ての業務を抜け無くこなすのは難しいからな」

「仕方ないんじゃないかな…ウィルの場合は特に兼任の形になるし」

続く言葉を探し出そうとしたが、何も見つからず。そのままシェロは声のトーンを落とす。数年前、2人同時にリーダーとはなったものの前任者から知恵を学ぶことも出来なかった。それよりも前から所属する者からのアドバイスもあり、シェロもウィルペアトも業務をこなしていた。以前ほどミスがある訳では無いにしても、それぞれ長く所属している隊員に前任者の方法を学ぶことや現在の隊員から意見を聞くことは欠かさなかった。


この組織に居続ける限り、殉職する可能性は十分にある。むしろ隊員に聞くのであれば半数以上が「自分が死ぬ時は(塔内での)殉職になるだろう」と答える。それ程までに死と隣り合わせの職なのだ。この国はそれに対してどう思っているのか問いただしたことは無い。しかし、以前解決の糸口を見せない現状に対して年々国民の不信感が募るのは明らかだった。殉職した隊員のリボンタグを届けに行った時、何度「お前たちの方を殺してやる」と言われたかは分からない。逆上した隊員遺族から攻撃される可能性を踏まえ、基本的にはリボンタグは班のリーダーが行うように伝えられていた。それにバディが着いていく事も親しくしていた者が着いていくのも基本的には自由だが、泣き崩れる遺族を何度も見ることは隊員の精神にも多少なりとも影響を与える点があるのでは無いか?とシェロは危惧していた。


シェロとウィルペアトの元バディは定年でこの組織を辞めている。それぞれ元バディが退職した時期は異なるが、シェロはあの大事故の後に現在のバディと組むこととなった。彼の元バディは退職する際に心配そうにしていたものの、シェロ自身がどのようにして人に向き合うかをよく理解していた。だからこそ過度に心配の言葉を掛けるのではなく、サラリとした別れの言葉を述べて行った。ここに居る限り「またどこかで」と言うほど不確かな未来の約束は存在しない。被害が未だに続く中で元バディのように定年で退職出来ることはある意味での強運や幸せと言えるのかもしれない……これを“幸いにも”、と表現することは流石に全てから良しとされないが。


「俺だけだともっと酷いことになったかも知れないぞ?それぞれの班とは言え、治療サポート班の方をシェロに任せきりになってる現状も心苦しいが…」

「…あ、そういえば。最近随分医務室へ相談に来る人が増えたけど……ウィルでしょ」

「はは、お見通しだったか」

「もちろん」

そんな会話を幾つか交わし、必要な確認事項を共有していれば「あ、」と小さく声が響く。

「ごめん、足止めして。でも確認出来てよかった」

「いや、ありがとう。共有してくれたからこっちでも今後について色々掛け合ってくるよ」

じゃあ、と軽く手を上げるウィルペアトにつられるようにシェロも軽く手をあげて返す。そうしてお互いに背を向け、またそれぞれの目的へ足を進める。暫くすれば再度静寂が辺りを占めていた。




どれだけ異常な世界だったとしても、過去を変えることは出来ない。いくら文明が発展したとは言え、いつの時代も過去を変えることは許されないものだという認識は根付いているようだ。

不可逆的な世界だからこそ美しいと言うのなら、あとどのくらい犠牲を重ねれば理想の世界になるのだろう。犠牲を重ねる度に投げ掛けられる声は決まっているのに、どれだけ尽力しても自分たちが救うことの出来る命に限りが存在するのも事実だった。


何が正しくて、何が間違っているのか。結局のところ自分自身に判断は委ねられている。他者にそれを押し付けて目を背けることも出来るが、それでは何も変わらない今が続くだけだ。


きっと自分たちがしている事は誰かにとっての間違いで、誰かにとっての正解だと理解している。共通の『正解』が未だ存在しないからこそ、その解を求めて人は文明を発展させていった。



いつの時代も夢のような希望を目指して絶望を重ねていく。ただこの場所を守るためだけに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る