ふく×ふく はじまりの夏祭り

こっとんこーぼー

1、プロローグ ~ 夏祭り

 妖異の気配が漂う山林の中。木々がまばらに並ぶ場所で繰り広げられていた戦いは今しがた、ひと段落終えたところだった。

 夏の夜空に浮かぶ星々はそれぞれが地を見下ろす瞳となって、ここまでの物語を見守るように、そしてここからの物語を期待するかのように瞬いてる。

 それら星々と同じように物静かにたたずむ月が照らす下で、少女は清水のごとく澄んだ瞳で少年を見下ろしていた。

 彼女の瞳から読み取れる感情は哀れみや嘲りなどといった負を象徴するものではなく、どこかたかぶりに似た驚きと称賛の輝きがあった。

 対する少年のほうは木の幹にもたれかかるようにして苦しげに息をはいていた。

 目立った傷などはないが満身創痍まんしんそういという感じが見て取れる。

 少年が息を整えて言葉を発するよりも先に、

「お主らは人の子ながら十二分に戦った。しばし休むがよい」

 少女が静かに、そして優しく諭すような口調で告げた。

「ここまできて休めとか、それこそ冗談も休み休みにしてくれ……俺はまだ全力を出してないし、見せ場はこれからだ」

 少年が少女を見返しながら、傷ついた体を鼓舞してなんとか立ち上がろうとする。

 その瞳には並々ならぬ闘志が炎のように渦巻いていた。

 しかし彼の体はその意思には応えず、立ち上がる途中で力なくへたり込んでしまう。

「そういう負けん気の強いところは嫌いではないな」

 なかばあきれたように言うと、少女はゆっくりと少年のほうへと歩みを進めた。

 無表情な月の光がふたりを照らし出す中、おびただしい妖気が周囲を取り巻いていった。



 八月初旬の夕暮れ。

 とはいえ、澄み渡った青空は黄昏たそがれの独特な色にはまだ染まってはいない。

 髪や頬をなでる風は幾分か涼しげなものへと変わってきていたが、街は昼のそれとは違う熱気でごった返していた。

 夏まっ盛りの日中に響いていたやかましいほどのせみの声も今は聞こえず、目下この辺りの市街は祭りのにぎやかさに包まれ、商店の建ち並ぶ通りや公園、広場といった憩いの場所も夏祭り一色という感じである。

 そして、その熱気と賑やかさは市街の中心から少し外れた萌木山もえぎやまのふもとから山頂の萌木もえぎ神社へと続く道をも満たしつつあった。


 鶴来龍星つるぎりゅうせいは萌木山中腹に立つ鳥居のそばで、親友が来るのを今か今かと腕組みしながら待っていた。

 紺色の生地に白糸が網目模様に走る甚兵衛じんべえに身を包み、腰に手ぬぐい、黒鼻緒の下駄履きと祭りに相応しい格好で、袖や裾からのぞく血色のよい四肢はなにかのスポーツをやっていると思わせる筋肉がほどよくつき、やや長めの髪はつやの無い色濃さを帯びている。

 顔立ちも容姿もそこそこの二枚目よりでありながら、ぱっと見て、どこか軟派な雰囲気も漂わせていた。

 そのことを裏付けるかのように、先ほどから横を通り過ぎていくさまざまな格好の少女たちを見ては気もそぞろ、といったふうであまり落ち着いているという感じではない。


 彼の気を引く少女たちの格好は、花や鳥、ちょう蜻蛉とんぼといった風流な模様をあしらった色とりどりの浴衣ゆかた姿だけでなく、やや非日常的なチャイナドレスやメイド服といった格好やアニメ・漫画のキャラクターのような衣装も混じっていた。

 その足元は草履ぞうりやミュール、スポーツサンダルにブーツやシューズと、こちらもバラエティに富み、思い思いに着飾った少女たちは参道を彩り、より華やかなものに見せていた。

 そんな人の流れの中に、龍星は待ち合わせていた友人を見つけて、手を軽くあげる。


 それに気づいたのち、ちょっとした人波からどうにか抜け出すようにして、善亀陽樹ぜんがめはるきが龍星の前へとやってきて、

「お待たせ、鶴の字」

 と声をかけた。

「遅い、遅いぞ。諸君」

 龍星は腕組みのポーズに戻って、ようやくとやってきた親友にどこかおどけた感じの陽気な口調で答えた。

「諸君って言われても、僕しかいないけどね。というか、時間どおりというより待ち合わせの十分前だよね?」

 陽樹は腕時計を見て確認するように尋ねた。時計が示す時刻は六時二十分。待ち合わせは六時半のはずだった。

「ああ、その点は大丈夫だ。こっちが六時ぐらいからここにいるだけだ」

「なんでまた、そんな前から?」

「なんというか、高揚感だな。抑えきれない情熱、そう、パッションがどうしようもなくこの体を浮き足立たせてだな」

「遠足が楽しみで眠れない小学生じゃあるまいし」

 との陽樹のツッコミに、

「実際そんな感覚に近い」

 龍星は明るく笑ってみせる。

「まあ、そういうのはリュウちゃんらしいよ」

「しかし、あれだな。せっかくの祭りの夜だというのに風情ふぜいがない格好だな」

 龍星は自分と親友の格好を見比べながら言った。


 メガネをかけたやや丸顔でどこかのんびり屋に見える陽樹は龍星より肩幅は広く、背もやや高い百七十台半ば。その大柄の体に、アニメのキャラクターとロゴがシンプルに描かれた白いTシャツの上に水色がかった無地のワイシャツをボタンも留めずに羽織っている。下はデニムのズボンに動きやすさ重視のスニーカーといったスタイルだ。


「もうちょっと早めに予定を組んでくれていたら、浴衣のひとつでも用意したんだけどね。なにぶんにも急な話だったし」

「そいつは悪かった。俺がこのお祭りを知ったのもついこないだだったんでね」

「いやあ、しかしあれだね。町ぐるみでコスプレOKの夏祭りとは思い切ったことをするねえ。どっかの神社がアニメの舞台になったことをもとに町興しってのがあったけど、あれと同じ感覚なのかなあ」

「あー、それ聞いたことあるな。つまりは二匹目のドジョウ狙いか」

「とはいえ、コスプレを許可しただけで、この人の集まりようってのも主催者側には計算外というか、うれしい誤算ってやつなんじゃないかな」

「そのせいか、こっちの予想以上に混んでるけどな。まあ、俺にとってもうれしい誤算ではあるわけだが、とりあえずは上に行こうぜ。ちょうど人の行き来もひと段落したみたいだし」

 龍星は陽樹をうながし、ふたりは人波もまばらとなった石段を登り始めた。


 カランカランと石段を蹴る龍星の下駄の音が小気味よく響く。

「ところで、わざわざ隣町のお祭りに来たのはなんか理由があるの?」

「まあそんなすごい理由ってわけじゃないが、なんというか、高校に入って1学期中に成立したカップルとか見てたら、なんか行動しないとこのまま青春が灰色で終わるのではないかと思ってだな」

「灰色の青春、灰色なのにアオハルとは、これはブルーグレーとでも言うべきかねえ」

「わざわざ英語にする必要ないだろ。まあバラ色とまではいかなくてもちょっとした華のある青春とやらは謳歌おうかしてみたいと考えたわけだ。とはいえ行動を起こす前に夏休みへと突入してしまったというのが現在の状況なのだが」

「それで同い年くらいの女の子が集まりそうなイベントを選んだってこと?」

「うん、ちょっと考えてみたら別に同じ学校の女子でなくてもいいわけだしな。実際のところ、校内や登下校でイチャイチャとかじゃなくてもいいんだ。だけど道場で応援してくれるような女の子とか練習に付き合ってくれるような女の子はそばにいて欲しい」

「ああ、うちの道場にはそういう子はいないからねえ。しかし灰色ではなくバラ色の青春となるとブルーローズスプリングだね」

「そんな青いバラみたいに言われると、まったくかなわない願いという感じがしてきた」

「でも青いバラは研究者の頑張りで見事この世に生み出されて、その花言葉も『不可能』から『夢はかなう』になったよ。そういう願掛けも兼ねてわざわざ隣町の神社でのイベントを選んだのかと思ったけど違うの?」

「うーん、神頼みしてまで欲しいって感じじゃないけどな……いや、いっそのこと神頼みもアリっていえばアリか」

「積極的なのか消極的なのか分からないけど、いざ行動しようと考えるとなんか躊躇ちゅうちょしちゃうねえ」

「それは言える。というか、こう女の子が集まっててもこっちからどう話しかければいいのかさっぱり分からん」

「そのコスチューム似合ってますね、とか」

「コスプレが似合ってるのかどうかってのがイマイチ分からんからなあ」

「リュウちゃん、あんまりアニメとかゲームには詳しくないからねえ」

「最近、アニメとゲームを追っかけ始めたけど、両方とも世に出てる数が多すぎるし、とてもじゃないが追いきれん」

「まあね。僕だって好みじゃないジャンルとかは見る前から切り捨てているし」

「やっぱり数を絞るよなあ。あ、でもさすがにあそこのいかにもな魔女っぽい子とハイテク忍者みたいな子は日曜朝のアニメのヤツだろ? あの鮮やかというよりド派手な感じの色使いと格好には見覚えがある」

 と、龍星は自分たちよりはるか先を行く集団の中にいた少女を指し示す。

「ああ、あれはたしかに『忍者寿司プリンセス』のプリンセス・テッカとライバル魔女のカシューカのコスプレで間違いないね。うーんでも、似合ってるとは思うんだけど、カシューカのスカート丈が残念だなあ、本物よりちょっと短すぎる」

「短いと駄目なのか?」

「駄目だよ。設定を活かしてこそコスプレだと僕は思っているんで。まあキャラの特徴をよく研究してるっぽいのは立ち振る舞いを見てて分かるけどね」

「そういうもんなのか」

「そういうもんだよ」

 そんな感じでコスプレ少女を論評しながら歩いているふたりに、参道のわきに立っていたメイド姿の少女が「どうぞ」と手にしていたチラシを差し出してきた。


 龍星は無意識に受け取り、メイド少女の「よろしかったらご来店お待ちしてまーす」との声を背に、歩きながらチラシにさっと目を通す。

 ピンクを主体としたチラシには、三頭身ほどのちびキャラにデフォルメされたメイド姿の可愛らしい女の子のイラストが描かれており、そのちびキャラに付随するフキダシの中に書かれている店の名前とキャッチフレーズらしい文を龍星は読み上げた。

「メイド喫茶『あなたのおそば』、商店街に近々オープン? こんな地方の商店街にメイド喫茶ってニーズ読めてなさすぎだろ!」

「僕に言われても困るよ。あれ? リュウちゃん、それメイド喫茶じゃないよ」

「は? あ、本当だ。メイド蕎麦そば『あなたのおそば』……ダジャレかっ!」

「そっちも僕に言われても困るよ」

「というか、蕎麦屋ってことはメイドさんが蕎麦を手打ちしてくれるのか、それともただ制服がメイド風なのか、店の雰囲気がアンティークな調度品をそろえた洋館タイプの蕎麦屋だったりとか、そこらへんの大事なことはおろかメニューすら書いてないぞ、チラシ持参の方に割引サービスってのは書いてあるけど。どんな店かさっぱり分からん」

「どうだろうね。メイドさんが庶民の食べ物である蕎麦を知らない旦那様やご主人様に蕎麦の食べ方を教えるようなシチュエーションの店かもしれないよ」

「蕎麦の食べ方ってバリエーションあるもんでもないだろ」

「いやあ、こうね、普通に食べようとすると『ちょっとお待ちになってください、旦那様。まずはですね、盛り付けられた蕎麦をじっくりと見つめて視覚で至福を味わったあと、香りをかいで嗅覚で堪能しませんと』」

「そうはならんだろ。まあそれくらいなら従ってみるのもノリでいいだろうけど」

「それでつゆをつけて食べようとすると『あー、ダメダメ。まずはなにもつけずに蕎麦だけを口に入れて、蕎麦本来の香りと味をじっくりと楽しまなくてはいけません』となって、それから今度こそいただきますって、つゆに薬味やくみを入れようってなるとまたストップがかかって」

「ここからまだなんかあるのか」

「蕎麦を入れずにつゆに口をつけて、その次は麺をつゆにつけて、その次は薬味を入れて、と一口ごとに待ったがかかる感じ」

「そんな感じじゃ、完食する前に蕎麦がのびちまいそうなんだが」

「お蕎麦のびちゃいました? じゃあ延長料金いただきますね」

「なんでだ! 蕎麦のレクチャーは罠か! ひどいボッタクリ店だな!」

 笑いまじりでツッコミを入れた龍星に、陽樹はアハハと笑って応じてから、

「まあ実際どんな店なのかは行ってみないと分からないけどね。このチラシだけじゃ」

「だとすると、一度は偵察に行く必要があるな」

「結局そうなりますか」

「結局そうなります」

 そんな会話をしながら石段を登りきって、境内の入り口にある萌黄もえぎ色をした大鳥居の前で小休止する。


「へえ、珍しいねえ。この神社、鳥居は緑っぽいうえに狛犬じゃなくてネコなんだ」

 陽樹が鳥居そばにある一対の石像を指さすと、そこには狛犬の代わりに猫の石像が置かれていた。ポーズこそはよくある狛犬のようにしているが間違いなく石でつくられた猫そのものだ。

「そう、なんでか知らんがネコなんだよな」

「なんか由来があるのかねえ。ほら、お稲荷いなりさんはキツネが狛犬の代わりだし」

「この場合は狛犬じゃなくて狛猫っていうのかな」

「どうなんだろうね。神社のどこかにそこらへんの由来とかが書いてあるかもしれないけど」

「あー、待っているあいだに探しておけばよかったかな」

「まあ由来が書いてあるような案内板は逃げやしないでしょ」

「よし、それじゃさっそく中へ進むとするか」  

 ふたりは若草のような彩りの大鳥居をくぐって、華やかな境内へと足を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る