第48話

 地球は丸いらしい。

 その昔、どこかの誰かが発見したそうだ。

 そいつは船乗りだったとか、そうじゃなかったとか。

 俺っちの故郷には海がないから、その船乗りがなにを見てそう思ったのか確かめることはできなかったけど、本当のことらしい。

 そんな話を、いつしか側近がしてくれた。

 どこから持ってきたのか分からない小難しい本を、嬉しそうに読み聞かせてくれたレイナの横顔を、

 ふと思い出した。

 走馬灯、ってやつだろうか。

 脳は死ぬ直前、パラパラと物語を捲るように、高速で生涯起こったすべてを振り返って、俺っちたちはそのなかで特に印象的だったできごとを切り取るんだとか。

 だとしたら。

 思い出の映像が途切れたいま、

 眼前に広がるこの景色は、地獄のものだろうか。

 それとも、天国のものだろうか。

 俺っちはそんなに徳の高い人間じゃないから、高確率で地獄な気がする。

 けど、なにやら天国のようにも思える。

 澄み渡った青のグラデーション。

 溢れたインクのように溶け出すオレンジ。

 まるで空に巨大な透明な円が描かれていて。

 その円を避けるように、放物線のように広がる雲。

 ひとつひとつ違う形。

 凹凸を縁取る深い陰影。

 そんな、視界いっぱいに広がる天空のキャンバスを有限たらしめるのは、なだらかな弧を描いて左右に広がる地平線。

 そうか。

 だから、地球は丸いのか。

「──────」

 遥か遠くに立つ木々。

 奥の方になるにつれて、幹をもたない個体が出てくる。

「────リオ────────」

 けど、そんな木があるわけがない。

 それでは宙に浮いていることになってしまう、だろう?

 そのさらに向こうにそびえる山脈だってそうだ。

「──レガ──オ────!」

 山が小さく、低く見えるのは遠近法。

 けど、ふもとが見えないのは、

 遠近法じゃない。

 麓がないからでもない。

 地球は────

「────レガリオ!」

 いつから叫んでいたのか。

 心配そうな表情を浮かべた側近が、座り込む俺っちの横で名前を呼んでいた。

「大丈夫? 見えてる? 聞こえてる?」

「…………地球は、丸かった」

「は⁇」

「え?」

 口を衝いて出た言葉に、我ながら困惑する。

 すると、背後から溜め息混じりの声が聞こえてくる。

「どうやら脳が焼き切れちまったらしいな。レイナとやら、悪いことは言わねえ。そいつはもうお釈迦だ」

「うるせぇよ植木鉢女。考え事してただけだっつーの」

「どんな考え事っすか、魔王様? なんか腕っぷしが強そうなこと言ってたっすけど」

「いやうん、え、どゆこと⁇」

 スペアの兵士の残骸パーツを見つけた様子のアンデッドキッド。

 しかし、良識と常識を兼ね備えた新鮮な脳みそは、結局手に入れられなかったと見える。

 てか身体のバランスおかしすぎてガチでキモい。

「チッ! 意識を取り戻しちまったかレガリオ。ぷけけ、納棺するの楽しみだったのに残念だぜ!」

「なんて言う割に、レガリオが塔の上から落ちたときは誰よりも早く助けに行ってたけどな」

「は、はぁ⁉︎ ちっげえし! トドメ刺しに行っただけだし‼︎」

 もしかして、

 その声は。

「よぉ、オバケ剣士。略してクソうんちく青二歳サノヴァビッチ

「な、ん、で、略称の方が長くなってんだよ‼︎」

「ふっ!」

「あぁおい! 息吹きかけんな! 顔が霧散するだろうが!」

 ぶんぶんと空中で八の字を描きながら、透けてしまって当たらない攻撃(鬱陶しいので精神へのダメージは確か)を繰り出すソルドメスターの亡霊を、

「まぁま、そこらへんにしとけよ」

 猿顔の男が宥める。

「ちゃんと生きてたか、バナナマン。……ってあれ、なんかおまえ背縮んでね?」

 上半身が占める割合が妙に大きいゴリラに、俺っちは尋ねる。

「転落してな、脚の義手が壊れた。まぁいい機会だ。今日を節目に、俺は義手を卒業するよ」

「おっ、もしかしてオイラとおそろの兵士の残骸パーツに?」

「義 足 を 買 う ん だ よ。義足を」

 語気を強めるバナナマン。

 対するゾンビボーイは不貞腐れた様子だ。

「それにしても、」

 改めて仕切り直すような調子で、バナナマンが遠くを見やる。

「すごかったなぁ……」

 言葉足らずで抽象的、月並みな感想。

 されど、その意味するところを理解できない人はひとりとしていない。

 前方数キロメートルに及ぶ巨大な虚空。

 角度の狭い扇形によって削り取られた大地。

 作られたがらんどうの荒原。

 それは俺っちと名も知らぬお姫様の放った魔力砲が激突した痕跡であり、俺っちの攻撃が彼女のそれを凌駕し打ち破ったという証でもあった。

「さすがにガス欠かい、魔族の王よ?」

「まさか、全然! ちょっとぶっ倒れて三日三晩くらい泥のように眠りたいけど、全然元気」

「はっは、そいつはよかっ────おっと、お邪魔かな?」

「?」

 なにかを察したような面持ちで言葉を切るバナナマン。

 頭の上にハテナを浮かべた(今回はゴーストじゃないよ)俺っちは、彼の視線の先へと振り返る。

「……側近?」

「レガリオ……」

 おいおいなんだ急にしおらしくなって。

 バナナマンも、ミス=ポッツも、

 なにか大事なことでも見守るかのように急に遠巻きになって。

「え、なにが始まんのこれ? オイラだけ聞かされてないやつ?」

「ぷけけ、さあ?」

 ボンクラどもは分かってないみたいだな。

 つまり俺っちも同レベル⁉︎ そんなの嫌だ!

「これ、忘れてったお弁当」

 側近……レイナが淡い紫の風呂敷を渡してくる。

 それを俺っちはそっと、両手で受け取る。

「……今日って俺っちの誕生日だったりする?」

「いや」

「じゃあお前の誕生日?」

「なんでそうなるのよ……違うって。ていうか────」

 なんだか煮え切らない様子のレイナ。

 そんな折りに。

「キャッハハハハ‼︎」

「────嘘だろ……⁇」

 突如として。

「ずいぶんと楽しそうじゃねえか牛糞ブルシット魔族ども!」

 そいつ、

 ドゥー国シバッグ王子、またの名を母性愛マザファッキン陰茎頭ディックヘッドは現れた。

「姉さんを放せッ‼︎」

「おっとそいつはやめとけ! このド腐れファッキン処女プッシーの上の口がふたつ三つ増えるぞ‼︎」

 即座に弓矢を構えるアンデッドキッドとほとんど魔力の残っていない身体で手を翳す俺っち。

 それをシバッグは下賤な言い草で一蹴する。

 どこから湧いてきた?

 穴の空いた腹で生き延びてたのも驚愕だが、それがやつの執念のほどってことか。

 他の仲間たちは──武装を解くどころか、そもそも身動きを取ることもできず──シバッグを刺激しまいと手のひらを見せる。

「ふっふっ! ハッハッハ! そうだそれでいい! よぉしド畜生ファッキン魔族ども! 持ってる王権象徴物レガリアをすべて渡してもらおうか!」

 言われて気づく。

 そういやこいつ、ヒト族のなかでは一番偉いみたいな立ち位置なのにひとつも王権象徴物レガリアを持たされてなかったんか。

 英断、英断。

 グッジョブ十傑! ……だか六部衆だか四天王だか、なんだか。

 しかし。

 このまま魔弾を撃ち込むわけにはいかない。

 雑魚の指南書でお勉強でもしたのか、姑息なことに人質にとったレイナの喉元へ刃物を突きつけ、しっかり盾にしてやがる。

 俺っちの魔力砲ではダメだ。

 俺っちの魔力砲では、レイナが────。

「ハハハッ! これで世界は我が手中に……っておい! なにしてる! 退がれバコッフ売女の息子サノヴァビッチ‼︎ てめ、この阿婆擦れビッチが喉笛掻っ切られてもいいっての、か……?」

 ゆっくりと腕を動かした俺っちに向けて怒鳴りつけるクソ王子。

 その顔には憤怒、焦燥、憎しみが篭っていたが、

 もうひとつ。

 懐疑の色が混じる。

 原因は単純にして明快。

 俺っちがかざす手のさき。

 そこにいたのは自分ではなく、ゾンビボーイだったのだから。

「武器では弓矢が一番だって話、覚えてるか?」

 ゆっくりと落ち着いて、静かに問う。

 ツギハギの少年は弓を引いたまま、列車に乗る直前にしていた話を思い出し、目を見開いた。

「『貫通』してほしくない……だから、」

 俺っちは指先に集めた魔力を、

「頼む」

 放つ。

 ドッ‼︎ と、残った魔力のすべてを込めた、一発限りの魔弾が、

「ごはぁ!」

 ツギハギの少年を穿った。

 仰向けに崩れ落ちるアンデッドキッド。

 力の抜けた指から、矢が滑り抜ける。

「……あはは同士討ちかよ、意味分かんねえ!」

 シバッグ王子は、なにが起きたかの不可解さより魔族が死ぬ光景にご満悦の様子。倒れたゾンビボーイが狙いを外したせいで矢が明後日の方向に飛んでいった、とでも思ってんだろう。

 的外れなんだよ! 

 ……あ、こっちの矢じゃなくて向こうの話ね?

 放たれた矢といえば、最高到達点を超えて鋭角な放物線を描き始め、クソ王子の脳天目掛けて自由落下を始める。

 計画に気づかれまいと、

 俺っちは少し上げた視線を下に戻しておく。

 ────。

 …………え、⁇

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