キミはどんな姿でもキミなのだから(本当に?)
まらはる
人生の選択肢なんてそんなにない。だからよく考えろ。
病気の妹を抱えた俺には三分以内にやらなければならないことがあった。
上等な飯を用意して、その妹に食べさせる。
それだけだ。
簡単なことだと、お前たちは言うだろうか?
少しだけ想像してから判断してほしい。
ここは辺境の町。
かつてはすぐ近くの鉱山でいろいろ採れて賑わったらしいが、俺たち兄妹の生まれるほんの少し前に採りつくしてしまい、以来あっという間に今のザマになった。
荒野の真ん中にある価値を失った町は、熱と乾いた風に晒されて、廃墟のように変わっていった。
だから、すぐに食える満足な飯なんてない。
そしてどこか遠くの都会に住むガキンチョが、スナック菓子片手にぼんやりゲームで遊んでる間に、俺の妹は死ぬ。病気ってのはもうそういう段階の話なんだ。
開けた目の奥まで光が届いているのかも、喉を空気が往復しているのかも、血が指先まで満足にいっているのかも怪しい。
だからせめてほとんどの最後に、なにか旨いものを食わせてやりたいと思うのは兄としておかしな話じゃないだろう。
そこに降ってきた幸運と、そして絶望。
つまり全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだった。
渡り鳥みたいにそういう季節なのか、そいつらも食い物でも求めていたのか。
生き物の博士じゃないから俺は知らないが、ついさっき俺の町にやってきた。
乾いた荒野の地を踏み砕き、
穴だらけの鉱山を突き割りながら、
長らく手入れされていない街道にとどめを刺しながら、
元宿屋や元酒場や元ツルハシ屋のボロ小屋を火にくべやすそうな大きさに変えながら。
俺が生まれる前に一度来たという、ハリケーンってのはこんなものだったのだろうか。
なんとなくそんなことを考えながら、俺は
バッファローの群れの進路は逸れており、放っておいても妹や俺の居る廃屋は、その暴嵐怒涛に巻き込まれることはないだろう。
だがそんなことは、関係なかった。
俺が今できること。
俺が妹にしてやれること。
駆けた俺の手には、錆びたナイフが握られていた。そのちゃちな武器は誰が捨てたかも知らないガラクタの一部だった。
バッファローは動物で、肉で、食べれる。
腐ったゴミみたいなパンや、ドブみたいなスープや、その辺の枯れ草よりはるかに上等な食事になる。
本当にその瞬間に頭にあったのはそれだけだ。
数少ない住民が逃げ惑う様子は目に入っていたけど気づかなかったし、大小さまざまな悲鳴や助けを求める声も耳に入っていたけど聞こえなかった。
町のほとんどを飲み込みながら、まっすぐ進むバッファローの群れに俺は無謀に飛び掛かった。
厳密には一瞬、目に留まった一匹のバッファローに狙いを定めていた。
それが効いたのか、運よくタイミングが合って、俺はその猛獣に弾き飛ばされることなくつかみかかれた。
黒い大きな塊は、分厚く毛深い皮に覆われており、勢いで突き刺した小さなナイフが肉にまで届いたかは判然としなかった。
それでも、俺はその一匹のバッファローの邪魔にはなったらしい。
群れから離れるように無秩序な暴れ方をしはじめて、俺を振り落とそうとした。
そこからはもう無我夢中でのバッファローとの戦いだった。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れなのだ。
必死にしがみつく俺を地面にたたきつけたり、まだ残っていた家の壁の残骸にぶつけたりして、邪魔な俺を何とかしようとしてきた。仲間のバッファローにも何度も突っ込んで俺の体を挟んですりつぶそうとしてきた。
俺も負けじと、足や片手でその巨体につかまりながら、ナイフを何度も何度も突き刺した。最初につかまれた背中側だけではなく、腹の方にも回ったり、頭のてっぺんやら目やらにも突き刺したりした。黒い体はいつの間にか土と混じった赤色に変わっていた。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れなのだ
突き刺す俺の体も当然無事ではない。
木も岩も粉々にする怪物が、どうして人間の体を傷つけずにいられようか。
きっとその黒い体を濡らす血は、俺の体から出たものの方が多いのだろう。
実は俺とバッファローのものは区別がついている。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れなのだ。
流れた血も全てを破壊しながら突き進む。
切り落とした肉も全てを破壊しながら突き進む。
毛や皮も全てを破壊しながら突き進む。
本体はもちろん、切り落とした一部も全てを破壊しながら突き進む。
その事実を頭が認識し始めたとき、俺は少し賢くなっていて、黒い塊から離れて、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの一匹の一部の肉に何度もナイフを突き刺していた。デカくて全然死なないバッファローそのものより、この肉の一部ならなんとかなる、と思ったのだ。
傷ついたバッファローはいつの間にか群れに戻っていた。
バッファローにとっては俺一人を破壊しつくすより、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れであることの方が重要なのだ。あるいはひどくボロボロになった俺はもう破壊されたと認識されたのだろうか。
少しして、さすがにその肉もほとんど動かなくなってきた。
ピクリピクリとすべてを破壊しながら突き進もうとしているが、今ではもう何もできない。
ようやく、勝利と安堵感が湧いてきた。
俺は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れから、それでも望んだ何かを手に入れた。
最後を待つだけの何もない町で、俺はやれることをやれたのだ。
(お……兄ちゃ、ん?)
妹のもとへ戻った俺は、妹の目がこちらを見て、妹の口がそんなセリフを言ったように思えた。
病気で今にも死にそうな妹でも、きっとそれくらいの気持ちは俺に向けてくれるはずだ。
「ああ、ごめんな。お前がこんなだってのに離れちまって。ほんのちょっと……3分くらい待たせたか?」
俺はそんな風に言った気がした。
血まみれで体のあちこち骨が砕けた俺が、まともに喋れるわけがないだろう。
正直時間がどれだけ経ってたかわからない。
そもそも時計の読み方なんて知らないのだから。
まだ働けば飯が食えるだけの金がもらえたころ、仕事場の親方が口癖で「そんなの3分で終わらせろ!」って怒鳴っては殴っていたから、すぐやることは「3分」と身についてしまっていただけだ。それがどれくらいの長さなのかは本当は知らない。
俺の手に握られていた、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの一匹の一部の肉を、そっと妹の口へと運んだ。それには「3分」かからなかったと思う。
極上のステーキなんて夢のまた夢で、火も通ってない肉だが、それでもいつものゴミよりはとってもごちそうだったはずだ。
妹は、起きているのか寝ているのかもわからない姿であったが、それでも唇に触れたものが食べ物だとわかったらしく、全身の力を込めて口を開けた。そうしてできた小さな隙間に、俺はなんとかして全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの一匹の一部の肉を押し込んだ。
妹の口がゆっくりと動き、やがて喉の筋肉が下に向かってうごめいた。
(ありがと、う……)
そして今度は口を、そんな風に動かした。こればっかりははっきり見えた。。
妹は俺なんかよりもとても賢かった。
この3分の間に何が起きたのか全部わかっていたのだろう。
そしてこの3分の後に自分の命がないことも知っていたのだろう。
目の前で、俺のたった一人の妹の命が消えていく。
もうこれ以上のことは俺には何もできない。
泣くことすら、血を流しすぎてほとんど乾いた俺にはもうできない。
ああでも、俺もきっとすぐそっちへ行く。
見ろ。
あちこち千切れてボロきれみたいになった今の俺の体は、ひょっとするとお前と同じくらいの重さかもしれない。
おそろいってやつだ。
もうお前を一人にはしてやらない。
ちゃんとそばについて行ってやるからな。
3分だって離れてやるものか。
だけど、残念ながら、ああ――そんな最後すら叶わなかった。
俺たちの町を襲ったのは全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだった。
薄れゆく意識の中で俺が最後に見たものは、やせ細って枯れ木みたいになっていた妹の体が、黒く大きな塊に変わっていくところだった。
妹だったモノに角が生えて、毛深く厚い皮となり、四肢はたくましい四脚となる。
それは死から限りなく遠ざかる。
「あ、あぁ……」
何が起こったのか、馬鹿な俺でも一瞬で理解してしまった。
3分ほど前に、散々死闘を繰り広げた相手と同じ姿だ。
そしてその相手が異常な生き物だったことも、たった今思い出した。
なんで肉や血が、切り落としても動いていたんだ?
やはり俺は賢くなんてなかった。
賢い妹は、肉を食べながらこうなることまで知っていたのだろうか?
あるいは俺を見逃したバッファローはこうなることを知っていたのだろうか?
妹は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの、一匹のバッファローになった。
一匹のバッファローは放っておいても死ぬ俺を、何とも思わず突き進んで破壊した。
これはもう間違いのない破壊だった。
すでにボロボロだった俺の体は四方八方へ飛び散り、あたりのガレキや乾いたゴミくずと見分けがつかなくなった。
一匹のバッファローは駆けていった。
いまなお町を、鉱山を、荒野を、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れへと向かって。
かつてその体が、誰かの妹であったことも忘れて。
こうして全てが破壊された。
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れというのは、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだったのである。
キミはどんな姿でもキミなのだから(本当に?) まらはる @MaraharuS
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます