バッファローを超えて行け

黒井咲夜

第1話

 木戸きど乙弥おとやには3分以内でやらなければならないことがあった。


「牛……いや、バッファローの群れ?」


それは迫り来るバッファローの大群を超えて、駅まで向かうことだ。奥多摩から都内への乗り換え便が発着する青梅駅までの電車はこれを逃せば次は30分後。始業時間に間に合うためにはなんとしても3分以内で駅のホームに辿り着かなくてはならない。


「なんでよりにもよって寝坊した日にこんなヤツらと戦わなくちゃならないんだ……」


奥多摩とはいえ都内にバッファローの大群が現れたら騒ぎになるはずだが、乙弥以外の人々は平然としている。それもそのはず、全てを薙ぎ倒しながら駅前を割拠するバッファローは幽霊のようなもの――常人には見えない怪異なのだ。


「『祖より下りて鳳凰ほうおう麒麟きりん四神しじん八方はっぽう五行ごぎょう。我は西より来たりし木戸の言霊師ことだまし。宿せし気はもく、授かりし名は乙弥なり』」


口上を呟くと、乙弥の姿がスーツから色鮮やかな忍者のような装束に一瞬にして変わる。乙弥は人に害をなす怪異を倒す役割を担う一族の末裔であり、サラリーマンとして働く傍らこうして人知れず怪異と戦っているのだ。


「さっさと終わらせて仕事に行くぞ!」


群れの先頭に立つバッファローの角を掴み、背中に飛び乗る。しかしそれだけで止まるわけもなく、なおもバッファローたちは路上に駐車されている自転車や道路標識を薙ぎ倒しながら猛スピードで街中へと突き進んでいく。


「『バッファローに命ず』、『お前以外のバッファローを全て薙ぎ倒せ』!」


乙弥を背に乗せたバッファローがくるりと向きを反転させ逆方向――バッファローたちが来た駅方面に向かっていく。乙弥は言葉に特別な力を込めることで無から武器や装束を展開したり、一時的に怪異を操ることができるのだ。


「『我が手に在るはやり一本、銘を木枯こがらしとす』!」


詠唱と共に乙弥の手の中に真っ青な槍が現れる。

装束を纏った乙弥も怪異と同様に常人には見えないため、街中でバッファローを乗り回しながら槍を振り回しても警察には捕まらない。

槍は刀とは異なり馬上(今回はバッファロー上と言うべきだろうか)で振るうことによってその真価を発揮する。バッファローの運動エネルギーによって槍の軌跡は巨大な刃と化し、一閃でバッファローの首を飛ばす。


「あと2分……いいぞ、『もっと早く走れ』!」


乙弥の一声でバッファローはさらにスピードを上げる。その姿はまるで巨大な弾丸だ。

一閃、また一閃。高速で走るバッファローの上で乙弥が槍を振るうたびに、バッファローの大群が消しゴムをかけたようにどんどん消えていく。後に残るのは薙ぎ倒された自転車や看板だけだ。


「あと、1分!」


道にひしめき合っていたバッファローは跡形もなく消えて後に残るのは乙弥が乗っている1体のみとなったところで、駅舎が視界に入る。


「乗せてくれてありがとう。でも、これでおしまい!」


槍をバッファローの頭に突き刺し、棒高跳びの要領で乙弥の体が宙を舞う。バッファローは断末魔を残して、跡形もなく消えてしまった。

駅舎の前に着地した時にはすでに乙弥は元のスーツ姿に戻っていた。どこにしまっていたのか、その手にはしっかり鞄が握られている。


「ま、間に合ったぁ……!」


駅構内を全速力で走り抜け、定期券を改札口にタッチし、駅のホームへと駆け込む。電車はまだ来ていない。息を整えていると、駅員のアナウンスが流れてきた。


[青梅線は現在、倒木の影響により遅れが発生しております。当駅には――]


電車の遅延を伝えるアナウンスに、乙弥はがっくりと膝を落とした。

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バッファローを超えて行け 黒井咲夜 @kuroisakuya

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