二年「金烏玉兎」
◆
「俺さ、あと三年で死ぬんだって」
閑静な居間。
静かに、その声は響き渡った。
「ALSらしいよ」
歔欷の声が残響を遺し。
「あぁ、なんで、今なんだろうなぁ」
しかし当人は無表情であった。
涙の一滴さえ零さず。
その事実を、さも運命であったかの様に、まるで他人事かの様に。
或いは、涙は枯らしてしまったのか。
来週には新しい高校の入学式。
来月には中学校の卒業式の時にできた彼女とのデートが控えていたのだ。
寂寥感に苛まれるのは自明の理である。
「なぁ、一つだけ、お願いがあるんだが」
誰を慮っての願いなのか。
彼女のためか。或いは、自分のためか。
ただ、この世に何も遺したく無いという。
「俺と、代わってくれないか?」
”彼”の、贖罪なのだ。
◆
「それじゃあ行ってくるね、
「うん、
「行ってきます!」
初デートから一年。
俺も熒も二年生となり、それから四か月。
今日は熒と二人で夏祭りである。
小学生の頃は、星弥と熒と三人で毎年行っていた夏祭り。
大きな祭りでは無いし、花火も無い、ただ近所の神社に十数軒の屋台が並ぶのみ。
それでも、当時の俺たちからすれば光輝燦然として見えたのだ。
だからか、小学四年生になってからは行っていなかった。
しかしその頃は何故か熒が俺と星弥を避けるようになってしまって。それが一番の理由であるのだが。
そして今。熒が久しぶりに行きたいと言ったので、ならば二人で行こうという話になった。
乗り気なのか、熒は可憐な浴衣を纏っている。
薄桃色を基調とした、数輪の桜が描かれた浴衣。
赤い帯がまた、いい味を出している。
初めて見たときは暫く見惚れてしまう美しさだ。
◇
「ごめんな、わざわざ家まで来てもらって」
「うんうん、良いの。それに、久しぶりに雲斗君の顔も見たかったし」
落陽が俺と熒の背を照らし、眼前には長い影が行く先を照らした。
「……それにしても、ほんと星弥と雲斗君似過ぎだよね。双子にしても似過ぎだよ」
俺と兄は、双子だ。
それも、何もかもが酷似し過ぎている。
親でも時折見紛ってしまう程だ。
違うといえば、身長が二ミリメートルだけ俺の方が低い、だとか。俺の方が兄よりも数学が得意だとか。そんなしょうもない事しかない。
全人的理解は不可能だと言うが、それさえ
「まぁ星弥の彼女である私は見間違ったりしないけどね~」
全く信用できない。
「そうでなかったら困るよ」
少し冗談めかして俺は返した。
「夏祭り、どの屋台行こっか?」
熒は話を変える。
「そんな、選ぶほどの数ないだろ」
「そ、そうだけどさぁ……?」
「もう全部回れるだろ」
「……だね。確かに、屋台の数が昔と変わってなければ回れるね」
ははは、と熒は苦笑した。
「な、ならさ。どの屋台から回るか決めない?」
「そうだなぁ……」
「わ、私さ! 綿あめ食べたいんだけど!」
確かに、小学生の頃も熒は綿あめばかり食べていた記憶がある。
「ならそれから回るか」
「やったっ!」
そう言って熒は、背の夕陽よりも明るい笑顔を見せた。
心の汚泥もここ二年で少しはマシになっただろうが、それでも矢張り、スッキリはしない。
想いの渦に、押しつぶされてしまいそうだ。
だが、この役割も折り返し地点だ。
……役を済ませたら、熒にはちゃんと話したい。
星弥は隠し通したいようだが、このまま明かさず熒との関係を続ければ、気が可笑しくなる。
それもこれも、全部星弥の所為だ。
面倒臭い。
熒を大切にしたいのは解るが、しかしこの方法はより傷付けてしまうだけだろうに。
なんでそれに気付けないんだ。
知らぬぞ?
俺は勝手にする。
だから、終わったら、話す。
それで熒が傷付こうとも、俺の知ったことでは無い。
例えそれで熒の心が壊れても、知らぬ。
俺は、関せない。
◇
熒は、綿あめ片手に、少し雲に隠れた下弦の月を眺める。
神社の奥の林。そこにある、一切人目のつかない一つのベンチ。
ここに人が来ることはほぼ無く、ここからだと、夏祭りを睥睨し、その上綺麗な夜空も臨める。
しかし、一切の星を見られないのが欠点であるが、明るい町に住んでいる以上、仕方のない事だ。
俺も熒の隣に座るべく、ベンチの上にある落ち葉を掃い、座った。
すると熒は、俺の方へそっと寄り、二の腕がぴたりと触れ合う。
「綿あめ、美味しい?」
「うん、美味しい」
最初にも食べた綿あめであるが、もう一度食べたいとのことで、最後に再び一つ買ったのだ。
熒が綿あめを一口。
頬に手を当て、美味しさに笑みをこぼす。
「星弥も食べる?」
その横顔を眺めていたら、どうやら食べたがっていると思われた様だ。
「いや、いいよ」
「なら猶更食べな! はい!」
熒が綿あめを俺の口に近づけて、食べるよう勧めた。
「私の我儘を聞いてくれたお礼!」
我儘、とは夏祭りの事だろうか。
別に俺は我儘だとは思ってはおらなんだのだが。
まぁ折角だし、一口だけ。
「――うん。美味しい」
「でしょ!」
そう言うと熒は、俺の食べた所の付近を食べた。
「――星弥が良ければさ、また来年も来ない?」
視線を下に向けながら、熒は訊ねた。
「来年だけと言わず、ずっと来よう」
また嘘を
「うん! 約束だよ!」
決して叶えられない約束だ。
こうして出来もしない絵空事を言う事にも、慣れてしまった。
もう、まともな人間にはなれそうにない。
嘘を平気で言ってしまうような、クズに成り下がってしまった。
心の底から、笑いたい。いつか。
「……星弥」
「どうした?」
呼ばれたので熒の方を向くと。
「んっ…………」
接吻した。
柔らかい、温かい唇が、そっと触れられた。
息が止まる。柔らかい。
心が、謎の浮遊感に包まれる。
何故か、心底気持ちいいと感じてしまう。
柔らかい。柔らかい。
人の唇とはこれ程までに柔らかいのかと。
気持ちいい。
気持ちいい。
「はぁ………はっぁぁ…………」
熒が、色っぽく見えた。
普段は滅法可憐な彼女だが。
今は、とても艶めかしく見えた。
熒の吐息の一つ一つが、あまりにも魅力的だった。
自制しなければ、今にももう一度その唇に触れてしまいそうで。
「…………いきなり……ごめん」
俯きながら、熒はそう言葉を溢した。
「いや、別に、良いんだけど……さ」
あまりの動揺に、中々思った言葉が紡がれない。
キスは初めてなのだ。
そもそも、女の子と隣になって座ったことも初めてだし。
動揺しない方が可笑しい。
「きょ、今日はありがとね!」
立ち上がり、顔を外方に向けて、少し大きな声で言う。
少し見えた頬は、これまでで一番紅く染まっていた。
「そしたら、か、帰ろっか」
「そ、そうだね」
それからの帰路。
一切の会話が儘ならなかった。
うまく言葉が出てこない上に、熒の顔を見た瞬間、あの感覚が蘇ってきて思わず顔を外方に向けてしまう。
結局、別れ際に小声でバイバイというのが精一杯だった。
◆
怨嗟。
怨念。
そのような感情が、蟲毒の如く心の器に詰め込まれて、殺し合っている。
接吻は、呪いとなって、残留した。
傾慕。
恋慕。
そのような感情を、最近知覚した。
……俺は熒が好きなのか。
否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。
――そんな筈、無い。無いのだ。
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