時空間破壊バッファロー対策研究所の最後

郷里侑侍

第1話

 彼には三分以内にやらなければならないことがあった。これまでの時空間破壊バッファローの群れに関する研究を形而上サーバーにアップロードしなくてはならないのだ。それも、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れがこの研究所を破壊するまでに。


 他の研究所員の退避はすでに完了している。また、研究所は居住区から遠く離れたところに建てられている。つまり、この半径300km圏内にいる唯一の人間は、第18時空間破壊バッファロー対策国際研究所所長の彼だけ、ということになる。


 バッファロー接近の警報はすでに切ってある。意味がないからだ。


 幸いにも、データの形而上サーバーへのアップロード自体は数秒で終わる。ただ、データの圧縮だけはどうしても間に合わなかった。そこで所長である彼が残る必要があったのだ。どうしても人の手でやり遂げなくてはならない作業だった。


 彼とともに残ると名乗り出た所員も多くいた。だが、彼はそれを断った。時空間破壊バッファローに対策できる頭脳を失うことは損失だからという理由もあったが、彼の個人的な想いもあった。


 彼は子供のころ、両親を時空間破壊バッファローの群れに殺されているのだ。バッファローの群れから避難する飛行機があと一人しか乗れず、子供のころの彼を乗せて両親は死を選んだ。そして彼の両親は時空間の藻屑となって消えた。


 彼がここで死ぬことを亡き両親は望まないだろう。だが、両親がつないでくれた命を、今度はより多くの人類の未来のために使うことが、彼には正しい行いだと感じられた。


 そのときだった。バッファローの足音が聞こえ始めた。低く、低く、骨の髄を震わせるような地鳴り。それが時空間破壊バッファローの群れが近づいてくる証だった。その通り道にあるものはなんであろうと空間もろとも砕かれ、そして時空の強制的な修復作用によってこの世界から消失する。


 消失したものはどうなるのか。いくつかの仮説はある。時空間の裂け目はその先がゴミ箱のようになっていて、砕かれたものたちが時間軸を無視してばらばらに入っているという説がもっとも有力視されている。それは少なくとも死には違いないわけだが、どういう感覚なのだろうか。恐怖もあったが、科学者としての興味もあった。


 データ圧縮完了を告げる音声が彼を思考のまどろみから現実に引き戻した。アップロードのボタンを押す。これが彼の人生最後の意味ある行為となる。


 そこまでしてようやく、バッファローの群れの足音が大きくなっていることに彼は気づいた。いよいよここに時空間破壊バッファローの群れが到達する。周囲の景色が色収差を起こすように歪む。時空間がたわんでいるのだ。


 突然研究室の壁が破壊された。時空間破壊バッファローの群れが彼の眼前に現れたのだ。虹色の燐光をまといながら、おびただしい数のバッファローは一瞬で彼の鼻先に到達する。時間が引き伸ばされ、周囲がほとんど静止したかのような感覚に陥る。彼は研究室の空間が万華鏡のように歪んでうごめくのを眺めた。


 一瞬の衝撃。


 闇。




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 「誕生日おめでとう」

 「ほら、ハッピーバースデー歌って。ビデオ撮るから」


 彼の目の前には死んだはずの両親がいた。子供のころに住んでいた家で、彼の誕生日を祝っている。暗い部屋の中をバースデーケーキのろうそくが照らしていた。


 「何歳になったのかな?」

 

 これは何歳のときの記憶だろうか。思い出そうとしながらも、彼の口は勝手に動いた。


 「10歳だよ「6歳だよ「4さい!「9歳だよ「12歳」


 あらゆる時間の自分がしゃべる感覚。それは錯覚ではなく事実だった。バースデーケーキが次々にその姿を変える。それは過去に自分の誕生日に両親が作ってくれたものだった。


 「誕生日おめでとう!」

 「おめでとう!」

 「おめでとうございます」


 部屋に高校のクラスメート、大学のときの友人、研究所の所員が祝いの言葉を述べながら入ってくる。皆当時の姿だった。


 「プレゼントよ」


 部屋の中に次々に物があふれる。すべて彼の人生に現れたものであり、そのいずれもが彼に楽しい記憶を想起させた。ガールフレンドが彼の頬にキスをする。


 彼は時空間破壊バッファローの群れによって死ぬことの意味を悟った。バッファローの時空間破壊によって死ねばその人間の精神──つまり主観的観測──は時空の狭間に落ちる。破壊された時空の破片に埋もれた精神は、モザイク画のごとく楽しい場面だけで再構成された自分の人生を再体験することになるのだ。


 そして彼は思い至る。全てを破壊する時空間破壊バッファローの群れは、一種の人類に対する安楽死装置なのではないか。いや、それには根拠が足りない。だが、しかし……。


 「ほら、早く。ろうそくを消して」


 両親や友人がハッピーバースデーの歌をうたった。そうだ、火を消さなくては。


 ハッピーバースデーの歌が終わるとともに、彼はバースデーケーキのろうそくを吹き消した。





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 「自然は惜しみなく奪う。だがそこには慈悲が確かに存在している」

 ダニエル・エル・マルシャン『自然の機構について』

 






 

 

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時空間破壊バッファロー対策研究所の最後 郷里侑侍 @kyouri_yuuji

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