秋月さんと御影くん ~あの娘、ぼくが死んじゃったらどうするんだろう~

ピジョン

第1話 秋月さんと御影くん

 身長181cm。女子剣道部主将にして選抜優勝経験あり。奥二重の視線は、ちょっと冷たそうに見えるけど、とてつもない美人さん。


 袴姿も凛々しいぼくのクラスメイト。秋月 蛍。


 彼女と出会ったのは、高校一年生の春のこと。高所にある私物を取ろうとして足を滑らせ、大転倒寸前のところを助けられた。


「あんがとね」


 身長147㎝のぼくは、身長181㎝の彼女に抱き留められ、その胸の中で見つめ合う。


「……どういたしまして」


 ぼくを見つめる彼女の瞳は、少し驚いたように見開かれていて。


「か、可愛いね」


「ぼくは男だ。その褒め言葉は嬉しくない」


 笑って言った。


「そういう趣味の娘に興味はないんだ。あっちに行けよ」


「それは、助けられたヤツが言っていいセリフじゃない」


 ぼくらは冷たい笑みを浮かべて睨み合った。


「秋月(あきつき)蛍(けい)だ」

「御影(みかげ)悠希(ゆうき)」


 簡潔に自己紹介を済ませ、やっぱりぼくらは異口同音に言った。


「「よろしく」」


 それ以来、彼女はなにくれとなく、ぼくの世話を焼いてくれるようになった。


「やあ、御影。今日は一緒に食事でもしないか?」

「奢りならね」


 何でもハッキリ言わなきゃ気が済まないぼくは、クラスじゃ少し浮いている。

 そんなぼくに、彼女はいつも良くしてくれて。


「御影、自分で言うのも何だが、私は他人より優秀にできている。何でも言ってくれて構わない」


「……じゃあ、空を飛べ」

「面白い冗談だ」


 秋月蛍は特別なひと。

 容姿端麗、頭脳明晰、成績優秀。運動神経抜群で、噂じゃ彼女は特待生。何でもできる完璧超人。

 いつだって素直じゃないぼくに優しい彼女のことを、意識するようになったのはいつからだろう。

 高校二年生になった頃。


 ちょっぴり口煩くて、それからちょっと焼き餅焼き。


 ――御影、私以外の女子と二人きりになってはいけない。酷いことをされるかもしれないからね。


 それが彼女の口癖。


 ――御影、女子からの手紙は全て私に渡してほしい。代わりに返事をしておくよ。


 優しくて強い、ぼくのクラスメイト。


 ぼくらは二人で何でもやった。

 それから更に一年後――


◇◇


 また新しい春がやって来て、夕暮れ時の教室で二人きりになったとき――


「御影、私たちも、もう三年生だ。高校生活も残すところ、あと一年になったわけだ」


「うん、なに……?」


 僅かに開いた窓から春の風が吹いてきて、蛍の長い髪を揺らしている。何だかちょっと違う雰囲気なのは、いつもは下ろしている長い髪を纏めてポニーテールにしているせいだろう。

 髪を上げたときの蛍は本気。


「御影、好きだ」


「…………」


 驚きで言葉もなく。

 何故、ぼく? 身長147cmのぼくと彼女との身長差は30cm以上になる。釣り合わない。


「私と付き合ってほしい」


 そんな彼女は性急で。


「結婚前提の話だ。卒業したら、すぐに籍を入れよう」


「……って、本気?」


 蛍は真顔で頷いた。


「ああ、本気だ。御影以外、考えられない。出会った時から、ずっとそう思っていた」


「……ええっと、それは……」


 蛍は大きな胸を張り、自身満々で言って退けた。


「そう。御影、お前が私の最適解(こたえ)だ」


 秋月蛍……彼女には、不思議な力がある。

 天才的な閃き。未来予測。根拠を必要としない直感のようなもの。所謂、天啓。蛍はそれを『最適解』と呼んでいる。


「一目見たとき、ビリッと痺れたんだ」

「えっと……でも……」

「迷うな。返事は、『はい』か『分かった』かのどちらかしかないんだ」


 そんな蛍は鋭い視線。試合のとき見せる厳しい表情。正眼に相手を捉え、決して視線を切らない。

 ちょっぴり怖い。

 ぼくは考えに考えてーー


「じゃあ、その……分かった」


「…………」


 迷いながらも、ぼくがはっきり頷いて見せると、蛍は肩の力を抜いて、ふわりと笑った。


「よし」


 夕暮れ時の教室で、ぼくは蛍に引き寄せられ、その場で固く抱き締められた。


「万事、よし」


 ぼくと蛍は、クラスメイトという関係を終わらせ、結婚前提の恋人同士という関係になった。


「……蛍、本当にぼくでいいの?」


 ぼくには人に言えない秘密が沢山ある。不安からそう言うと、蛍は笑って頷いた。


「あぁ、御影だからいいんだ」


「……そう」


 ぼくと蛍が恋人関係。何だか凄くおかしな気分。これまで、彼女とは仲のいいクラスメイトという関係。剣道部のマネージャーをして部活動のお手伝いをしたこともある。文化祭では二人で遅くまで出し物の準備をしたこともある。体育祭では二人三脚をしたし、お正月の初詣には二人で行った。暇なときは一緒に遊んだし、試験前は図書館で勉強だってした。そう考えると……


「あ、あれ?」


 これって、以前から付き合ってるようなものじゃないんだろうか……。


「…………」


 顔を上げると、優しそうに微笑むいつもの蛍と目が合った。


「御影、ここでキスをしよう」


 そんなことを堂々と言う蛍は微笑っている。


「……いいよ」


 合わせるだけの優しい口付けは、ほんの少しだけ唇が震えていて、本当は蛍が怖がっていたことが分かった。


「んっ…………」


 離れると、蛍の目は潤んでいて、頬は朱色を流したように赤かった。


「末永く、お願いします」


 なんとなくそう言うと、蛍は一瞬、目を丸くして、それから笑った。


「……ふふっ、分かった。もう離さないよ」


 そんな風にして、ぼくと蛍は始まった。


◇◇


◇◇


 春の日は風。

 ぼくと蛍は、のどかな日射しの中、学校に続く坂道を歩いた。

 蛍は少しぼんやりさん。


「……なあ、悠希。好きだ」


「はい、分かってます」


「……ならいいんだ」


 秋月蛍は電光石火。

 想いを告げたその日の内に、父親を連れてぼくの家まで挨拶に来た。

 蛍のお父さんは、背広を来たお爺さんで、もう八十歳近いけど、背筋はぴんと伸びていた。


「……秋月和修です。今日はうちの不肖の娘が大事な話があると言い出しまして、お宅まで伺った次第です」


「秋月和修さん? ……財務大臣の? 似てるっていうか本人……」


「まあ、そうですな」


「…………」


 和修さんの後ろでダラダラと脂汗を流す蛍は滅茶苦茶テンパっていて、本当にらしくなかった。目を左右に泳がせ、のっけから大砲をぶっ放した。


「む、息子さんを私に下さい」


 この大砲の直撃を受けた父さんも、滅茶苦茶テンパった。


「ム、ムスコを!?」


 股間を押さえ、内股になって震え上がった父さんの様子に、ぼくは思い切り噴き出した。

 父さんはかんかんに怒った。


「悠くん、何を笑ってんのさ! いい? 和修さんてさぁ、昔総理大臣やったこともある偉い人なんだよ!?」


「知ってる」


 蛍は何でもぼくに話してくれたし、秘密はない。結婚前提の付き合いである事を告げると、父さんは目を瞠(みは)り、続いて膨れっ面になってそっぽを向いた。


「あ~あ、あ~あ! 悠くん不潔だな! 父さんに黙ってこんな別嬪さんに手を出すなんてさぁ!」


 慌てたのは蛍だ。


「い、いえ、手を出したのは私です。息子さんを怒らないであげて下さい!」


 無茶苦茶なこの顛末に、和修さんが、呵々(かか)と笑った。


「うはは! 若い若い!」


 ぼくも笑うと、父さんは肩の力が抜けてしまったのか、大きな溜め息を吐き出した。


「悠くん、マジ?」


「マジ」


 ぼくが笑いながら請け合うと、父さんはその事を確認するように蛍を見つめた。


「ほっ、本気です」


 後から聞いた話だけど、蛍はこんなに緊張したのは生まれて初めてだったそうだ。


 堂々として、いつも格好いい蛍が、この時ばかりはだらしなかったってお話。


 それから色々あって――


◇◇


 のどかな日射しの中、晴れて両親公認の恋人同士になったぼくと蛍は、二人仲良く手を繋ぎ、学校に向かう坂道を歩く。


「なあ、悠希。今日は私の部屋に泊まっていけ」


「はい、分かりました」


 ぼくの父さんは、和修さんが経営する会社の役員の一人として働くことになった。

 うちは貧乏。和修さんの勧めがあったこともあるけれど、ぼくの進学費用を捻出する為に父さんが出した苦渋の結論。


 蛍はぼんやりさん。眩しそうに春の陽を見上げて言った。


「……私は、その口の利き方を咎めないぞ」


「はい」


「私は嫌なヤツで、卑屈な態度を取るお前を見ていると、すごく安心するんだ」


 ぼくは蛍の恋人。父さんを人質に取られ、半分は奴隷。


「……自分がこうなるなんて、思いもしなかったよ」


 細く長い蛍の指先が延びてきて、擽るようにぼくの首筋に触れた。


「いつだって愛してる」


「はい、分かってます」


 これが、ぼくと蛍の新しい形。


◇◇


 ぼくと付き合うようになって間もなく、蛍は剣道部を辞めてしまった。


「いつまでもチャンバラごっこに現を抜かしていられるか。馬鹿馬鹿しい」


 というのが蛍の答え。

 秋月和修の娘である彼女は東京の大学に進むことが決まっている。

 地方の優秀な人材は首都圏に流れる。社会現象。海外への留学も視野にあるようで、どのみち剣道を続けることはできない。ぼくは反対しなかった。


 学校が終わると、蛍はワンルームマンションの自室に直帰する。週に五日家庭教師がやって来て、集中的に勉学に励む。そこにはぼくも含まれる。

 蛍が飽きてぼくを放り出さない限り、ぼくも海外の留学には同行することになりそうだ。

 ぼくの成績は上々で、蛍はご満悦。


「うん、これなら問題ない」


「ありがとうございます」


「いいんだ。少しお腹に触らせてくれ」


 二人の時間が長くなって、蛍にはおかしな癖が幾つかできた。


 新しく買った大きなソファに腰掛け、長い脚の間にぼくを座らせ、背後から抱き締めて飽きるまでお腹を擦る。柔らかくて気持ちいいらしい。

 ぼくのお腹をすりすり、蛍が尋ねてくる。


「それで、どうだ。勉強のストレスは溜まってないか?」


 割とマッハだけど、口に出してはこう言った。


「大丈夫です」


「そうか。私も大丈夫だ。悠希がいて良かったよ。ずっと勉強ばかりしていると気が滅入る。それも――」


 ぼくのお腹を擦っているうちに忘れる。日々勉強だけど、途切れることのない蛍の集中力には家庭教師の先生も感心していた。


「今日も泊まっていけ」


「はい」


 殆ど同棲生活のぼくらだけど、身体の関係はない。


「なあ、悠希。ここにお前の劣情の全てを受け止めても構わないと思っている女がいる」

「……はい」

「お前は不能なのか?」

「…………」


 未だ身体の関係がないという事実は、蛍のプライドを酷く傷付けている。ぼくは決して不能じゃないし、彼女に女性としての魅力を感じない訳じゃない。

 でも、ぼくには秘密がある。

 どうしても、その一歩が踏み込めずにいる。


「ご、ごめんなさい……」

「……いや、無理にすることじゃない。酷いことを言ったな。すまなかった」


 そう言った蛍の顔には、不満の色がありありと浮かんでいた。


◇◇


 勉強をしているとき以外の蛍は、ぼくに引っ付いて、お腹を擦ったり髪の匂いを嗅いだりして二人の時間を過ごす。


「腹が減ったな。セツに何か買って来させよう」


 武田節子。二十四歳。秋月家の使用人で蛍のお目付け役。運転手兼御用聞きでもある彼女のことを、蛍は『召し使い』って呼んでいる。優しくて、とてもいい人だ。


「ぼくが作ります」


 と言うと、ふにゃ、と蛍はだらしなく笑って頷く。


「悠希、愛してるよ」


 こんな感じで、蛍は毎日告白する。彼女がぼくに飽きない限り、ずっとこんな毎日が続くんだと思う。


 そう、思っていた――。

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