焼きたてホカホカ

「へぇ…そうやって縫うんだ」

めちゃくちゃ間近で見てくる。

アルさん…近いです。


そんなにお針子の仕事が珍しいのだろうか…

僕には分からない、自分の技量は見て楽しい程とは思えない。

むしろ、エマさんの手付きの方が素晴らしく流麗なので、そちらをお勧めしたくなる。


ずっと見られていると、やはり緊張してきて、針が汗で滑る。


「ごめんごめん、やりにくいよね…」

分かっているなら、どこかに行ってくれ無いかな…と思ったら、アルさんは、スっと立ち上がると本当にどこかへ行ってしまった。

まさか、心の中の言葉が通じたのか?


ホッとして、また再び集中し、針を動かしていると…

なんだか良い香りがしてきた。

香ばしいような、パンかなぁ。

お腹が空いてきた、昼食はまだかなぁ。

ここでの楽しみは、食に関する事しかないので、僕は、毎食のご飯をとても楽しみにしていた。

思ったよりも食べるので…

隣のエマさんが驚いたほどだ。


大食いの女性は、はしたないかとも思ったが、僕は男だとバレなければ良いだけで、女として誰かに好かれる為に来てる訳では無い事が頭に閃き、少食のフリをするのは早い段階で辞めた。

厨房のハンナさんは、むしろ嬉しそうに、僕にオカワリを持ってきてくれる。

もう、大食いの女で良いじゃないか。


あの新入り、めちゃくちゃ食べるな…女の癖に…と言う冷ややかな声が聞こえ、逆に、しめしめと思ったのは言うまでもない。


そんな事を思い出していると、グイッと目の前に湯気の上がるパンが差し出された。

ものすごく良い香り…小麦の香ばしい香りが僕の鼻から逃げてくれない。


「今、焼きたて貰ってきた…食べるかい?」

首を傾げるアルさんは、少し可愛かった。

もちろんいただきますとも!!

僕は素早く手のひらを上にすると、パンを乗せて貰った。

暖かい…いや、むしろ熱い位のパンを運んで来てくれた事に、凄く感謝した。

僕は食べ物に簡単に釣られる男なのだ。


「そんな笑顔が見れるなら、毎日届けたようかな?」

なんというか、キザな台詞が似合ってる。普通なら、ケッとか思ってしまいそうな言葉も、アルさんが言うと、納得してしまう。

僕を女だと思っているのだろう事を、少し申し訳なく思った。

すいません、男ですよ、僕。

パン貰っといてなんですけど、男なんですよーーー!

何の利益も無いですよぉーーーー!

お返しに身体で…とか、一切出来ないですよーーー!

虚しいが、心の中で、叫んでみた。


パンを頬張ると、外はカリッとしていて、中はフワッフワで、僕は夢中で頬張った。

「そんなにお腹空いてたのかい?ちゃんと食べてるのか?」

あまりの食べっぷりに驚いて、おまけに凄く心配されてしまった。

覗き込んでくるので、慌てて距離を取る。余り近くに来られたら、女では無い事が、バレるんじゃないかと僕は、いつも人とはなるべく距離を取っていたから。


自分を指さし、物を次々に口に入れる動作をする。沢山食べる…みたいな。


「え、もしかして、大食いなのか?」

アルさんは、僕の動作で、言いたい事を汲んでくれようとする、こういうのを面倒くさがらない所、他の人とは違う。

毎日接してるエマさんですら、ジェスチャーだと分かりにくいのか、直ぐに黒板とチョークを渡してくる。

これに書けと。


大食いなのか?の問いに、うんうんと頷いたら、とても笑われた。

やはり、女の大食いは、中々居ないのだろう。もしくは、大食いだとしても、人前では隠すのだろう…


まぁ、別にアルさんとは、職種も違うから、居住スペースも違うし、接点は、この庭の木の椅子だけ。

安心して、大食いアピールしとこう。

パンは、いつでもウェルカムだから。


「美味しい?」

ブンブンと首が痛くなりそうな程に振った。

そうかそうか…と嬉しそうなアルさん。

すっかり食べ終わると、僕は再び針を取り出した。

「本当に仕事熱心だな…」

そりゃそうだ、僕のここに来た意味は、全てこの目の前の絹布と糸にある。


しばらく、僕の横で庭の風を楽しんでいた遠くから鳶の鳴くような声がした途端、アルさんは、慌てたように突然立ち上がった。


「あれ?首のレース取れかけてるよ?」

結び直してくれた。

危ない危ない、結び方が、緩かったのかな…大事な縛め。男だと分かってしまう印のある場所、毎日キチンと結んでいたつもりだったけど、気が緩んでいたのかな。しかも、姉上が僕の為に作ってくれた手作りの品。

姉上ごめんな…と心の中で謝る。

アルさんに少し怪訝な顔をされた気がしたけど、何も言われなくて…ホッとした。

バレなくて良かった。


「あー、残念…そろそろ行かなきゃな…また晴れたらな」

僕の頭をポンッと叩くと足早に去った。

寂しげに見えた表情に、一瞬だけドキリとした。男の僕でも胸が弾んでしまうような美貌の持ち主は、女の人には、不自由していないだろうに…

最初の夜の事を気遣って、僕に構ってくれるアルさんは、本当に優しい人なのだろう。

言葉で御礼が言いたいけれど、伝える事も出来ないのが、少しだけ悲しかった。


それから、晴れた日は、アルさんが木の椅子の所に居るのが当たり前みたいになった。

約束したりなどしてないのに、彼は、そこに居る。

僕の方がどうしても用事があって、晴れた日でも行かなかった日は、どうしてるのだろうか、少しだけ気になった。

待ってなければ良いんだけど…


それから僕は毎日の天気が気になるようになって、夕方は、必ず雲の動きを見ていた。

当たるとは限らないけど、何となく雨か晴れか…くらいは分かるので。

なんだか、楽しみにしてるみたいで、ちょっと嫌だけど…

パンが欲しいから…なんて、自分に言い訳してみた。

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