一番怖いのは

彼岸花

一番怖いのは

 じいちゃんを殺した。

 何時もつまらない事でぎゃーぎゃー騒ぎ、家族のみんなから嫌われている。わたしのする事もなんにでも怒鳴ってばかり。お父さんもお母さんも、近所の人すらじいちゃんの話には顔を顰める。じいちゃんは地主で、お陰でわたしは大きな家で暮らせている、ってじいちゃんは言うけど、ただの自慢話にしか聞こえない。

 そんなじいちゃんを、じいちゃんが好きだった盆栽の鉢植えでガツンと頭を叩いた。

 ぴくぴく動いていたし、まだ死んでなかったかもだけど。もう五月蝿くなくなったじいちゃんを、わたしは足を掴んでずるずる引きずっていく。

 じいちゃんは痩せていて、女子中学生のわたしでも引きずれば運べるけど、外に持ち出せば、いくらうちの周りが結構な田舎といっても人目に付く。免許がないから車だって運転出来ない。かと言って家に置いていても、夜になればお父さんが仕事から、夕方にはお母さんが買い物から帰ってくる。

 このままだと、じいちゃんの死体は見付かる。

 だけどわたしは隠し場所を知っている。

 庭の池だ。この家が建つよりも前から、じいちゃんが子供の時からあるもの。結構大きくて、とても深くて、だけど魚とかはいない、時々底が見えないぐらい濁る池。

 じいちゃんの死体を、この池に捨てた。

 濁った池に沈んだじいちゃんの身体は、あっという間に見えなくなった。

 その日のうちに、じいちゃんがいなくなったってお父さんもお母さんも大騒ぎ。警察に通報する話になって、実際行方不明って通報されたけど。でも見付かりっこない。

 わたしがじいちゃんを殺した次の日、池の水は透き通ったけど、池の底にじいちゃんの姿はなかったのだから。






 じいちゃんを殺した次の年、お父さんを殺した。

 じいちゃんがいなくなってから、お父さんはじいちゃんのようになった。威張るようになって、お母さんを一々いびるようになった。わたしにもつまらない事でガミガミと叱るようになった。じいちゃんの遺産を継いで、お金持ちになったのが原因だろうか。そのお金、お父さんが稼いだ訳じゃないのに。もう働かなくていいって、仕事を辞めて一日中家にいるようになったのも余計に鬱陶しい。

 わたしに怒って勝手にスッキリしたのか、隙だらけになった頭を灰皿でガツンとやったら簡単に殺せた。倒れ方も、死に方も、じいちゃんそっくりだと思った。あと油断の仕方も。

 死体の片付け方もじいちゃんと同じ。その日は池がとても濁っていたから、そこに沈めればもう見えない。じいちゃんよりも大きな身体は運ぶのが大変だったけど、ずるずる引きずってどうにか運べた。

 お父さんがいなくなって、お母さんはすぐ警察に通報した。またこの家かと警察もちょっと騒いだ。わたしもお母さんも取り調べってやつを受けた。お母さんがどう答えたかは分からないけど、わたしは知らないって言って、警察はそれを信じたと思う。

 仮に疑ったところで、どうせ気付きもしない。じいちゃんだって未だに見付けてないのだから。

 次の日、池の水が透き通った。底には何もなかった。もうこれで、お父さんも見付からない。






 次の年、今度はお母さんを殺した。

 お父さんとじいちゃんがいなくなって、お母さんは近所の人から色々言われるようになった。それに遺産が入ったのに、やたらとお金の心配もするようになった。

 きっとすごいストレスがあったんだと思う。元々気の弱いお母さんは、その所為で頭がおかしくなった。精神病ってやつだと思う。お医者さんに診てもらうよう勧めて、怒って暴れて、結局病院には行かなかったから、本当にそうかは分からないけど。

 でも、絶対状態は良くなかった。いきなりお金をたくさん使ったり、その事を急に後悔したり。飲めないお酒を飲んだり、一日引きこもったり。わたしに突然怒ったり、泣いて謝りながらしがみついたり。明日どころか、一時間後にどうなっているかも分からない。

 正直、わたしが身の危険を感じる事も一度や二度ではなかった。このままだと殺される気がした。

 だからという訳じゃないけど、お酒を飲んで酔い潰れたお母さんを、そのまま濁った池に沈めた。

 殴ってはいないし、これは殺したって言うのかな? まぁ、酔い潰れた人を池に沈めたら、普通死ぬと思うし、わたしが手を下したって事になるんだろう。

 池に沈めた次の日、わたしは警察に通報した。こういうのはちゃんとやる事をやらないと、色々疑われる。逆にやる事をちゃんとやれば、案外疑われない。お母さんの前に二人殺したわたしの経験だ。まぁ、三人目ともなると流石に凄く色々聞かれたけど。警察だけでなく役場の人とか、児童相談所の人とかも来たし。

 仮に疑われたところで、透き通った今の池に、お母さんの死体はないんだけど。






 足りない。

 足りない足りない足りない足りない。

 三人殺して、池に沈めた。だけどこれじゃあ足りない。一年経ったら池はまた濁り始めた。

 怖い。

 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い。

 奴等が、また出てくる。

 うちの池は、大昔からあった不思議な池。埋め立てようと話をしただけで、何かに八つ裂きにして殺されるという曰く付き。だから誰も手が出せなくて、うちの家が建つまで森の中だった。家を建てたひいじいちゃんも、池を埋め立てようとした途端誰かに殺されたらしい。池だけは、どうにも出来なかった。

 そして池が濁った時に、奴等は来る。

 わたしも一度だけ見た。じいちゃんが生きていた頃のとある夜中、池から這い出す、不気味な奴等の姿を。

 それは魚の頭部と、人間のような身体を持っていた。人間のような、と言ったけど、身体の表面はカエルみたいにぬるぬるしていて、筋肉の付き方も……漫画ぐらいでしか筋肉質な男の裸なんて見てないけど……人間とは違う。オタマジャクシみたいな尻尾も生えていたし、手もよく見れば四本指だし。大まかな形だけ真似たような、細部が奇怪なものだった。

 魚に似た頭も、マグロやコイとは明らかに違う形をしている。口はワニのように裂け、内側には小さくて鋭い歯がびっしり並ぶ。舌は見当たらない。目玉がある筈の場所からは三本の、蛆虫みたいな触手が生え、触角のように揺れ動いていた。

 そいつら(確か三体ぐらい出ていた)は庭を徘徊して、家の中にも入ろうとしてきた。二階の部屋の窓から見たので、正確ではないかもだけど……雨戸を抉じ開ける事はしなかったけど、何かを相談しているようだった。

 知能があった。少なくとも、癇癪に任せて雨戸を破るような事はしない程度には。

 その日、奴等はしばらく庭を徘徊していて、夜明け前に帰っていった。でも、未来永劫そうとは限らない。あんなのに襲われたら、きっとどうにもならない。

 警察なんかに言ってもどうせ信じてもらえない。どうしたら良いか分からなくて、家の中を歩き回って……

 そんな時、物置の中に見覚えのない手記がある事に気付いた。

 なんだか興味が湧いて、読んでみた。するとそこには、恐ろしい事が書いてあった。

 奴等は、異界の生物らしい。

 恐るべき力を持った怪物達であり、一体だけでも、人間が何人か束になっても敵わないほど強い。ただ肉体が優れるだけでなく、不思議な術も使うという。しかも人間並に賢く、罠や作戦も通用しないとか。

 一体だけでも、うちの家族を皆殺しにするぐらい簡単だ。ましてや群れがこっちに来たら、世界が滅ぼされてしまうかも知れない。そして奴等はこっちの世界では異物でも、異界では有り触れた種。数は決して少なくないと書かれていた。

 どう考えても、勝ち目のない相手だ。

 だけど、帰ってもらう術はある。

 生贄を捧げるのだ。奴等は振る舞われた人間の味に満足し、その時の襲撃は取り止める。水の濁りは異界と繋がった証であり、生贄を捧げれば繋がりが解けて元の透き通った池に戻る。

 それでも何度かは、奴等はこっちに来ようとするだろう。だけど何度か生贄を出せば、やがてその味に飽きる。そうなればしばらく、百年か二百年はこっちの世界に来ないだろう――――

 手記の言葉を信じて、わたしはじいちゃんを殺した。自分が殺されたくないのもあったけど、元々嫌いだったから、いなくなっても構わなかったし。

 効果はあった。死体を沈めた次の日には、池の濁りはなくなった。夜中にそいつらが池から出てくる事もなくなった。手記に書いてあった内容は確かだった。

 それから一年が経ってまた濁ったらお父さんを、その一年後にまた濁ったからお母さんを、池に沈めた。その度に池は透き通り、奴等は出なくなった。

 でも、また濁った。

 もう家族は他にいない。だけど生贄を捧げなければ、奴等はまたこっちの世界にやってくる。最初は家の中までは来なかったけど、やろうと思えば入ってくるかも知れない。いや、もしも大群で、狩りをしに来たら……

 そうなったら、わたしの命どころか数え切れないほどの人が犠牲になる。

 正義とか、今更言うつもりはない。家族三人を殺しているのは間違いないのだから。だけど、それ以上に大勢の人が殺されるのを見過ごすなんて出来ない。

 なんとしても、生贄を続けなければ。

 奴等が飽きるまで。奴等が諦めるまで。

 わたしが、食い止めるんだ――――
















「……そして、三年間で六人の子供を誘拐。七人目の子供を誘拐したところで警邏中の警察に捕まって、過去の犯行を自供、と」


 刑事の男は淡々と独りごち、それを聞いた部下である若い警部補はこくりと頷いた。


「証言通り、灰皿や盆栽の鉢植えから血痕が検出されました。子供の誘拐時刻や状況についても、犯人しか知り得ない情報を話しています」


「んで、その結果こんな池の捜索をしている訳だ」


 刑事が呆れたように言いながら見下ろすのは、犯行を自供した女子高生が暮らしていた家――――その家の庭にある池だ。

 確かに、大きめの池ではある。直径五メートルはあるだろうか。地主らしい広々とした庭でなければ、邪魔臭くて仕方ないだろう。

 しかしそれだけだ。澄んでいれば底が見えるぐらいには浅い。こんな場所に死体を沈めたところで、簡単に見付けられるだろう。大体いくら大きいからといって、九人もの人間を『収納』出来るようには見えない。

 仮に見逃していたとして、死体はやがて腐敗する。しかも水中だから、ミイラのような清潔な腐り方はしない。腐敗時のガスで身体がぶくぶくと膨らみ、タンパク質や脂肪の分解で生じた耐え難い悪臭をばら撒く。そして気体の浮力により浮かび上がり、必ず人目に付く。

 今は鑑識が三人池の底を漁っているが、死体が出てくる事はないだろう。


「まぁ、嘘ですよね。そもそも化け物が出てくるのを防ぐためとか、子供じゃあるまいし……」


「いや、嘘とは限らねぇ。少なくとも当人にとってはな」


 長い事刑事として務めていると、時折出会う。

 所謂精神病を患った人間だ。彼が聴取しただけでも「幻聴に命令されて通行人を轢いた」「自分を監視している奴を殺した」などの証言を聞いた事がある。

 そして彼等の言葉は、いずれも真剣だ。


「考えてもみろ。集団ストーカーされて、何時か殺されると本気で思い込んで……その『犯人』が現れたら、一矢報いてやる、ぐらい考えないか?」


「うーん、そりゃ考えなくはないですけど……でも常識的に考えればあり得ないじゃないですか」


「あり得ない事が分からなくなるから、病気なんだ。頭の病気なんだから、それは仕方ないだろう。むしろそういう偏見が、事件を生むかも知れんぞ」


 真剣だからといって、見逃すなどあり得ない。証言通りなら、逮捕した女子高生は九人もの人々を殺めた殺人鬼だ。ましてや許す事など出来ない。

 しかしその動機が病気の所為なら、ちゃんと治療していれば事件は未然に防げたかも知れない。

 そして精神病というのは、未だ強い偏見があるものだ。容疑者の母がそうだったように、行くだけで近隣住民から白い目で見られるかも知れない。身体が病気になれば病院に行くのが当然なのに、病気になったのが『頭』だと何故行ってはいけないのか。

 もしかすると容疑者の女子高生は、病気の兆候があっても病院に連れて行ってもらえなかったのかも知れない。地主の孫娘ともなれば、世間体を特に気にしただろう。最初の犠牲者である容疑者の祖父も、よく言えば昔気質の、悪く言えば古い考えの人間だったらしい。精神病を気狂いぐらいに考えていてもおかしくない。

 ……容疑者祖父の気持ちは、男も理解する。むしろ世間体を全く気にしない人間なんて、ろくなものではないだろう。だが孫娘がそうなっても、体調よりも世間を重視するのが正しいとは思えない。

 もしも世間体なんてもののために、未来の殺人鬼が育まれたのだとしたら。

 止められなかった妄想が、九人もの命を奪ったのだとしたら。


「本当に恐ろしいのは、化け物じゃなくて人間って事かねぇ」


 三流ホラーのような感想を、ぽつりと独りごちる。

 そうでもしなければ、気持ちの整理は付きそうになかった。


「……あ、でも一つ気になったんですけど」


 と、ここで話が終われば収まりが良いのに、部下の警部補はまだ続ける。

 内心呆れながらも、刑事は聞き返す。


「何が気になんだよ」


「容疑者の言ってた手記です。話の通りなら物置にあったらしいですけど、なんでそんな本があったんですかね?」


 他愛ない疑問。恐らく警部補はその程度の認識だ。

 しかし刑事の男は考え込む。

 手記自体は、確かに存在している。逮捕時、容疑者が大事に持っていて、留置所に入れる際押収するのに苦労した。

 証言の通りなら、その本は容疑者が書いたものではない。ならば誰かが物置に置いておいた事になる。

 それは一体、誰なのか?


「……昔の自分、とかじゃないか。精神病が酷くなると、自分のした事も忘れて、被害の証拠と言う事もあるからな」


 それっぽい答えを返すが、男自身しっくり来ていない。

 手記に書かれている内容は、刑事であるこの男も読んだ。一応は証拠品であるため頭から最後までしっかりと。あまりのイカれた内容に、今度はこちらの気が狂いそうに思ったものだ。

 そしても感じた。

 文章から切迫感や危機感が、まるで感じられなかったのだ。確かに全くの出鱈目なのだから当然と言えばその通りだが……しかし容疑者の女子高生は、その妄想を信じている。危機感がないとは思えない。

 書いたのが病気になる前の容疑者なら、真剣味がないのも頷ける。しかし容疑者は現時点で高校生。証言通りなら本を見付けたのは最初の殺人の前、つまり中学生時代だ。手記の文体はしっかりしたもので、子供が書いたようには思えない。

 何か、違和感を覚える。

 自分は思い違いをしているのではないか。偏見なく見ているつもりで、大きな勘違いをしているのではないか。男の中で、疑問がどんどん大きくなる。


「……あれ?」


 考え事の最中、不意に部下が声を漏らす。

 何かあったのか。それを聞くために男は顔を上げ、しかし質問の言葉は出さない。

 出さなくても、状況は理解出来た。

 

 さっきまで池を捜索していた筈の鑑識の姿が、何処にも見当たらないのだ。捜索を打ち切ったのか? もしもそうであれば、普通刑事である自分達に一言、成果があったかどうかぐらいは報告するだろう。というより、撤収準備を始めたなら、いくら考え事や話をしていたからといって気付く。

 彼等は何処に行ってしまったのか。


「何処行ったんでしょうかね。まさか溺れてなんかはいないでしょうけど」


 冗談のつもりだろうか。部下はそんな軽口を叩きながら、先程まで鑑識達がいた筈の池へと近付く。

 池は、酷く濁っていた。

 舞い上がった泥とは違う、腐敗した沼のような濃い緑色の濁りだ。


「ま、待て。何か」


 おかしい。そう直感した男は部下を呼び止めようとした。

 が、間に合わない。

 人間の手のような、けれども間違いなく人外の、おどろおどろしい手が池から飛び出す。


「ひっ」


 部下の口から、恐怖で引き攣った声が漏れ出す。

 そして恐怖した身体は、反射的に強張る。身動ぎすら出来ないうちに、池から出てきた手は部下の服を掴み、ぐいっと引き寄せる。

 若いとはいえ、部下も警察官だ。身体は多少なりと鍛えている。だというのにその手は、易々と部下の身体を引き寄せる。

 どぼんっ、と水音が鳴り、そして部下の姿は池の中に消えた。


「……………」


 一人残された男は、唖然とするばかり。ぽかんと開いた口から、言葉は出てこない。

 代わりに、池から元凶が現れる。

 ちゃぽんと、濁った水から手が出る。

 歪な身体が這い出す。おぞましい頭が、腐臭を漂わせた異形が、人の世界を侵す。白昼堂々、見せてはならない姿を晒す。

 魚頭の怪物は、間違いなく刑事の男を見ていた。


「あ、い、ぃ……」


 血の気が引く。足がガタガタと震える。

 男は決して臆病ではない。刃物を持った犯人と対峙し、素手で制圧した事もある。

 だがこの化け物の異様さの前では、気持ちが落ち着かない。本能から湧き出す、恐怖の感情が身体を支配してしまう。

 そして僅かに働く理性は、あらゆる記憶を掻き回す。この状況を打開するべく、思考を目まぐるしく巡らせる。されどそれは救いとならない。

 連続殺人犯の言葉が、全て正しかったと理解してしまうがために。

 更には想像が膨らむ。本の内容……という部分が嘘だとしたら。

 殺人事件の元凶たる本を書き、ひっそりと置いたのは――――


「あ、ぁ、ああ……!」


 全てを理解した。何もかもが正しかった。しかし分かったところで、もうどうにもならない。

 化け物よりも人間の方が怖い。

 つい先程抱いた驕り高ぶった考えを改めたところで、目の前の恐怖は消えてくれない。知ってしまった事を、知らなかった事には出来ない。

 恐怖から逃れる術は、ただ一つ。

 恐怖に屈し、その掌で転がされる事だけだ……

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