第71話 二つの課題曲

 屋敷に戻った私とマリアンヌは演奏室へと向かった。

 外出から帰ってきたら、クラッセル子爵からヴァイオリンのレッスンを受ける約束をしていたからだ。マリアンヌが付いてきたのは”見学”だとか。


「あら? ピアノの音色がするわ」


 演奏室からピアノとヴァイオリンの音色がかすかに漏れている。

 防音室とはいえ、部屋に近づけば音が多少漏れてくる。

 ヴァイオリンはクラッセル子爵のものだとして、ピアノの音色は一体――。

 マリアンヌに劣らずの演奏技術であるが、感情的な彼女よりも機械的でどこか冷たさを感じる。

 どこかで聞いたことのある弾き方。


(あっ)


 私はこのピアノの弾き方に覚えがある。

 マリアンヌもピアノの奏者に気づいたようではっとした表情を浮かべていた。つい、声を出しそうになったのか、両手で口をおさえている。

 合奏が終わったタイミングで、私とマリアンヌは演奏室に入った。


「やあ、ロザリー。久々の街はどうだった?」

「お姉さまと買い物や食事が出来て、とても楽しかったです」

「ロザリーとおそろいのネックレスを買ったの! 私たちの瞳の色でね。とっても素敵なのよ」

「そうかい。楽しそうでなりよりだ」


 クラッセル子爵は演奏の構えを解き、にこやかな笑みを浮かべ、外出の感想を問われる。

 私とマリアンヌはそれぞれ述べた。

 けれど、ルイスと一緒だったことはそれぞれ口にせず、秘密にして。


「さあロザリー、編入試験に向けてヴァイオリンの練習をしよう」

「はい」


 私は自身のヴァイオリンを取り、クラッセル子爵と向き合った。


「編入試験では2曲の課題曲を弾くことになる。一曲目はソロ。二曲目はピアノとの合奏だ」


 今日が、試験練習初日。

 私が試験で弾く課題曲がクラッセル子爵から明かされる。


「一曲目は『小鳥のラプソディ』。一度、君が弾いたことのある曲だ」


 半年前、夏季休暇から帰ってくるマリアンヌに披露した曲だ。

 曲名をクラッセル子爵から聞き、『懐かしい』と思った。

 一度、指導を受けたことのある楽曲だし、勘を取り戻せばすぐにクラッセル子爵から合格点を貰うことができるだろう。


「二曲目は『情熱』」

「あの『クラッセル楽集』の第ニ十曲目……、ですか?」

「そう。僕の師、ピストレイ・ニッシモ・タッカードが遺した百曲の内で、激しい曲だと言われている、あの『情熱』さ」


 二曲目はクラッセル子爵に大きく関わる楽曲だった。

 クラッセル子爵の養父であり、師であり、作曲家であった前代”神の手”であるピストレイの遺作。先ほど、グレンと合奏していた曲が『情熱』なのだと私は理解した。


「一曲目はそれほど練習時間を費やさなくても弾けるだろう」

「はい。でも、二曲目は――」

「初めて弾く曲だよね。難易度は一曲目と変わらないのだけど……」

「ピストレイさまの楽曲は、今まで避けてきましたから」


 私とマリアンヌは祖父であるピストレイの曲を避けてきた。

 譜面はもちろん屋敷の中にある。

 印刷した譜面ではなく、彼が直接書いたものもある。

 それらを探せば、未発表の遺作が見つかるかもしれない。

 しかし、クラッセル子爵は義父が書いた譜面を国王に献上しなかった。


「僕にとっては形見のようなものだからね。生半可な気持ちで弾いて欲しくないのさ」


 屋敷に大切に保管しておきたいくらいに、大切な楽曲なのだ。

 そのため、指導に熱が入り、感情的になってしまうことがある。

 幼いころのマリアンヌは、熱の入った指導に驚き、泣き出してしまったとか。


「合奏となりますと……、私のピアノが必要になりますか?」

「いいや、ロザリーの試験練習はグレン君にする」

「「えっ」」


 私とマリアンヌはクラッセル子爵の決定に驚いた。

 てっきり、練習相手はマリアンヌだと思っていたのに。


「今回は編入試験の課題曲だからね。譜面の指示を無視するマリアンヌの奏法と相性が悪い」

「私の入学試験の時も、お父様、同じことを仰っていましたわ」


 それに比べ、グレンは譜面の指示に正確だ。

 課題曲の練習相手に適しているという、クラッセル子爵の判断は正しいと思う。

 私の隣でしょんぼりとしているマリアンヌには申し訳ないけれど。


「お姉さま、試験に合格したら、トルメン大学校でたくさん合奏しましょう」

「そ、そうね!! ロザリーが合格したら学校で毎日合奏が出来るわっ!」

「そういうことだから、マリアンヌは別のことをしていなさい」

「はい。お父様」


 編入試験に合格すれば、マリアンヌと同じ学校、同じ学年だ。

 彼女と合奏する機会はぐんと増える。

 私がそう励ますと、彼女はぱあっと明るくなった。


「そういうことだから、練習に付き合うぜ」

「よろしくね、グレン」


 白いピアノの椅子にちょこんと座っていたグレンは、私に二っと笑った。

 私も微笑み返す。

 グレンと私のやり取りにクラッセル子爵が咳ばらいをする。


「グレン君、分かっているよね?」

「は、はい! 俺はただのロザリーの練習相手です!」

「よろしい」

「お父様ったら、ロザリーに過保護なんだから」


 クラッセル子爵とグレンのやり取りに、マリアンヌが一言呟き、笑った。

 

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