第51話 戻る日常

 二学期に私がやったことは、馬車の中でグレンがすべて話してくれた。

 私とマリアンヌはグレンの話をずっと聞いていた。

 下手に口を出せば、私がマリアンヌに変装していたことがグレンにバレてしまうからだ。


「着いたわ!」


 馬車に乗ること半日。

 私たちはクラッセル邸に帰ってきた。

 見慣れた庭園を通ると、扉の前でメイドと使用人が立ち並んでいた。その真ん中には正装姿のクラッセル子爵がいる。

 馬車が皆の前で止まる。

 扉が開き、私は一番に降りる。

 そして、私は手を伸ばし、マリアンヌの手を取る。

 マリアンヌは私の手を支えに、馬車から降りた。


「おかえりなさいませ、マリアンヌさま、ロザリーさま」

「二人とも、おかえり」

「みんな、帰ったわ!」

「戻りました」


 私とマリアンヌの姿をみるなり、使用人たちはいっせいに頭を下げた。

 クラッセル子爵は私たちの元へ歩み寄り、出迎えてくれる。

 私たちは彼らに、帰ってきたことを伝えた。


「おー、すっげえお屋敷だな」


 遅れて馬車からグレンが出てくる。

 私たちを出迎えてくれた使用人たちとクラッセル子爵は、グレンが登場したことに表情を曇らせていた。

 彼を連れて帰ってくるなど、予定にはなかったからだ。


「ロザリー、彼は?」

「マリアンヌのクラスメイト、音楽科二年になるグレンです」


 私はクラッセル子爵にグレンの事を紹介する。そして、グレンを屋敷に連れてきた経緯も簡単に説明する。

 私の話を聞き終えたクラッセル子爵は「ふむ」と一言、返事をした。

 納得はしているようだが、心は開いていない。


「やあ、グレンくん。ロザリーから事情は聞いたよ。客人として迎い入れよう」

「ありがとうございます! お世話になります」


 滞在する許可を貰ったグレンは、クラッセル子爵に頭を下げる。

 クラッセル子爵だから、グレンの面倒は見てくれると思っていた。

 

「……娘に手を出したら、容赦しないよ」

「あ、はい」


 クラッセル子爵はグレンの肩に手を置き、低い声で忠告している。

 その声音は、悪いことをやった私たちを怒るときと同じもの。

 クラッセル子爵の脅しに、グレンの表情が青ざめていた。


「さあ、グレン君。こちらへ」

「はい」


 グレンは救いの手をマリアンヌに求めたが、彼女は使用人との会話に夢中で気づいていない。

 グレンとクラッセル子爵は、早々に屋敷の中へ入っていった。

 私は心の中でグレンに声援を送る。


「ロザリー……、あら? グレンは?」

「お義父さまと一緒に中へ入りました」

「そう。じゃあ、演奏室へ行きましょう!!」


 マリアンヌに手を引かれ、私は演奏室に誘われる。

 私は荷物をメイドに任せ、ヴァイオリンケースだけを持ってマリアンヌについて行った。

 屋敷に入り、私たちは演奏室に入る。

 半年ぶりの演奏室。

 ピアノやヴァイオリンの配置は何も変わっていないけど、懐かしく思える。


「何に―ー」


 私は白いピアノに座っているマリアンヌに声をかける。

 マリアンヌがこのピアノに座っている。

 私は言葉を忘れ、マリアンヌとその先に広がる庭園を眺めていた。


「なあに?」

「あ、いえ……」


 マリアンヌに声を掛けられ、はっとした私はケースからヴァイオリンを取り出し、構えた。


「何を弾きましょうか」

「そうねえ……、”語り姫の戯曲”がいいわ!」

「わかりました」


 私はマリアンヌの合図を待つ。

 マリアンヌはピアノのフタを開き、鍵盤に手を置く。

 半年前はピアノを弾いてくれなかった。『ピアノを辞める』と言い出した。

 また、演奏が中断されてしまうのではないかと不安になる。


「じゃあ、始めましょう」


 マリアンヌが白鍵を叩く。

 ポロン、ピアノの音色が鳴り、私はそれに合わせて旋律を奏でる。



 最後の一音を奏で、私とマリアンヌの演奏が終わる。

 私は構えを解き、溜め込んでいた緊張を吐き出した。

 パチパチパチとマリアンヌの拍手が演奏室中に響く。


「すごいわ、ロザリー! 素敵な合奏だった」

「ありがとうございます」


 マリアンヌは私の演奏を褒める。彼女はいつも「すごいわ!」と褒めてくれるので、演奏技術が上達したのか全く分からないが、嬉しい。

 でも、演奏の技術が上達したかはどうでもいい。

 マリアンヌがピアノを弾いてくれた。

 表現力がある、心地いい音色。

 それを聞いただけで目頭が熱くなる。


「え、ロザリー!?」

「あ……」


 私の頬に涙が流れていた。

 マリアンヌは私に駆け寄り、彼女のハンカチで私の涙を拭きとってくれた。

 私が泣くと、マリアンヌはすごく心配する。彼女を不安にさせないために、泣かないようにしていたのに。


「どうしたの? トルメン大学校に遭った、嫌なことを思い出してしまったの?」

「いいえ」

「なら、どうして―ー」


 私は自分のハンカチで涙を拭きとり、マリアンヌに微笑んだ。


「お姉さまのピアノが戻ってきた。そう思ったら、涙が出てしまったのです」


 私にとって、マリアンヌのピアノの音色は日常だ。

 半年前、その日常がリリアンによって破られた。

 私はその日常を取り戻すために、マリアンヌに変装してトルメン大学校へ潜入する。リリアンの様々な妨害に苦しんだが、この時のために耐えたのだと思うと、熱い気持ちを抑えられなくなったのだ。


「ロザリー」


 私はマリアンヌに抱きしめられる。


「……心配かけて、ごめんなさい」


 私はマリアンヌに身体を預け、彼女の暖かさを感じていた。

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