第23話 仕組まれた罠

 実技試験当日。

 私は自分の番がくるまで、譜面をじっと見ていた。

 間違えやすい箇所の指番号やここは強く弾こうといったメモを確認する。

 

(おちつけ、おちつけ)


 私は緊張で高鳴る鼓動を落ち着かせる。人に評価される場所で弾いたことがないので余計緊張する。

 クラッセル子爵やマリアンヌは「うまい! 上手!」としか言わなかった。家族だから甘めに評価されている。公の場で自分の実力がどこにあるのか、選ばれたトルメン大学校の音楽科の生徒と肩を並べられるのか、どんどん不安になってゆく。


「お疲れ様です、リリアンさま!」

「課題曲、素敵でしたわ!」

「ふんっ、当然よ」


 試験が終わったリリアンが、舞台袖に戻ってきた。

 リリアンの取り巻きの女生徒たちが、彼女の演奏を褒めちぎる。

 悔しいけど、リリアンの音色は力強く、一音一音が目立っていた。自己主張が激しいけれど、実力がある。


「あとは、落ちこぼれの演奏を聞くだけね」

「マリアンヌは前回、最下位でしたもの。今回は落ちるに決まってますわ!」

「そうよね! 今回は半分落ちるんですもの。絶望する顔が楽しみだわ」


 リリアンの挑発が戻ってきている。チャールズの罵倒の効果が薄れてきたからだろう。

 最近、チャールズが私の教室を訪れていないからだ。それは私が「試験に集中したいから、終わるまで一緒にお茶できない」と断っているから。今日を過ぎれば、合否がどうあれ、チャールズが再び教室に現れる。


「ふふっ、もうすぐ、もうすぐよ」


 リリアンは口元を緩め、不敵に笑う。

 まだ、私が試験を受けていないのに、落ちると確信しているような顔だ。

 前回の試験結果で判断しているのだろう。

 マリアンヌの成績がガクンと落ちたのは、虐めが原因だと思う。温かい環境で育った彼女には耐えられない場所だったはずだ。

 私はこういう虐めがあることを、孤児院や学校で学んできている。一人で生活することにも慣れている。だから、そんな威圧をかけられたとしても演奏の質が落ちることはない。


「次!」


 私の番がきた。

 リリアンに一瞥した後、私はピアノが置いてある壇上にあがる。



 広い。

 私は客席が並んでいる場所を見て思った。そこに先生と五人の審査員が座っている。

 

「マリアンヌ・クラッセルです。よろしくお願いします」


 私は、前の生徒がやっていたように審査員に名乗り、深く頭を下げた。

 声が響く。きっとピアノの音も響く。

 この会場に見合った演奏が出来るのかしら。

 頭をあげる間、私は余計なことを考えていた。


(練習した通りに弾くだけ、弾くだけ―ー)


 私はピアノの椅子に座り、鍵盤に手を置いた。

 そして、呼吸を整え、鍵盤を叩く。

 最初の入り、上手く行った。次はリズムが乱れないように―ー。


「止め」


 先生が私の演奏を止めた。

 私は言われた通りにする。


「マリアンヌ、どうしてその曲を弾く」

「え、あの……、課題曲だからです」


 当たり前のことをどうして先生は尋ねるのだろう。

 私は先生の意図が分からず、唖然としていた。

 直後、先生から衝撃的な事実を告げられる。


「お前の課題曲は”トゥーンの街並み”だろう」

「え……」


 課題曲が、違う?

 一週間前受け取った紙には”私のお気に入り”と書かれていた。

 だけど、先生が私に与えた課題曲は”トゥーンの街並み”。

 どうしてそんなすれ違いが起こるの?


(あ……)


 私は、先生から課題曲を受け取った時のことを思い出す。

 課題曲を確認する前、足を引っかけられて転んだ。

 紙を拾い、渡してくれたのはリリアン。あのリリアンだ。

 すり替えられていたんだ。間違った課題曲を弾くようにリリアンに仕掛けられたのだ。


「特待生が……、落ちたものだな」


 先生がため息交じりで言った。彼は私に落胆している。

 落ちた。

 リリアンに嵌められて終わるなんて。


 パチパチパチ。


 絶望している私に、拍手が聞こえた。


「僕は、もっとマリアンヌの演奏が聴きたいなあ」

(この声はーー)


 私の窮地に現れたのは、クラッセル子爵だった。

 クラッセル子爵は後ろの席から私に拍手を送りながら、先生と審査員が座っている席まで歩み寄り、先生に話しかけた。


「娘自慢は屋敷でしてください」

「課題曲を間違えただけだろう。なら、もう一度チャンスを与えたらどうだい?」

「マリアンヌのミスです。本番でもそのようなことが認められますか? クラッセル先輩」

「お前のミスかもしれないぞ」

「は?」

「お前が課題曲を配り間違えたのかもしれないだろ」

「……」


 先生はクラッセル子爵の後輩らしい。

 クラッセル子爵の巧みな口上で後輩を翻弄する。

 黙り込んだ先生は、クラッセル子爵と私をチラチラ見る。

 そして、わざとらしい咳ばらいをしたあとに審査員にこういった。


「マリアンヌが課題曲を間違えて覚えてしまったのは、私のミスかもしれません。ですから、再度審査して頂けないでしょうか」


 審査員はコクリと頷いた。


「マリアンヌ、特例で再度試験を受ける機会を与える。この場で”トゥーンの街並み”を弾け」

「……分かりました」


 クラッセル子爵のおかげで、試験を受けることが出来る。


(ありがとうございます。お義父さま)


 私は心の中で、クラッセル子爵に感謝をし、思い入れのある”トゥーンの街並み”をこの場で弾き切った。

 

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