第2章 引きこもるマリアンヌ

第9話 お姉さまが帰ってくる

 私は今日が待ちきれなかった。

 十五歳になった私は、今年から町一番の共学校に通っている。

 そこでは、文章の読み書きや計算、国の成り立ちについての勉強など一般的なことを学んでいる。見たものを記憶する特技や、屋敷にある書庫の本から得た知識を活用し、前期は学年で一番の成績をおさめた。

 そのことをクラッセル子爵に伝えると、とても喜んでくれた。

 前期の授業が終わり、二か月の長期休暇が始まったばかり。

 長期休暇の間に出された課題を、計画的に取り組むつもりだ。


「ロザリー様、今日は張り切っておられますね」

「うん! マリアンヌが学校から帰ってくる日だもの」


 メイドの一人が私に声をかけてくる。彼女がそう言うのも無理はない。

 外出する予定もないのに、深緑色で裾に大きなフリルのついたロング丈の襟付きワンピースを着て、青い宝玉の周りをレースとリボンで彩ったブローチや薔薇を模した黄色の耳飾りを付け、軽く化粧を施しているから。

 私はメイドの問いに、笑顔で答えた。


「マリアンヌ様がおかえりになられるのは午後ですよ」

「分かっているのだけど……、待ちきれないのよ」


 メイドが起こしに来る前に顔を洗い、彼女が来た時には身支度を整えていた。

 私の姿を見たメイドは、笑みを浮かべながらマリアンヌが帰ってくる時刻を告げる。

 マリアンヌがいつ屋敷に帰ってくるのか、もちろん知っている。二週間前から数えていたのだから。


「朝食の支度が出来ました。子爵様が待っております」

「ええ。すぐに行く」


 私はメイドと共に部屋を出た。

 メイドは深々と一礼したあと、マリアンヌの私室に入った。部屋の掃除や、ベッドメイキングをするためだろう。

 私は階段を降り、食堂へ入る。


「おはよう、ロザリー」

「おはようございます。お義父さま」


 クラッセル子爵と挨拶をかわす。


「ロザリー、今日は一段と綺麗だね」

「ありがとうございます」


 クラッセル子爵が私の容姿を褒める。おしゃれ着と装飾品で着飾り、普段とは違うことを分かってくれたからだろう。

 席について、クラッセル子爵と共に朝食をいただく。

 クラッセル子爵も、いつもは軽装だというのに、今日は演奏会へ出掛けるような正装になっている。彼も私と同じで、マリアンヌが屋敷に帰ってくることを待ち遠しく思っているに違いない。


「お義父さま、今日はお仕事はお休み?」

「午後から生徒の指導がある。だが、今日はトルメン大学校の学生寮からマリアンヌが帰ってくるからね。少し遅れると伝えてあるよ」

「そうですか……」

「本当は休みにしたかったんだけどね。向こう側の都合で今日がいいというものだから」

「仕方ありませんね」


 トルメン大学校。マリアンヌは今年の春からそこの音楽科に通っている。

 私たちが暮らす国、メヘロディ王国の首都、トゥーンにある三年制の学校だ。全寮制で、普通科と音楽科があり、特に音楽科に通う生徒は優れた演奏家を輩出する有名校で、将来は宮廷楽師になるのだとか。ちなみに、クラッセル子爵はそこの卒業生で、国王に爵位を貰ったヴァイオリン奏者である。


「マリアンヌが帰ってくる前に、私のヴァイオリンを聴いていただきたかったのですが……」

「マリアンヌに披露する曲かい?」

「はい。最近弾けるようになった、”小鳥のラプソディ”を披露しようかと」

「ロザリーはそこまで弾けるようになったのか。少しの間であれば、指導できるよ」

「ありがとうございます。お願いします」


 クラッセル子爵は目を細め、暖かい眼差しで私を見つめる。


「ロザリーの腕だったら、マリアンヌと同じ学校に通えただろうに」

「……いえ、私は―ー」


 クラッセル子爵家に拾われ、養子となってから五年、私はピアノとヴァイオリンの演奏に励んだ。

 その結果、音楽に厳しいメヘロディ王国の音楽科に入学できるほどの腕に成長したという。あのトルメン大学校の音楽科の入学試験にも合格できるほどに。

 けれど、私は音楽学校ではなく、共学校を選んだ。

 楽器を弾くのは楽しい。

 弾けなかった旋律が弾けるようになったとき、三楽章を弾ききったとき。

 孤児だった私が楽器を扱っているだけで奇跡だ。

 トルメン大学校は学費も高く、貴族とはいえ、二人在学させるとなるとクラッセル家の財政も苦しくなる。

 私は養子。これ以上の奇跡は望んじゃいけない。


「今の生活に満足しています」



 朝食を終え、私とクラッセル子爵は演奏室でヴァイオリンの指導を受ける。

 小鳥のラプソディを弾き切った私は、クラッセル子爵を見つめる。

 クラッセル子爵は真摯な顔で私を見ていた。


「ふむ、よくこの難しい曲を弾き切ったね。ただ―ー」


 クラッセル子爵の指導は午前中ずっと続いた。彼の指導を受けると、小鳥のさえずりも弱々しいものから、活気のあるものへ変わり、ラプソディに合った音色に代わる。単調だった旋律も、抑揚が加わった。


「さて、そろそろマリアンヌが帰ってくる時間だ」

「ご指導ありがとうございました」


 私はクラッセル子爵に礼をした。

 ヴァイオリンをケースにしまい、私たちは外に出た。


「マリアンヌお嬢様が、ご到着です」


 ドアマンがマリアンヌの到着を告げる。

 目の前にはマリアンヌが乗っているであろう馬車が止まっていた。

 馬車の扉がゆっくりと開かれる。


「お姉さま、おかえりなさい!」


 私は階段を降り、馬車に近づく。


「ロザリー、帰ったわ」


 緩やかなウェーブがかった長い金髪をハーフアップに結わえているマリアンヌの姿があった。

 私はぎゅっとマリアンヌに抱きしめられる。

 久しぶりに会えて嬉しい。

 マリアンヌも私と同じ気持ちだろう。

 でも、どうしてマリアンヌは震えているんだろう。

 私はその理由を後から知ることとなる。


 


 

 

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