選択

神在月ユウ

神の気まぐれ

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。


 実にシンプルだ。


 眼の前の赤いボタンと青いボタン、どちらかを押さなければならない。


 俺――時任ときとう乾司けんじの周りには、何台ものテレビカメラが設置されている。

 全国放送だ。


 身長164センチ、体重48キロ。

 22歳のFラン大学4年生。

 就活中だが、内定はまだない。

 枯れ枝やマッチ棒とよく言われ、懸垂はおろか腕立て伏せすらまともにできない。

 大学に友達はいない。マッチ棒と言われたのも高校生の頃のことで、大学で話す相手は教員や職員のみ。

 そう、いわゆるボッチだ。


 そんな俺は、今全国の注目を集めている。


 これは、いつもの神のイタズラだ。

 退屈しのぎと言ってもいい。


 この世界の神は、よくこういう催しを思いつく。

 誰も異議を唱えることなどできない。

 それは即ち自殺希望者であることを喧伝するのと同義だからだ。

 しかも、神が面白おかしくなるよう、抱腹絶倒するために、惨たらしく、恥も外聞もなく泣き叫ぶような、そんな方法で、だ。


 そして、俺の置かれた状況は、そんな神の思い付きによる享楽のひとつに過ぎない。


 目の前には、二色のボタンがあり、青を押せば鳥取県の人間が全員死に、赤を押せば目の前にいる知り合い一人が死ぬ。どちらも押さなければ、俺が死ぬ。

 制限時間は3分。

 なぜ3分なのか。

 神曰く「お気に入りのカップ麺が出来上がるまでの暇潰し」だそうだ。

 ふざけている。


『頼む、青を押さないでくれ!』

 俺の目の前には学校の黒板みたいな大きさのディスプレイが置かれ、そこにはたくさんの人々が映っていた。

『55万人以上の人間がいるんだ!』

 その中央、中年男性が決死の形相で早口に告げる。

 ディスプレイに入ったテロップによると、知事らしい。

『そんな簡単に消えていい命じゃない!』

 アピールタイムということになっているが、要は俺への命乞いだ。

 次々と、俺をから遠ざけるための言葉を継いでいく。


「助けて、時任ときとう君!」

 スタジオの中、俺の5メートル前に立つ女性が、懇願の声を上げた。

 懐かしい顔だ。

 俺と同じくらいの身長に、肩にかかるくらいのサラサラの髪に愛くるしい目。

 東雲しののめ万葉かずは――中学の同級生で、俺が好きだった子だ。

 遠目に見ているしかできなかった、昔日せきじつの記憶が蘇る。

「お願い…!」

 涙を浮かべながら、懇願される。

 


 この二択……いや、三択か。

 鳥取県民全員の死か。

 東雲しののめさんの死か。

 俺の死か。


 俺の死など考えられない。

 東雲しののめさんにも死んでほしくない。

 ならば、鳥取の人たちに犠牲になってもらうしかない。


 

――残り2分。


 

 画面越しに、鳥取の知事が俺に告げる。

『もし我々を生かしてくれたら、君に10億円を払おう!どうだ⁉』

 いきなり金を払うと提案された。

 とても魅力的だ。

 まだ内定をもらえず、辛い就職活動が続いている。学生時代に力を入れたことガクチカもない俺にとっては、面接で語れることもなく、今後も期待はできない。

 10億あれば、働かなくて済む。

 真面目に所得税取られたって、5億が入ってくる。

 半分くらい投資信託に回して脳死で運用してもいい。


時任ときとう君……!」

 かつての同級生、東雲しののめさんの震える声が、俺の耳朶じだを叩く。

 潤んだ目が、まっすぐに俺の顔を見据えている。

 ダメだ。東雲しののめさんを見捨てるわけにはいかない。

 それに、もしここで彼女を助ければ、俺に惚れてくれるかもしれない。

 どれだけの犠牲を払ってでも、俺は君を守る!――的な。

 どうせこのまま生きていたって、彼女なんてできそうにない。女に触れる機会すらないだろう。このまま一生、未経験のまま終わる。そんなのは嫌だ。


 俺は想像の中で何度も東雲しののめさんと愛を育んできた。

 一緒に映画に行ったり、おしゃれな喫茶店でお茶を飲んだりして、デートの最後にキスをして、彼女の初めてを俺が……!

 中学生の頃からずっと想像していたことが、もしかしたら実現するかもしれない。



――残り1分30秒。



 東雲しののめさんを助けよう。

 考えた結果、俺は青いボタンに手を伸ばす。


 画面の向こうで慌てた声が上がる。

 東雲しののめさんの顔がぱぁっと明るくなる。



 いや、待てよ。


 

 俺は手を止めた。

 まず、前提は合っているか?

 冷静になれば、こんなヒョロガリFラン内定なしN N T、彼女は本当に惚れてくれるだろうか。自分の都合のいい妄想じゃないのか?

 わかっている。これは勝手な、希望的観測だ。

 仮に東雲しののめさんを助けたところで、それは勝手に俺が助けただけで、この時間が終わればどうせ他人同士になってしまう。


 対して、知事の言うことはどうだろうか。

 10億払うと言っているが、そんなことは可能か?そんな大金、払ってくれるのか?

 10億円というと、県民一人当たり2,000円未満の負担になる。自分の命の値段としては破格だろう。それで命が助かるならば、普通に払ってくれるか?少なくとも、非現実的な金額ではないと見ていいだろうか。

 そもそも、50万人以上を見捨てることを、世間は許すだろうか。

 東雲しののめさんを犠牲にすれば、鳥取県民全員が助かる。

 理性的な判断をすれば、多数が助かる方を選ぶべきではないのか?

 これは全国放送だ。

 金がいくらあっても、延々と世間から非難される生活を続けられるか?



――残り1分。



 俺は青いボタンから、赤いボタンに目をやった。



時任ときとう君、わたしね――」



 東雲しののめさんが、俺に話しかけた。

「わたし、時任ときとう君のこと、好きだよ」

「—―えっ⁉」

 驚愕だ。まさか、そんなこと言われるなんて。

「でも、時任ときとう君は、鳥取の人を助けてあげて。時任ときとう君は優しいから、たくさんの人を死なせてしまったら、きっと苦しんじゃうと思うから」

 東雲しののめさんは、震える声でそんな言葉を絞り出す。

「だから、赤いボタンを押して」

 てっきり、「だから助けて」って請われると思っていた。

 でも、違った。

 東雲しののめさんは、すごく優しくていい子で、自分を犠牲にしてでもたくさんの人たちを助けようとしている。

 二択のメリットとデメリットを考えている俺とは大違いだ。



――残り45秒。



「だから、最後にお願いがあるの」

 東雲しののめさんは、悲し気な笑顔を浮かべながら、

「最期に、時任ときとう君の温もりを感じさせて」

 東雲しののめさんが、一歩前に出る。

 俺と彼女の間には5メートルという距離以外、何も隔てるものはない。

 俺以外がボタンを押しても意味がないらしいので、特に東雲しののめさんの自由を制限することはしなかったのだろう。


 東雲しののめさんが、ゆっくりと俺に近づく。



――残り30秒。



 東雲しののめさんの体が、俺に密着する。

 同じくらいの身長なので、目線が水平にぴたりと合う。

 柔らかな感触が、俺の胸に当たり、形を変える。

 ごくりと、無意識に唾液を嚥下えんげする。

 温かい。

 中学生の頃から、こんな日を妄想しながらも、決して叶わないと思っていた感触と温もりが、今現実に感じられる。


東雲しののめさん……ごめんね……」


 俺は、そんな感動を噛み締めるのもそこそこに、感情が溢れそうになり、謝罪を口にする。

 なんて自分は無力なんだろう。好きな人を助けられないなんて。

 ダメだ、涙が出てしまう。



――残り20秒。



「ううん、気にしないで。これが、正解だから」


 東雲しののめさんは、にこりと笑いかけてくれた。

 すごく魅力的な笑顔だ。


「だって――」


 俺は脹脛ふくらはぎに圧力を感じ、

 瞬時に、体がふわりと浮いたような気がして、俺の視線は思いを寄せる女性からスタジオの天井へと切り替わる。


 ドンッ!と、背中と後頭部に衝撃が走り、意識が飛びそうになる。



――残り10秒。



「鳥取県民55万人と、大手に内定貰ってイケメンで優しい彼氏のいる才色兼備の私と、ド底辺のキモメンだったら、誰を犠牲にするべきかは明白じゃない?」


 東雲しののめさんが、俺を見下ろしている。

 スタジオの強い照明が逆光になり、彼女の表情は見えない。

 かろうじてわかったのは、三日月型にかたどられた、魅力的な唇の形だけだ。



――残り0秒。




「――――――――――――――――――――――――――――っっっ!!!!!!」





 こうして、鳥取県民と東雲しののめ万葉かずはの命は救われた。

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