名なしのダンジョン(仮)

涼暮皐

1-01『ママック』

 こと迷宮ダンジョンにおいて、ヒト型の魔物は別格の恐ろしさを持つと言われている。

 そして新米冒険者である少女にとって、その魔物は冒険者になってから初めて目にするヒトの姿をした魔物だった。


「先輩……っ」


 新米は、目の前に立つ男の背中へ、少し不安そうに呼びかける。

 彼女を庇うように前に立ったベテランの男は、鋭く真剣な声を背中越しに返す。


「気をつけろよ、新米」

「はい。――ヒト型タイプが危険であることはわたしもわかっています」


 だが彼女とて冒険者だ。

 初めてダンジョンに入ってから未だひと月ほどであろうと、ここが割と田舎にあるごく小さなダンジョンの低階層であろうとも、こういう予想外はいつか必ず起きること。

 ベテランである先輩に、全てを投げ出そうとするほど臆病じゃない。


「どうしますか? まずは――」


 わたしが、と――言いかけようとした少女を男が遮る。


「いや、問題ない。ここは俺に任せろ」

「――先輩。わたしだって、」

「むしろお前は、あまり奴と目を合わせるなよ」

「目を……ですか?」


 自分にもやれると言い募ろうとして、けれど根が真面目な新米は、奇妙な助言に思わず首を傾げた。

 それは、先輩であり師でもあるこのベテランの言葉にしては珍しい。


 ――ダンジョンを生き抜くのに何より必要なのが知識だ。

 このひと月ほど、耳にオクタクル(注:魔物の一種。八本の触手で冒険者を襲う、正直あまり会いたくない魔物ランキング上位常連)ができるくらいに聞かされてきた彼女だ。


 まずは敵をよく観察すること。全てはそれから。

 これを口癖とするベテランの彼から、まさか正反対の言葉が出てくるなんて。


 思わず、見上げるようにベテランを窺った新米に対し、彼はごく短い言葉で訊ねる。


「あの魔物を知っているか?」

「――……いえ」


 新米は正直に答える。

 ダンジョンの魔物はとにかく種類が豊富で、新米の彼女は知識が浅い。

 ベテランの彼のように、ひと目で魔物の名前と性質、その対処法を口にすることはできなかった。


「……そんなに危険な魔物なんですか?」

「対処法を知らなければな」


 新米の問いに、ベテランは頷く。

 それから、こう続けた。



「ヤツの名はママック」

「ママック」



 ――あれ、なんか知ってるのと違う気が……?

 覚え違いだったっけ? と一瞬だけ混乱する新米に、ベテランは続けて。


「ヤツはダンジョンでママに擬態している」

「ママに擬態している」

「バブみを感じてオギャるが最期、二度と生きては帰れんだろう」

「先輩は何を言ってますか?」


 ちょっと何を言っているのか理解できなかった。新米は思わず困惑する。


「バブ……え、何……?」

「すまん、今のは業界用語だった」

「それなんの業界ですか?」


 歴の長い冒険者だけに伝わる隠語なのか。

 新米にはわからなかったし、直感的にはわかりたくもなかった。


「見てみろ、ママックの足元を。目を合わせないようにな」

「……はあ……」


 だがベテランは至って真面目に話すため、新米は言われた通りに敵の足元を窺う。


 ――そこにはベッドが置かれていた。


「寝床!」


 叫ぶ新米にベテランは頷く。


「わたしはママよ、さあ我が子よ、ここでゆっくり疲れを癒していきなさい」

「……………………」

「そういう擬態をしている。故郷を飛び出した冒険者たちの郷愁に付け入るわけだ」

「それ騙される冒険者がこの世にいるんですか!?」

「いる」

「どぉしてぇ!?」


 だとしたらもう冒険者をやめてほしい。

 さもなければ、むしろ自分が目指すのをやめようかなホント。


「こんなところに母親がいるわけないですよね? てか外見も違うし」

「そういう意味じゃない。言ったろ、目を合わせるなと。――精神干渉の魔眼持ちだ」

「――っ!」

「この場所が、あたかも実家の自室の寝台の上かのように誤認させ、警戒心を奪う洗脳系魔法をかけてくるんだ」

「それは……恐ろしいですね!」

「そうなったが最期、あのベッドの上で、赤子のようにあやされながら安眠を取ることになる」

「それは……恐ろしいですか?」

「永遠に」

「恐ろしかった!」

「お前はまだ精神干渉への抵抗レジストを覚えてないし、相手の目を見ず戦う経験はないだろう。だからここは、ひとまず俺に任せておけ」


 言うなりベテランは両手を開いた。

 害はないと示すかのように、ママックの下へゆっくり近づいていく。

 そして、


「――ただいま、母さん」

「先輩!? もしかして洗脳されましたか!?」


 いや、さすがにそんなはずはない。

 そう信じながらも、だいぶドキドキはしている新米の目の前で、ベテランはゆっくりと少しずつママックのほうに歩み寄っていた。


 ――と、そこでママックもまた両手を広げて、にっこりと笑みを浮かべる。

 それこそ数年振りに故郷へ帰ってきた息子を迎える、優しさと慈愛に満ちた聖母の如き笑み。

 赤茶けた短髪のベテランと、長い金髪のママックがまるで似ていないことを除けば感動的なシーンに見えないこともない。

 見えないでほしかった。


 やがて、ベテランはママックのすぐ正面に立つ。

 ママックは、我が子を抱き締めるかのようにベテランへと両手を伸ばし――。



「――そしてさよなら母さん!」



 その直後、ベテランが振るった剣によって容赦なく両断された。

 それを見て新米は思わず叫ぶ。


「絵面が最悪!!」

「ママックは移動能力がほとんどない。受け入れたように近づけば隙を突くのは楽だ」

「いや淡々と解説しないでくださいよ先輩」

「そう言うな、新米。――ほら見ろ、なかなか質のいい魔力結晶に変わった」


 魔物は尋常の生物ではない。

 その肉体は全てが魔力で構成されているため、斬られても血を流すことはなく、まるで空気に溶けるかのように霧散する。

 ただその代わり、存在の核となっていた結晶を遺す。

 魔力結晶――魔晶は魔法に再利用できる貴重な資源で、その回収と売却が冒険者稼業の基本的な収入源になっている。


「ふむ。しかしこんな低階層にママックが湧いているとはな」


 魔力結晶を拾い上げながら、何ごともなかったかのようにベテランは呟く。

 この程度は慣れっこという様子の彼に、新米の少女はじとっとした目を向けてみるが、効いている様子はない。


「単に幸運と言うには気になるな。今日はこの辺りで切り上げるか?」

「はあ……。まあ勝てたから別にいいんですけど」

「なんだ、覇気がないな。どうかしたのか?」

「いえ――」


 少しだけ遠い目をしながら。

 新米冒険者の少女は、ベテラン冒険者の男へと小さく零す。


「ダンジョンって、ときどきものすごい変なの出ますよね」

「なにせダンジョンだからな。そういうものだろう」



 ――そういうものかなあ? と新米は嘆息。

 ともあれ。



 それがある片田舎のダンジョンで、師弟関係を結ぶふたりの冒険者の日常だった。






■今日の魔物:擬態母ママック

 ダンジョンで母の姿を取り(洗脳で)冒険者を惑わす。

 バブみを感じてオギャるが最期、命はない。

 擬態墓ハカックという亜種もいる。お参りに行くが最期。

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