欠伸

@yohafis

プロローグ

 頑張ってるね、と言われることが苦手だった。

 幸か不幸か、ある程度のことは器用にできるタイプだった。というよりも、努力した分結果が出るタイプだったというのが正しいのかもしれない。

 勉強も部活も人間関係も、必要だと思った分はそこそこに取り組んだし、人並み以上に結果は出てくれた。その結果だけ見ているからかもしれないけれど、周りの人から「君は頑張り屋だから」と言われると、なんだか過剰評価をされている気がしてならない。

 志望校に対して今の成績じゃ届かないから勉強をしただけだし、勝ちたいという気持ちがあったから練習をしただけだし、好きな子が自分に興味がないと思ったから積極的にアプローチをしただけ。それだけだ。

 ただ、そんな具体的な目標を立てられたのは高校生くらいまでで、大学生に入ると自立して何かを目指すということも少なくなっていた。

 少なくとも自分は企業なんてする大層な目標もなく、そうなればそこそこの企業に勤めてそこそこの生活ができればいいと、具体的な目標がないからこそ自分が何をどの程度取り組めばいいのかが不透明になってしまった。

 何となく勉強をして、不安になっていろんな資格を取ってみたり。当時付き合っていた彼女に置いていかれてしまいそうな気がして不安になったり。

 何かをしなければ自分の価値がなくなってしまうという焦りだけがあった。

 だからこそ、小説を書いて誰かに夢を与えたいなんていう、子どもの頃から描いていた目標は忘れてしまっていた。というよりも、気が付いた時にはそれを追いかけることはなくなっていた。

 そこそこに何でも出来ていたからこそ、もう少し現実的な……少なくとも、他の同世代たちも共通して抱いている「大企業に勤める」という目標の方が努力の方向性も分かりやすかったから。

 正にモラトリアムな大学生活を過ごした俺は、高校生活の遺産と、大学生活で何となく積み上げてきたものを武器にそこそこ大手の食品メーカーに就職することはできた。

 特に思い入れがあったわけでもないけれど、好きなサッカーチームのスポンサーではあった。面接ではそのことについて話した記憶しかないし、それでも採用されたのはよっぽど大学の肩書が強かったのか、或いは試験官がサッカー好きだったかのどちらかだろう。

 どうであれ、それなりに恵まれた環境に身を置くことができた。

 それで満足しているはずだった。

 勉強していい会社に入って仕事をする。誰にだってケチはつけられない。

 中高の友人からは「やっぱりお前は優秀だよ、頑張ってたもんな」と同窓会で声を掛けられるくらいには評価されて然るべきだ。

 それなのに、なぜか虚無感を覚えてしまう。

 これまでに過ごしてきた日と同じ今日を迎える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る