第20話★

 その日は帰るのが遅くなってしまった。綾女の入っている合唱部の練習が長引いてしまったためだ。もうじき県主催の合唱コンクールがある。星華学園合唱部もそのコンクールに参加することが決まっていた。

 綾女は昔から歌を歌うのが好きだった。元気の出るアップテンポな曲はもちろん、しんみりとしたバラードなんかも好きだ。歌を歌っている時間が、一日の中で最も楽しい時間だった。


「あやめちゃ~ん」


 玄関で上履きから靴に履き替えていると、後ろから声を掛けられた。

「お疲れ様、すーちゃん」

 振り返ると、そこには一人の女子生徒がいた。

 名前は西村すみれ。自分にとって唯一と言ってもいい友達だ。

 彼女も合唱部に入っており、学園から帰るときはいつも一緒に帰ることにしている。

「今日も遅くなっちゃったね」

「ええそうね。でも、最後の通し練習も上手くいったし、顧問の先生もいい調子だって褒めてくれたからよかったわ」

「あー、たしかに。私たちがいるソプラノも連帯感あっていい感じだったよ」

「今回の曲、ソプラノのサビがすごく難しいんだったわよね?」

「うん、そうそう。かなり高音で歌わないといけないんだー。私なんかもう喉が変になりそうだよ」

「それでもあの高音域はすごいわ。あのサビはソプラノあってこそと言えるぐらいよ」

「あはは、そう言ってもらえるとすごく嬉しいよ」


 上履きを履き替えると、二人は一緒に校門へと向かった。

 六月という最も日が長い季節であるにもかかわらず、太陽はすでに傾いていた。真っ黒なアスファルトの地面が今だけはオレンジ色に照らされている。

 長く伸びた二つの影が仲良く並んでいた。


 二人は校門からまっすぐと続く坂を下りながら、今日の部活動のことについて話していた。

 自分は昔から人づきあいが苦手なようで友人と呼べる人は少ないが、こうして彼女と話す時間は好きだった。

 彼女は、初めて同じクラスになったとき、教室で一人ぼっちだった自分に一番に話かけてくれた。最初は警戒していたけれど、彼女が毎日明るく話かけてくれるおかげで、自分も彼女に対して徐々に心を開いていった。

 今では、学園にいる間は四六時中、彼女と一緒にいる。

 彼女と友達になってからの学園生活はとても楽しいものになった。人と関わるのが苦手な自分に対して、こうして明るく接してくれる彼女にはとても感謝している。


「でさー、昨日のドラマなんだけど……」

 どうやらいつの間にか部活の話が終わっていたらしい。

 彼女はこの四月から放送しているドラマについて感想を言っていた。彼女によると、そのドラマに出ている若手俳優がすごくイケメンなのらしい。

 自分は俳優とかあまり詳しくないのだが、彼女がこうも楽しそうに話すものだから、最近になってテレビを見るようになった。


「――――――――でね、もう少しで最終話なんだけど、あやめちゃんはさ、一体だれが黒幕だと思う?」

「うーん、そうね……」

 彼女の問いかけにこたえるため、口元に手を添えて思考を巡らしていると、


「―――ねえねえ、君たちさぁ、いまヒマ?」


 不意に後ろから声を掛けられた。


「「っっ⁈」」


 二人は飛び跳ねるように後ろへ振り返る。

 そこには他校の制服を着た三人の男子生徒がいた。背の高さからして高校生だろうか。しかし、三人とも茶髪や金髪など明らかに髪を染めているし、両耳にはピアスを開けている。

「おにーちゃんたち、今、女の子と遊びたい気分なんだけど、よかったらどこか遊びに行かない? 楽しいことしようよ」

 金髪の男がこちらに詰め寄ってくる。

 無意識に後ずさった。


「わ、私たち、これから用事があるので……」

 自分の声が震えているのが分かる。

 隣の友達は恐怖のあまり声すら出せないようだった。

「ま、そうつれないこと言わずにさ。大丈夫、そんなに長くは遊ばないって」

「そうそう、ちょっと遊ぶだけだからさ」

 金髪の男に引き続き、髪を茶色に染めた方もこちらに近寄ってきた。残る一人は、遠巻きにケラケラと下卑た笑みを浮かべている。


 あいにく、今日は合唱部だけが延長練習をしていたため、他の部活動生はすでに帰宅している。周囲を通りかかる人も見当たらない。

「い、いえ、でも……」

「ま、いいじゃん、いいじゃん」

「早く遊びに行こうよ」

 遠まわしに拒絶の意思を示しているにもかかわらず、男たちは一向に引き下がる気配がない。

 それからしばらく男たちの執拗な勧誘が続いた。


 しかし、とうとうしびれを切らしたのか、

「あーもう、さっさとついてこいって言ってんだよッ」

 金髪の男が自分の腕をつかんできた。

 自分のそれとはまったく違う、大きくてごつごつとした男の人の手。普段以上に自分の腕が細く見え、彼が力を少しでも加えようものなら簡単に折られてしまいそうにも思える。


「ひっ」


 掴まれた瞬間、恐怖と嫌悪が同時に襲いかかってきた。

 さっきまで朱色に染まっていた世界が白く塗り替えられていく。

 耳からはすっかり早くなった自分の呼吸しか聞こえてこない。

 意識が急速に離れていくように感じた。

 しかし、


 きゃはははは―――――――――

 うふふふふ――――――――――

 あはははは――――――――――


 今まで聞いたことのない声が耳に入ってきた。

 それは決して生身の人間のものではなく、ひどくおぞましい。

 同時に、自分が得体のしれない、どす黒い何かにのまれていくのを感じた。

 視覚、聴覚、思考、意識、自分のあらゆる全てがその何かに奪われていく。

 そして、そこで綾女の意識は完全に途絶えた。

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