『創世記』より

月這山中

 

 ノアには三分以内にやらなければならないことがあった。

 建造しておいた箱舟にノアの妻と三人の子供、全ての動物たちのつがいを招き入れた。

 その舟底に、穴がある。

 ノアはこの穴を塞がねばならない。

 穴の大きさはノアの掌ほどある。進水すればここから決壊し舟が沈むだろう。

 まず、己が纏っていた服を脱いで穴に詰めた。

 洪水の到達まであと二分。

 ノアは次に、バッファローの尻をここに下させた。バッファローは嫌がって隅へ移動した。

 神は地上を更地にし新たな世界を創造せんとしている。

 ノアはこの箱舟を急いで建造した。

 急いでいたがゆえの安普請だ。穴を塞がねばならない。

 ゾウの足を下させた。ゾウは快く引き受けてくれたが水は迫っていた。

 洪水の到達まであと一分。

 ノアは神に祈った。

 そして洪水が地上を覆った。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのごとく、水は押し寄せる。

 水圧の違和感でゾウが嫌がって足を外した。ノアは飛び出した。

 布の栓を押さえてノアは腹ばいになった。

 ノアは神を呪った。

 せめてもう少し、年単位で早く知らせてくれれば、箱舟の建造に十分な時間をくれていればこんなことには。

 本当にあのボケナスは地上のことも考えて行動しろ。

 ノアはバッファローの群れを想像した。

 それに轢かれる神を想像した。

 実際には地上の植物が、建物が、山々が水に蹂躙されている。

 水は全てを破壊し、押し流し、地上を清めていく。


 世界は更地になった。

 神の奇跡により、いや、ノアの頑張りと言った方が彼のためだろう。

 箱舟の崩壊は免れた。

 水の勢いが静まった世界でつがいの彼らは安堵で嘶く。

 ノアも腹ばいになったまま安堵していた。

 洪水から七日目、ノアの妻は鳩を放した。

 オリーブの枝を銜えた鳩が戻ってきた。

 ノアの妻は鳩を自由にした。


 ノアは舟底に腹ばいになったまま601歳を迎えた。

 水は乾き始めている。水がすべて乾けばこの儀式は終わりだ。

 そこへ波が押し寄せる。


 バッファローの群れだ。

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『創世記』より 月這山中 @mooncreeper

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