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たった5年と短く感じても、まだ齢二十を超えたばかりの自分たちからすれば大きな変化をもたらすのに十分だった。
窮屈な式典を終えて、それから何時間かが過ぎ乾杯をする頃にはもうあの頃に戻っていた。まるで昨日ぶりみたいに、空白を埋めるように馬鹿な話をして、時間が過ぎるのはすぐだった。
「
何人かで話していたところに、後ろから突然声をかけられた。
声と、それから周りの反応ですぐに誰かは分かった。それでもいざ振り返って、驚かざるを得なかった。
「さく……、らい?」
「ふふっ、何その反応」
淡い緑。肩のあたりが透けている。片手には黒のハンドバッグ。首元のネックレスが光っていた。
お調子者の友達が冷やかし、周りもそれに乗じる。
「やばっ、まこちゃんめっちゃ綺麗になってんじゃん。な、伊藤」
「え、ああ、そう、だな」
「同窓会で元カノに再会してきょどるとかだっさいぞお前」
「いや付き合ってねえよ」
茶々を入れてくる友人にそう言いながらも、俺は目の前に立つ
自分の中にいた5年前の姿とあまりに違う。口元を隠して上品に笑う彼女の様子からは、中学生の頃性別なんてくだらないものを跨いで馬鹿をやっていた相手とは到底思えない。
1つにまとめられていた髪はほんのりと茶色に染まっていて、綺麗にまとめ上げられていた。小さく光る飾りがあの頃とは対照的に酷く大人っぽい。
元々整っている方だとは男子の間では話が出ていなくもなかった。それでも、眼鏡をコンタクトに変えて、メイクをして、こんなにも綺麗になるのかと感心してしまうほどに美しく。赤く染められた唇が少し動くだけで咄嗟に目を逸らしてしまうほどだった。
「なんか言ったらどう」
こんな小さかったっけな、なんて思いながら何も言わずにいると、桜井があきれた様子で言った。
何を言えば良いか分からなくて、あの頃の彼女と同じ人だとは到底思えなくて、口から出たのは逃げの言葉だった。
「馬子にも衣装だな」
「死ね」
きっと上目遣いで睨んで、尖った靴の先端で足を蹴られる。
「いっ……!」
言葉にならない声を漏らしながら、俺は少しだけ安心した。
同窓会が終わって、5年ぶりに桜井と連絡を取り合うようになった。まるでそれまでの空白を埋めるように、ほぼ毎日。
『もしもし?』
「もしもし、どうしたの」
『暇だったから。そっちは?』
「さっき試験終わって、帰ってるとこ」
『そっか』
桜井の声は静かだった。
「そっちは?」
『んー私? 今日全休でずっとドラマ観てた』
「いいな」
『うん』
少しの沈黙が流れる。中学の時とは、ずいぶん違う。
『ねえ』
「ん?」
『春休み、……いつ帰ってくるの?』
「んーどうだろ。2月の下旬くらいかな」
『そっか』
まだ短い日が段々と下がっていくのが眩しかった。いつもの駅からの道のりに、太陽がどんな風に映るかなんて、気にしたことも無かった。
『あのさ』
また、すぐそこで彼女の声が聞こえる。
「なに?」
『こっち帰ってきたら、久しぶりにご飯でも行かない?』
「……おお、飯か。……いいよ」
『ちょっと何その反応』
笑っているせいだろうか、彼女の声は震えて聞こえた。
「いや急に言うから。びっくりした」
『えー。普通じゃんご飯くらい』
「どこ行く? いつも行ってたあそこ?」
『えめっちゃあり。あの超過疎ってる店ね』
「まだやってるかな」
『この前近くとおった。やっぱ客いなかったけどやってたよ』
「俺らいなくなってよくやっていけてたな」
『それね』
懐かしい笑い声が自分を包む。
春には満開の桜を見せる川沿いの木が、今か今かと待ちわびている。水面に溶けていく陽の光が足を止める。
家に着けば何か終わってしまう気がして、悴む手も気にせず俺はただどこまでも連なるビルを見ていた。
実家の狭い駐車場に父親から借りた車を停めて、スマホが鳴った。
桜井からだった。他愛のないメッセージ。さっきまで一緒に居たのに、自分でもよく話すことが無くならないなと思う。
元々友達は多くない方だし、常にラインでやりとりするだとかそう言うのは好きじゃなかった。それなのに。
それなのに、何かあるたびに、俺はいつの間にか彼女に言わなくては気が済まなかった。今日あったことを話さないと、一日が終わった気はしなかった。
これと言って予定もなかった春休みは、ほとんど毎日を一緒に過ごした。
会えるのが当たり前で、それが普通で、日常で、会えない日は何をすればいいかも分からなくて、春休みがもう少しで終わってしまうのが嫌で仕方なかった。
中学生時代の3年間、それから1月に再会して数か月はラインと電話だけ、また遊ぶようになってからはまだ1ケ月も経っていないのに。何を考えていても頭の中には必ず彼女のことがあった。
またスマホが鳴る。
『どうしたの?』
既読を付けて返信が遅かったからか、少し心配そうなメッセージ。彼女の顔が頭に浮かんだ。
なんでもない、と適当にはぐらかして、それから考えるよりも先に勢い任せでメッセージを送った。
告白するつもりで。
離れたくない。せめて、形だけでも。いつもとは違う、少しだけオシャレなお店。背伸びしても仕方ないとは思っても、しないわけにはいかなかった。
返事はすぐに来て、また夜まで絶え間なくどうでもいい話を繰り返して、気付くと時計は9時を回っていた。
母親から早く風呂に入れと急かされて、俺はラインで会話中だった桜井に風呂へ入ってくると伝えた。
いつもは浸からない湯船に肩まで入って、ぼうっとしていても頭に思い浮かぶのは彼女のことだけだった。
自分のことをどう思っているんだろうとか、中学の頃からただの男友達だという感情が変わってなかったらどうしようとか、付き合ったところで何か変わるのかとか。
好かれている自信はあった。ただそれがただの友情なのか、恋愛感情なのか、俺には分からなかった。
だから余計に怖かった。下手に告白なんかして、関係が壊れたらと思うと。
それでも一度気付いてしまった自分の感情に背を向けることはできなくて、曇った鏡の向こうにいる自分がどんな顔をしているのかは考えたくもなかった。
段々と自分が馬鹿らしくなってきて、俺はさっさと風呂を上がると適当にスキンケアだけ済ませて自室に戻った。
ふと、机に置いていたスマホに通知が届いているのが目に入った。
ラインのメッセージ。桜井からだった。
いつも通り手に取って、スマホを開いて、通知をタップする。
1つだけ。簡潔なメッセージ。
はずなのに、俺は何度も読み直して自分の目を疑った。
何よりも困惑が勝った。
スマホを握る手にじわりと汗が滲む。
『私の彼氏にならない?』
それはあまりに不器用で、裏なんて何も無くて、素直で、笑ってしまうほどに彼女の想いがこもっていた。
数分間、思考が止まる。
それからちゃんと認識して、次はものすごい速さで頭を回転させた。
言葉通り受け取っていいのか? 冗談じゃなく? 本当に言ってるとして、なんて返せばいい? 告白するつもりだったのに。そんな素振りなかったのに。どうして? なんて言うべきなんだ? 話したい。
とりあえずなにか返さなきゃと思って、俺は迷った挙句「電話してもいい?」とだけ送った。
話したかった。どうしても。
彼女の声が、聞きたかった。
それでも、数分経っても彼女から返信はなかった。既読もつかず、段々と焦燥感が湧き出てきた。
冗談だったのか? まさかもう寝た? 遊ばれてる? ラインの向こうで馬鹿にしてるだけなのか? そんなこと桜井がするわけない。でも――
スマホが震えた。電話だった。桜井からの。
深呼吸をして、心臓のうるさい胸の辺りを叩きながら、俺は静かに電話を取った。
「……もしもし?」
『…………』
「桜井?」
『……もしもし』
「さっきの、ラインさ」
『うん』
「冗談、とかじゃない、よな?」
『うん』
「おれ、告白、しようと思ってたんだけど」
『うん』
桜井の声は今にも消え入りそうだった。
『……知ってる』
「……まじか」
『まじ』
「そうか……、じゃあ」
顔が熱い。どうにかなりそうだった。手が震えて、周りが歪んで見えて、まるで脳まで揺れているみたいに。見えている景色は、聞こえている声は、全部は嘘なんじゃないかと疑いたくなる。
「……付き合う?」
『……うん』
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