Three Minutes

@vicks_

Three Minutes of Conflict

 イリン・モーダには、三分以内にやらなければならないことがあった。


 それは、目の前に佇む一人の男の暗殺。


 否、正しくは抹殺だ。彼がこの場に居たことも、この世界に居た証拠も残らず消す。

 イリンが過去に担ってきた任務の中でも、とりわけ困難で、とりわけ苦しい任務。

 

 彼女は全て、、を背負っていた。


 アンナの裏切り、ガイクの亡命、ギルファの激戦の末の情報。

 組織の安寧、自国の運命。

 そして、今しがた撃ち抜かれた、アイン恋人の作りだした猶予三分


 もう開くことの無いその瞳を見つめながら、流れる鮮血の香りを嗅ぐ。

 それが、最後に縋れる恋人の香り。

 

 血で、腐臭で汚れた一室。コンクリートで囲まれたその場所は、王国敵国傍聴機関の隠れ家だ。

 イリンの所属する帝国の組織が争った形跡が、これでもかという程にこびり付いている。

 その全ての元凶たる目の前の男は、冷静に自身の握る回転式拳銃リボルバーの銃口を見つめていた。


「呆気ないな、アインともあろうものが」

「――――ッ! お前ッ!」

「次はお前だ、イリン。もう数分もすれば、王国の勝利だからな。愉しませろよ?」


 王国の勝利、すなわち、帝国の終わりを意味する。


 王国は、禁忌の技術を開発した。ボタン一つで大陸の半分帝国の全域が吹き飛ぶ液体爆弾、、、、。戦争に負けた王国は、最後の手段としてそれを用いた。

 イリンの任務は、それを止めること。


 爆弾の制御チップは、目の前の男、アンナ、、、の生命活動と同期している。

 壊すには、彼を殺すしかない。


「お前がッ! お前が裏切らなければ! レイアもアリスも死ぬことはなかったッ‼」

「人聞きが悪い、俺は最初からお前達の仲間ではなかった。勘違いも甚だしい」


 吐き捨てるようにそう告げると、銃口を向けた。乏しい照明に反射したマズルが、嘲笑うようにきらりと輝く。

 そのサイトを覗く瞳もまた、愉しそうに揺らいでいる。


「そも、俺は王国の人間だ。案外楽しかったさ、敵国の潜入スパイというのも」


 イリンが行動を起こせないこの瞬間も、帝国のお偉方は必死に王国政府と交渉を続けている。だが、どうせ破綻する。それは目の前のアンナが証明している。

 彼がひとたびチップをコントロールすれば、密かに帝都中心部の地下に取り付けられた爆弾が起爆する。

 撤去も解除も不可能だった。液体型の爆弾は、少しでも揺らせば二分された爆薬同士が混じり合い、化学反応を起こす。

 外装が強固な物質で強化されており、無理に壊せば中身を揺らす。衝撃を加えれば中身が壊れる。


 雁字搦めの八方ふさがりだった。


「最初から全部嘘だったの……?」


 右足につけたレッグホルスター、そこにない銃の行方を目で追いながら、イリンは尋ねる。自身を守る武器は、既に出し尽くしてしまった。

 腰に吊るされたポーチ型の機械、弾丸生成装置バレットメーカーももう必要ない。


 内部に特殊機構が備わっており、鉄くずでも武器の破片でもなんでも放り込めば、自動的に銃弾を生み出してくれる、帝国技術の結晶も、今では単なる足枷だ。


「あたりまえだろう? 本気で敵組織に取り込まれるスパイがいると思うのか?」

「――――ッ! アリスは、アリスは本気でお前を愛していたッ! それなのにッ!」

「ああ、アイツか。いい女だったな、アイツのケーキは旨かった」


 平然と、何でもないように手料理の感想を述べる。その作り手を自ら死に陥れたというのに、悲しみどころか、何の感情も感じていない様。

 それがイリンには、許せなかった。


「まあ、アリスを殺したのは殆ど俺だ。アイツの潜伏先を王国に知らせたんだからな」

「――――それをわかっていながらッ!」

「――――だがアイン、お前の大好きなソイツを殺したのは俺じゃないぜ?」

「――――ッ? 何をいまさら……」


 傍らに伏せるアイン、その手に握っていたはずの銃は、伸ばされた腕の数センチ先で、嘆くように転がっていた。

 その姿を視界に入れるだけで、言いようのない喪失感と、怒りがこみあげてくる。


「ソイツはお前を庇った。それぐらいわかるだろう? お前が撃つのを躊躇わなければ、アインは死ななかった」

「それは……」


 そう、そうだ。


 アインが撃たれた理由。それは、追い詰めたアンナを、イリンが撃てなかったから。

 例え嘘でも、まやかしでも、5年も共に生きた仲間だった。それを今更撃つなんて、できなかった。

 覚悟が、足りなかった。


 たった一瞬、一秒、それだけだ、少し、躊躇っただけ、それなのに、アンナの動きは早かった。

 撃てないと分かったその刹那で、銃を抜いていた。照準を着け、迷うことなく引き金を引いた。


 銃口から飛び出した弾丸が、イリンを穿つはずだった。

 なのに、その運命は覆され、こうして生きている。


 アインが、横から飛び出した。イリンを守るために。

 胸を撃ち抜かれたアインは、それでも倒れずに前を向き、アンナに銃口を向けた。

 だが、それでは足りなかった。

 驚愕に鈍ったアンナの思考も、瞬きの刹那で元に戻り、的確にアインの心臓を射抜いていた。


「まったく、失望したよ。アインとは互角だと思っていたんだがな、こんな女のために死ぬとは」

「アインの……アインを悪く言うなッ! 彼は……私のために……!」

「……そうだな、アインは悪くない。イリン、お前にほだされただけだ」

「……このッ」

「……死ぬか? もう少し遊びたいんだが」


 握る銃を揺らして、アンナはそう告げる。

 死ぬ? 自分が?

 駄目だ、今はまだ死ねない。アインの作りだしたこの時間を、無駄にはできない。

 あと、あと少し、何かアンナの気を煽れるものを……


 もう、ぐちゃぐちゃだった。

 任務と、自責と、何もかも。


 だが、『死』という単語がイリンを我に返す。


 死ぬのは、もう少し先だ。任務を成さなければ、愚か者に死は許されない。


「……愉しいか? そんなに」

「ああ、ここまで馬鹿正直に全て受け入れる組織も初めてだった。北のバランサイズのネズミの方がよっぽど賢かった。まあ、実力はゴミ以下だったけどな」


 自信の武勇伝のように、自慢げに語る。バランサイズ、確か10年も前に壊滅した北国の諜報機関だったはずだ。

 まさか、それすらもこの男の仕業だったとは。


「なんだ、嫌に落ち着いたな。死ぬ決心でもできたか?」


 腐臭に顔を顰めながら、足元の薬莢を蹴飛ばして、アインが言う。

 蹴り上げられたソレが、イリンを通り越して背後に落下した。

 抜け殻の薬莢は、乾いた音を立てて転がる。


 その時、またもアインの銃が輝く、そこで、違和感を覚える。


「……?」


 反射光がアインの顔に当たり、一瞬目をつむる。

 煩わしそうに顔を顰めたアインは、慌てることなくその場にいる。

 目を瞑るのは、隙と言っても過言ではない。しかし、彼には、その目にでさえ、隙は無かった。


 だからこそ、作る必要がある。


 違和感が確信に変わったイリンは、行動に出た。


「お前、何を企んでる?」

「――――ッは!」


 策が露見する前に、イリンは飛び出した。

 真っ向から、怯むことなく突っ込む。

 向けられた銃口が、イリンの胸元に狙いをつける。


 イリンがアンナの目前に迫る。その刹那に、アンナは引き金を引いた。


 カチンと、撃鉄の音が響き渡る。


 弾丸は、発射されなかった、、、、、、、、


「何ッ――――?」


 戸惑うアンナに付き合わず、イリンは自身の髪留めを抜きはらう。

 髪留め型極小拳銃シギルオブ・ラブ、イリンが髪を結う理由は、それを忍ばせるためだった。


 アインの作りだした三分、それは、バレットメーカーの生成時間だった。

 敵であるアンナも、バレットメーカーを装備していた。

 帝国技術の結晶、すなわち、帝国諜報部に所属していれば配備される装備。


 彼もまた、弾丸補給のために採用していた。


 そして、アインを撃った弾で、六連リボルバーの最後の一発だった。

『しかしそれでは意味がない』――――それは否だ。


 イリンの感じた違和感。それは、アンナの残りの弾丸の、外見にあった。

 バレットメーカーは適当な材料で、弾丸を生成する。

 だが、機械であるが故に、不具合エラーも起こる。


 内部に入れた材料に含まれる不必要なものは、自動的に必要な物だけを使用するようになっている。

 だが、万に一つの不具合により、微妙に入り混じった混入物が、弾丸としての機能を邪魔する時がある。

 その不良品の弾丸は、安全処置により、火薬が仕込まれることはない。彼の最後の一弾が、それだった。


 不良品は、僅かばかり正規品の弾丸と色彩が異なる。直視してもわからない程の極小さな差。それをイリンは、直感で見破った。


「アンナ、私が言っても響かないと思う、けれど言わせて」


 心臓に突かれた銃口を見つめて、アンナは不機嫌そうに眉を顰めた。

 流石の彼も、この状況で動けはしない。

 何故ならイリンは、反射射撃に置いては、帝国に置いて、最高。アンナをも上回ることを、彼は知っている。

 躊躇った、それは、この男に一抹の情をかけてしまったから。

 裏切りなど、嘘だと信じたかったから。


 だが、今イリンは、一片たりとも、アンナを悔いてはいない。


愛ってものを舐めないで、、、、、、、、、、、


 高らかに轟いた銃声が、人知れず最悪の運命を貫いた。

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