第7話『始まりの駅へ』

勇者乙の天路歴程


007『始まりの駅へ』 





 駅まで全力疾走!


 発車まで2分を切っている。


 ここからなら歩いて8分、走って4分。もっとも還暦を過ぎてからは10メートル以上走ったことが無い。

 10メートルというのは、自宅最寄りの駅横の踏切。駅向こうの床屋に行こうとして上がったばかりの遮断機を潜ると、とたんに警報機が鳴りだした。

 戻るのも業腹で、それで走ったのが数年前だったか。今は踏切横のエレベーターで上り下りして、踏切そのものを忌避している。


 若いころでも3分は切れなかっただろう。それを2分は絶対無理なんだが、どうも体は身体能力のピークであった高校時代のそれを超えている。

 ゲームの一人称視点のように、見える自分は手足と、せいぜい胸元まで。腎臓結石の手術の後リハビリを怠ったので、左腹側部の筋肉が戻らなくて、そう太っているわけでもないのに、左の腹がプルンプルン揺れていたが、それもない。

 取りあえず体は軽くて、インターハイに出場した陸上部の部長程度には走れている。

 パン屋のウィンドウに映る姿をチラ見すると、流行のRPGゲームを実写化したキャラというか『走れメロス』と打ち込んでAIが生成したCGのようだ。


 セイ! トォ!


 黄色が点滅し始めた交差点も、たった二歩のジャンプで渡ることができた!


 これで空が飛べたら鉄腕アトム! 今でも十分エイトマン!


 ヒーローに例えても出てくるものが古い(^_^;)。


 昼日中なので、通行人も多いのだが、全力疾走のわたしを見ても訝しんだり驚く者がいない。むろん、人にぶつからないように注意しながら走っているんだが、ひょっとしたら見えていないのかもしれない。


 駅の階段もわずかツーステップで駆け上がり、改札は障害物競走の要領で飛び越える。


 ポロロン ポロロン ポロロ~ン♪


 聞き慣れた発車のメロディー、それも終わりの一小節。これが聞こえたら、たとえホームに着いていても乗車は諦める。


 トォ!


 なんの躊躇いもなく飛び込む、それも腰のソードがドアに挟まれないように縦にして。


 ムグ!


 しかし、マントの端が挟まれて焦る。以前カバンのマスコットがドアに挟まれて難渋している他校の生徒を助けてやったことがある。引っ張たらストラップのところで千切れてしまって、そいつは礼も言わずに憮然として電車を降りて行った。


 あの時のような無様なことをしてはなるものか!


 フン!


 ほんのコンマ何秒力を入れるだけでマントは万力のようなドアから挽く抜くことができた。


 あれ?


 初めて車内を見渡して驚いた。


 昼間の空いている時間帯とはいえ、その車両にはわたし一人しか居ない。


 前後の車両を見晴るかしても、人の気配がない。


 回送電車……いや、ちがう。


 単に車内に人気が無いだけではない。


 窓の外に景色が無いのだ。下りの電車に乗ったのだから、このあたりの第二種住居地域 の街並みが広がっているはずなのに、住宅も小規模工場の群れも見えなかった。晴れた日には富士山をアクセントに刀の波紋のように連なる山並みも見えない。それどころか空と地面の区別もあいまいで、ぼんやりと乳白色に染まる空間が広がるばかりだ。


 さて……


 そして、そう焦る気持ちにもならず、立ったまま十分ほどが過ぎた。


 パ


 音がしたわけではないのだが、そういう音がした感じで、ドアの上のモニターに文字が現れた。


――間もなく始まりの駅です。勇者さまは次でお降りください――


 そのテロップが二度流れると、電車はゆっくりと減速して、今どき珍しく、この路線では存在しないはずの単式地上ホームに停車した。


 


☆彡 主な登場人物 


中村 一郎      71歳の老教師

高御産巣日神      タカムスビノカミ いろいろやり残しのある神さま

原田 光子       中村の教え子で、定年前の校長

末吉 大輔       二代目学食のオヤジ

静岡 あやね      なんとか仮進級した女生徒

 

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