第3話『頭上で楠の葉が戦ぐ』

勇者乙の天路歴程


003『頭上で楠の葉が戦ぐ』 






 サワサワサワ……サワサワサ……サワサワサ……



 頭上で楠の葉が戦ぐ。


 戦ぐと書いて「そよぐ」と読む。


 演劇部の顧問をしていたころ『これでソヨグと読むんですか!?』と台本の字の読みを教えてやって驚かれたことがある。その生徒は『たたかぐ』と読んでいた。『戦い』と書いて『タタカイ』なのだから、『タタカグ』と発音してしまったんだ。


 そうなんだ、戦ぐとは、一枚一枚の木の葉が、隣り合う木の葉に当って音を立てる様子を現す言葉なんだ。


 それが、何千、何万、何十万、何百万と重なるとサワサワサワになり、林や森ぐるみ山ぐるみになると、ザワザワ、時にゴウゴウと猛々しい音に成ったりする。


 校舎の屋上で日の丸がはためいている。


 学校で国旗を掲揚するようになったのは今世紀に入ってからだったかなぁ。


 本来は、正門を入った玄関の前あたりにポールを立てて掲揚するものだ。人の目に付かなくては掲揚の意味がない。


 しかし、長年、組合が反対したことで屋上という妥協策になった。


 屋上ならば、校内に居る限り目につくことは無い。外からは、こうして見えるし、災害時には広域避難場所のいい目印になる。


 そうそう、学園紛争の嵐が吹きまくった70年ごろ、屋上とポンプ室のあたりは反戦生徒のたまり場だった。

 割れたヘルメットや立て看板やらペンキの缶やら、壁には「造反有理!」とか「安保反対!」とか「米帝粉砕!」書きたくってあった。


 お茶を一口あおると、人の気配。


 離れたベンチに自分より一回り半は年上、ひょっとしたら百に近いのかもしれないお爺さん。歩くのもやっとなんだろう、老婆が使うような手押し車のアームに顎を載せて眠ったように目を閉じている。


 全然気配がしなかった……まあ、こっちもポンコツだし、お互いの静謐を尊重しよう。


 上半分が覗いている体育館は二代目で、その前は平屋の体育館。記憶と重ねて見ると、ここからなら屋根が見える程度か。


 入学式、卒業式、文化祭や新入生歓迎会、生徒会選挙の立会演説会……校長をつるし上げた大衆団交も、あそこでやったんだ。芸術鑑賞で劇団を呼んだ時、体育館の舞台は張り出しが付けられて倍ほどに広くなり、持ち込まれた照明や音響の機材で劇場のようになった。


 体育館の前には銀杏木が佇立していて、銀杏の実を拾い集め、みんなで食ったこともあった。臭いがすごくて、困っていると、家庭科のF先生が助けてくれた。日ごろは国防婦人会と揶揄されていたF先生だったけど、頼りになるオバサンだと見直したっけ。


 グラウンドの端の当たりに覗いているのは、創立以来の楡の木だ。


 あの木の下で告白すると、将来結ばれるという伝説があった。


 告白した相手には三日後のは袖にされたがなあ……まあ、おかげで、亡くなったカミさんと出会うことができたんだが。


 苦笑して、お茶の残りを飲み干す。


 すると、また、お爺さんが視界に入って……いや、お婆さんだった(^_^;)


 歳をとると性別なんかほとんど意味がない。



 サワサワサワ……サワサワサ……サワサワサ……



 また楠が戦ぐ。


 どうも、無用の事ばかり思い出してしまう。


 明日からは……どうしようかぁ。


 非常勤講師という最後の肩書も取れて、社会的には70歳の無職老人。


 独立した息子は、この正月にも帰ってこななかった。


 まあ、所帯を持ったら自分たちのことで精いっぱい。頼りの無いのは元気な証拠。人生の先達としては喜んでやるべきだろうなぁ。


 ザワザワザワ


 楠が戦ぐ、今までよりも強く。


 真上の楠だけでなく、公園全ての木々が嵐の前触れのように戦ぎだした。


 春一番か? 


 それにしては、学校の銀杏木や楡は手抜きアニメの停め絵のようだ。


 局所的春一番?


 ビル風か? 


 風の谷のナウいシカ。


 授業でカマしたら、ジト目で笑われそうなダジャレが浮かぶ。 


 そして異変が起こった。


 お婆さんが立ち上がったかと思うと、ぐっと背筋が伸び始め、白髪がグレーに、そして、息をのむうちに緑の黒髪に……身の丈、体つきも変じ、頬にも唇にも朱がさして、身に着けたものは、額田王(ぬかだのおおきみ)か卑弥呼かというような古代衣装に変じた。


「ようやく……ようやく……通じる者に巡り合うた……」


 古代衣装が口をきいた。


 


☆彡 主な登場人物 


中村一郎       71歳の老教師

原田光子       中村の教え子で、定年前の校長

末吉大輔       二代目学食のオヤジ

  

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