4.4.9 虚ろ影
慌てて目を瞑るも、突然のことに全てを遮ることなど到底叶わず、俺の網膜に光が焼き付く。
しかし、オイレン・アウゲンは絶やさない。変わらず展開するそれは、不意を突かれた影響でやや範囲が狭いが、大教会の内部を視るには充分である。
充分ではあるのだが、この状況に果たしてどれくらい対応できるかは未知数だ。例えば、カルラ・アンジェロヴァが拳銃を隠し持っていたとすれば、どうだろう。今頃、俺は撃ち抜かれているはずだから、彼女は銃など隠し持っていないと言える。
それならば、なぜ彼女は光を放ったのだろう。
答えは、すぐに分かった。
ケモノが出現したのだ。規則正しく、等間隔に。
あの位置はおそらく太い柱があった場所で、だとすれば彼女は魔石などなくとも、その光だけでケモノを生み出せるということになる。
果たしてそんなことが可能なのだろうか。
光が強ければ、闇もまた濃くなる。
黒靄の結晶たるケモノも同じなのか。
それは、おかしい。
ケモノとは黒靄の塊であり、ヒトの負の感情の塊であり、ヒトの悪意の塊である。
例外はなく、特例も存在しない。
俺はそう教えられた。
僕はスヴァンテ・スヴァンベリの記憶で、そう学んだ。
例えば、そこに偶然にも黒靄が溜まっていたとしたらどうだろうか。十本も同時に、カルラ・アンジェロヴァと円柱を挟んで影になるように。
それは、おかしい。
そのような澱みは映っていないのだ。
閃光は未だその勢い衰えず、瞼の裏の血管を俺に見せてくる。のべつ幕無しに襲い来る様々なケモノを、オイレン・アウゲンで感知し、リィンカーネイションを使って打ち払う。目がダメージを受けた影響か、本来は無色透明であるオイレン・アウゲンの空間にも閃光が見える。
それにしても、やはり次々と現れるケモノである。
何か、仕掛けがあるはずだ。
そうでなければ、黒靄もないところからこのように次々とケモノが現れることなどない。おかしい。常軌を逸している。
考えろ。
前には大きなクマ型のケモノがすっくと立ち上がり、鋭い爪を振り下ろす気配を見せている。同時に、背後から飛びかかるトラも視えていた。
俺は左に大きく飛び退き、体を時計回りに回転させると、同時、自在法剣を長く伸ばして勢いのままに振り回した。
トラ、そしてクマが一瞬の靄となって五月下旬にしては冷えた空気に溶ければ、自在法剣は勢い余って何かに当たり、コンと軽い音を打ち鳴らす。
だが、休んでいる暇はない。
自在法剣が戻るのを待たず、新手のオオカミが背後から襲い来ては、くるりと体を捻る。即座にシクロの銃弾を叩きこみつつ、自在法剣を真っ直ぐに伸ばして、その靄の体を貫いた。
また柱か何かに当たり、コンと軌道が変わる。
鈍色の炎は今も変わらず、すぐそこにいた。
考えろ。
オイレン・アウゲンをさらに狭めて、今、この場所に集中しろ。
くるくると回りながらリボルバーを放ち、自在法剣を薙ぎ、考える。
『射抜け、トゥマヴェ・オチ』
あのとき、手に持った魔石から、どろりとケモノが零れた。
『照らせ、スヴェトロ・ア・スティヌ』
閃光が辺りを照らし、柱の影からケモノが現れた。それは今も続いている。
黒靄は大教会内部にも多少なりとも漂ってはいるが、ケモノに転じるほどではない。
気付けば頼りない白炎――グロリア・ホルストは第五区画にいて、被害状況でも確認するようにうろうろしている。
「あ」
そのとき、自分の行動のある異変に気が付き、思わず声を出した。
目の前のイノシシを滅し、ケモノが発生する地点、つまり閃光の影になっていなければならない柱の陰に回り込み、パッと目を開いた。ほんの一瞬だけ。
刺すような光が、あった。
そして足元に転がるのは無数の魔石。
決まりだ。
この閃光は閃光であって、けれどシクロなのだ。
だから、どこを向いてもその眩しさは変わらない。
魔石はシクロで壊すことができるだけではなく、シクロの力に触れると殻が溶け、中が漏れるのだ。
これでもかと圧縮し、詰め込まれた黒靄の、その負の感情の、その悪意の塊が出てくるのだ。
死のイメージがシクロだと言うならば、ケモノとシクロが同質だとするならば、魔石はまるで、偽物のシクロのようではないか。
だとすれば――
不意に頭の中に、どこかで聞いたことがある女性の声が「使え」と響く。すぐに誰かが男性の声で「使うな」と否定する。
けれど俺は、それを使えばこの状況を覆せると直感した。
体はどこまでいっても生身で、肩で息をしている状況では、限界は見えている。
使わない手などなかった。
「廻れ、リィンカーネイション」
シクロが発現しているにも関わらず、もう一度、顕現のための言葉を目を閉じたまま唱える。
オイレン・アウゲンの中で、リィンカーネイションがほろほろと無数の多面体に
やがて自分の周りに光のシクロがないことを確認して目を開けると、その多面体の群れは、やはり意志を持った生き物のように、閃光とケモノを消し続けていた。
カルラ・アンジェロヴァはどうしたのかと目を遣れば、最初と変わらぬ位置で、しかし、もはや表情はない。
あれほど静かだと思っていた大教会に、ドン、という爆発音が聞こえてきた。
僕も、俺も、そして彼女もハッとする。
まず、カルラ・アンジェロヴァが口を引き結び、シクロを消した。辺りの閃光は消え失せ、再び月光が彼女を照らす。そこに少し前までの神々しさはない。定期的に赤黒く光る多面体のリィンカーネイションをじっと観察しているようにも見える。
現れていたケモノはすべて消えた。
これはチャンスだ。
俺はバラバラになっていたリィンカーネイションを消し、再び顕現させては、リボルバーの銃口をカルラ・アンジェロヴァに向ける。呆然としているかのように動かない彼女に、じっくりと照星を合わせようとした。
僕は、迷う。
カルラ・アンジェロヴァを殺したところで、いったい何が解決するのだろうかと。
俺は殺したいと思う。
僕は彼女の話を聞きたいと思う。
だから、照星は合わない。
迷い、悩み、逡巡して僕は俺の殺意に抗う。
彼女が気付いた。
腰のポーチから何かを取り出し、握りしめた。
白――アイン神の魔石だ。
光が、飛んできた。
魔石の魔法の光が。
またしても目を瞑り、狼狽え、葛藤する。
なぜすぐに撃たなかったのかと。
なぜ殺そうとするのかと。
無色透明の空間で鈍色の炎が逃げていく。
関係者用の扉を抜けて、走り去っていく。
どちらにしても、追わなければ。
追って、捕まえなければ。
そのとき背後から声がした。
「あなたに花束を、そして甘美な死を」
氷の蔦が絡みつき、その無数の棘が俺の体を刺していた。
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