4.2.3 ケモノ

 僕は魔石を握り締める。

 その色は青。

 そして、念じる。


「出た」


 僕は思わず声を漏らしていた。


 ――ここはヒ大陸のほぼ西端に位置する帝都にあって、帝都になる前から存在していたと言われるシェスト教の大聖堂である。僕としては、地下にある秘密の訓練場を大聖堂と呼んでいいものか躊躇いもあるところだが、間違ってもいないのでどうにかなるものでもない。


 そしてその地下訓練場で、僕は今、魔石を握り締めた右の拳から、ほんの少しの水を滴らせていた。


「これだけ……なのか?」


 近くで見ていた支部長が、あからさまに残念そうな顔になる。

 なぜか見学しているエリーヌさんは、腕組みをしてじっと見ているだけで、特に何かを言うこともなかった。


「今度はもう少し分かり易いのを試してみますね」


 水滴のような紋様が見える青い魔石を腰袋に戻し、今度は直線が放射状に広がっている白い魔石を握りしめた。だけど、それを白い魔石と呼んでいいかは分からない。適切な言い方を思案するならば、水の中に牛乳を注いだように、透明な部分に白が滲んでいるのである。

 そしてそれを握って念じると、魔石から輝く球が放たれ、壁の手前でしゅんと消えた。同時に僕の視界が少し暗くなる。


「おおお!? なんだこれ、すげーな、本当に魔法だな!」


 こちらは魔法の代償が起こっているというのに、支部長は暢気なものだった。

 けれど、支部長なりに色々と見越した上での感嘆ではあると思う。魔石の魔法をここヒ大陸でも、尚且つ、エコー大陸と関係がないカナル大陸系移民のスヴァンテ・スヴァンベリでも使えるということが証明された意義は大きい。更にはこれがケモノにも有効であれば、ケモノ狩りの効率やヴェヒターの生存率にも関わってくることが期待される。

 あとはケモノを探して実験を――


「それにしても御神紋がある魔石を燃料に使うとは、魔石機関というのは罰当たりなもんだなあ。……いや、もしかしたらこれこそが神の御業である、という考え方もできるのか?」


 何やら支部長が独り言にしては大きな声で、ブツブツと言い始めてしまった。


「スヴァン、魔石ってシクロで破壊できるのか?」

「は? ……え? 無理……じゃないですかね?」


 この人はいきなり何を言い出すのだろうか。

 魔石は何をしても傷付かないものだと、傭兵スヴァンの記憶が言っている。

 スヴァンテの記憶でも、魔石機関用の特殊な溶液で溶かせることくらいしか分かっていないのだ。

 それをシクロだからと言って、壊せるものなのだろうか。


「もしかしたらシクロなら壊せるかも知れないだろう?」

「……それに何の意味があるんですか?」


 僕の常識からは外れていて、実行に移すのにはどうしても躊躇してしまう。


「この間のお前の説明を聞く限りじゃ、その魔石ってやつが悪さをして魔物になるような感じだろ? そしてその色と形だ。中身がどうなってるのか気になるのがヒトってもんじゃないのかい? まあ、要は俺が興味があるってのが一番なんだけどな。そんなわけで、色が残ってるやつで物は試しにやってみてくれ。命令だと思って、な? いいだろ?」

「分かりました。そこまで言うのならやってみます。あ、念のため離れていてくださいね」


 支部長の話を聞いて、シクロで攻撃した結果に僕も興味が湧いてきていたところだ。もったいぶってみたものの、そのように言われれば試してみるのも吝かではない。


 ところで、魔石はどのようにして壊れるのだろうか。

 魔法の触媒として使用した場合は、色を失うだけで大きさに変化はない。

 燃料として使用された場合は徐々に小さくなり、やがて消えるという話である。

 つまり、壊れたという話を聞いたことがない。

 壊れるとしたら割れるのだろうか、粉々に砕け散るのだろうか、それとも飛び散るのだろうか。

 とりあえずの対策として、花緑青の魔石を革のベルトで腹に固定し、自分の周囲に風を起こすことにした。破片が飛び散るようなことがあっても、これならなんとかなるかも知れない。

 そして標的の茶色の魔石を、転がらないように囲いを作って床に置く。茶色の魔石は手持ちの中で最も数が多いから、仮に破壊できたとしても問題はない。


「滅せよ、リィンカーネイション」


 二重ふたえの声を静かに響かせ、左手にリボルバー、右手にスモールソードを顕現させた。今回の実験ではリボルバーを使う予定はないのだが、二つ同時に出てきてしまうのでしょうがない。便利ではあるけれど、こういうときはどうにも不便なものだ。

 さて、準備は整った。心躍る破壊実験を開始しようじゃないか。

 やや身構え、まずは小手調べにと、軽く刃を当ててみる。当然、びくともしないだろうと思っていた。

 しかし、そうではなかった。期待は大きく裏切られたのだ。

 まるで、プリンを切るように刃が通り、魔石は音も立てずに両断された。

 破片が飛び散ることもなく、粉々になることも無い。

 実に呆気ない結果に、僕は思わず支部長、エリーヌさんと交互に目を合わせてしまう。


「避けろ!」


 だから、支部長が発したその声には反応が遅れ、魔石から立ち昇った何かにも気付かなかったのだ。

 気付けば前後左右も分からない暗闇の中にいて、ただ、大きな二つの目がはっきりと見えていた。ひどい耳鳴りがするその中で、僕は頭を押さえながら、どうにかしてここから逃げようとしていたように思う。ここがどこかも分からないのに。

 それでも一歩、二歩と踏み出せば、足の裏の感触はないものの、それでも自分が進んでいるような気がした。歩けども大きさの変わらない大きな黒い瞳は、まるで子供の落書きのように色の数が少なく、けれど僕には既視感がある。

 そうして時間も天地も分からぬここで、いったいどれほど歩いたのだろう。

 前方にはいつの間にかヒトの口だけを映した動画が何枚も何枚も浮かび上がっていて、そこから土砂降りの雨のように、沢山の声が聞こえてきた。

 恐い、悲しい、死ね、憎い、殴りたい、なんであいつが、ムカつく、殺したい、落ちろ、犯したい、盗みたい、壊したい、奪いたい、騙したい、嫌だ

 耳鳴りが、止まらない。

 駆け抜けたかった。一刻も早く聞こえない場所へ行きたかった。

 だけど、体は重く、耳もふさげず、少しずつしか進めない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、逃げろ、逃げろ、逃げろ。


 もたもたしているうちに沢山の口は黒い靄を吐き出し、いっそう僕の視界を暗闇で覆ったかと思うと、じきに溶け合い、ぶつかり合い、渦を巻き、或いはケモノになって他の黒靄を捕食し、それが延々繰り返されると、カツンと音がして拳大の綺麗な石が床に落ちた。

 僕はもう歩くのを諦め、存在しない床に座り込み、それをただ眺めていた。

 やがてその石を拾う者がスポットライトに照らされた。顔はクレヨンで塗りつぶされていて見えない。そればかりか、服装も性別も分からなかった。それでも僕はそれをヒトだと認識した。

 そのヒトは拾った石を、動物に食べさせるが、期待通りにならなかったのか、首を傾げる。

 そのヒトは拾った石を、思い切り投げて動物にぶつけるが、期待通りにならなかったのか、首を傾げる。

 そのヒトは動物の目をくりぬき、拾った石を埋め込むが、期待通りにならなかったのか、首を傾げる。

 そのヒトは拾った石を、動物の死体に埋め込むが、期待通りにならなかったのか、首を傾げる。

 そのヒトは拾った石を、生きたまま動物の皮下に埋め込み、期待通りの結果にほくそ笑んだ。

 その動物の体内には、石から放出される何かが行き渡り、他の個体よりも大きく成長した。それは、その個体の子供にも引き継がれ、自然と体内に石が作られた。

 その子供と、さらにその子供と、どんどん数は増え、暗闇は魔物に覆い尽くされた。遠くでは、魔物に怯えるヒトからケモノが生み出され、そのケモノが魔石に加工されてゆく。


「滅せよ、リィンカーネイション」


 僕はそれを駆逐する。

 リボルバーで、スモールソードで。

 耳鳴りは、依然として僕の頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

 スモールソードは魔物を倒すごとに長さを変え、大きさを変え、動かぬ対象を作業のように淡々と切り裂いていた。

 そして魔物を倒すたび、頭にその記憶が流れ込んだ。次々、次々、終わることのない記憶の濁流が、僕の頭を飲み込んでいく。


 そのとき、暗闇に白い炎が燃え盛り、声がした。


「――ト・ルーエ。エリーヌ、重ねろ!」

「眠れ、ナハト・ルーエ」


 魔物もろとも暗闇が裂け、少し眇めた目の先、心配そうに僕の顔を覗き込むエリーヌさんとクライトン支部長を認めると、僕は泥に沈むように意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る