4.1.3 帝都公安警察
「あー……、あんた達、ちょっといいか? そうだ、そこのお揃いのスーツを着ている二人組の、そう、ちょっと話を聞かせてくれ」
ごみごみとした細い道を折れて今回の現場に近づくと、中年男性が僕たちに声を掛けてきた。
焦げ茶の短髪を自ら撫でながら、いかにも面倒くさいといった足取りで、こちらに近づいてくる。そうしてくたびれたジャケットの内ポケットから何やら黒い手帳を取り出しては、僕らの目の前に見えるように突き出した。
「俺は、ヴィクトル・エリクソン。帝都公安警察の警部補だ。今日の明け方は、どこに?」
これはアリバイの確認をされているのだなとすぐにピンときた。
けれど、僕にやましいことがあるわけでもない。
「僕は大聖堂の施療所で寝ておりました」
「俺は家で寝てましたよ」
僕もギュンターも、口を揃えて即座に答えた。
ところが、エリクソンの顔つきはすっきりとはしていない。やはり疑われているのだろうかと思ったのだが、それを否定したのは他ならぬエリクソンの言葉だった。
「揃いのスリーピースにフェドラハット……、あんたら、シェスト教の怪奇なんとか調査室だろ?」
「さあ、どうでしょうか」
それが表の顔とは言え、特に目立つ活動もしていない組織を知っているのだ。これは面倒事の予感しかしない。のらりくらりと躱しつつ、適当に情報を得るのが良いだろう。
「おっと、こりゃ失礼。様子を見に来てる時点で察するべきだった。で、あんたらはこれをどう見る?」
エリクソンはそう言って遺体の発見現場の方向を指さすが、当然のことながら、遺体は既に運び去られていて、虫眼鏡などを片手に調査している二人の警察官がいるだけである。それ以外には、側溝か下水の小さな水の手前付近の、やや湿った土に残る血痕のようなものくらいしか見えなかった。
「どう、と言われましても、何も残っておらぬようですから、申し上げられることは何も。それとも警部補様からご遺体の状況などを教えて頂けるのでしょうか?」
僕が答えている間、ギュンターは現場の方を凝視したままで、まったくだんまりである。
「俺としては是非にでもそうしたいんだが、そういうわけにはいかないんだよなあ。警察組織ってのは難儀なもんだよ。それで、お前さん方はシェスト教会の関係者ってことでいいのか?」
「はあ、そのようなものです」
「大聖堂から?」
「まあ、そんな感じです」
「なんだかハッキリしないな。……ああ、もしかしてシェスト教じゃなくてリヒト教だったか?」
「いいえ。清貧を佳しとする我々が、あのように無意味に飾り立てる宗教の関係者であるわけがないではないですか」
「そこはハッキリしていやがるんだな。で、どうやってここを嗅ぎつけた?」
「さあ、どうやってでしょうかね。神々の御神託かも知れませんよ」
「俺は生憎と神を信じちゃいないもんでね。御神託も信じちゃいないよ。で、どうなんだ?」
「……」
その辺りを詰められても、実際に神様と思われる少年と会話をした経験がある僕にとっては答えようがない。こういうときは、黙って笑顔を作るだけである。
「……」
だが、それについては向こうも負けていなかった。
エリクソンも無言で引き攣った笑顔を向けてきたのだ。
僕の青い瞳と向こうの焦げ茶の瞳が、交差する。
「先輩、そろそろ行きましょう」
そんな、何の生産性も無い無駄な時間を終わらせてくれたのは、ギュンターだった。「そうだな」と頷いて立ち去るも、エリクソンの何かを言いたそうにしていた顔が、しばらくは頭から離れそうにない。
「ギュンター君、さっきの現場を見てどう思った?」
「そうですね、特にケモノに繋がるような気配は感じられませんでした」
歩きながら話すも、僕と同様にギュンターも目ぼしいものは見つけられなかったようだ。オイレン・アウゲンは訓練がてらに常に展開しているが、範囲内にはケモノの姿がなければ、ヒトからはぐれている黒靄も、少なくとも視界にはなかった。
「……目撃者から情報を聞くか」
「そうしましょう。そこの肉屋の主人が目撃しているはずです」
ギュンターの指の先には、ぽっかりと間口の開いた煉瓦造りの小さな建物が見えた。
その色褪せた佇まいは、第五区画の造営工事が始まる前からそこに在ったことを想像させるには充分で、店主も同じように年季が入ったオヤジを想像するところだが、店先にいた若い男が店主であった。
聞けば年季が入った方は、大きな工場がある第六区画に商機を見出して、もう何年も前に息子の自分にこっちを任せたというのだから、商魂逞しいという他ない。
「ところで、目の前の広場で事件があったようですが、何か目撃していませんか?」
「あなた方、警察?」
「これは失礼。私たちは大聖堂の方から来たこういう者です」
僕はそう言って、内ポケットから写真付きの手帳を颯爽と取り出し、肉屋の若主人に見せつける。いつかの刑事ドラマで見たような光景を演じられたことに、僕は思わず笑みを零した。スヴァンテはよくやっていたようだが、僕はテレビで憧れるばかりで、実際にやったことはなかったのだから当然だ。
「シェスト教会の、怪奇現象調査室の……あー、司祭様でいらっしゃいましたか。これはとんだご無礼を。そう言えば、礼拝の際にお見かけしたことがあるような」
「あなたの信心に、神々も祝福をお与えになることでしょう」
「それで、ええっと、事件の話ですね」
やっと本題に入れると思ったのか、隣のギュンターが漸くペンと手帳を取り出した。
「あれは、何時くらいだったかなあ。まだ日は昇っていない頃だったと思いますが、調理台で今日の分の肉を切り分けていたら、突然、広場の方から男の悲鳴が聞こえたんですよ。たまにいる浮浪者が転倒して怪我でもしたのかと思いながら、一応、店の前に出てみたらですね、どこにでもいるようなジャケット姿の男が広場でのたうち回っておりました」
「その男の年齢は?」
「さあ、なに分にも暗かったのであまり」
「のたうち回っていたのはどうして?」
「それがまったくどうにも不可解なことに、
「それは確かに。ところでその服が破れるとか血が流れていたのはどうして? 犯人が近くに?」
「いや、すぐ近くに人はいませんでしたよ。なのに勝手に身体が削れていくんです。ありゃあ、いったいなんなんでしょう。司祭様ならあれが何かご存知じゃありませんか? 例えば悪魔の仕業とか」
「残念ながら今の段階ではなんとも。他に何か気付いたことはありましたか?」
男は何も言わず、肩を竦めて首を横に振るばかり。
その後も、エリクソンの視線を感じながら近傍の住民に話を聞いてみたのだが、肉屋の若主人以上の情報は得られなかった。
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