第37話
佐々木の機体が燃料漏れで隊を離脱した後、隊長以下四名が鹿児島へ到着すると、やはり沖縄方面への特攻の命令が下されたそうである。
この時すでに隊長は、佐々木が合流することはないという予感があったのだそうだ。また仲間たちも、誰も口にすることはなかったが――うまくやったな――そう思っていたとのことだった。
同じ軍でも、陸軍は依然として戦争にやる気をみせていたが、海軍の現場は、どちらかというと、すでに終戦ムードだったらしい。
海軍は、日露戦争以来、士官レベルでロシア海軍(当時はソビエト海軍となっていたが、頭が替わっただけで、中身は同じ)と情報のやり取りがあったとのことだった。
だから、まもなくソビエトが日本に宣戦布告をすることを察知していたのだという。もしそうなれば、日本は北と南から挟み撃ちにされるわけであり、戦争など続けられるはずもなかった。
けれど、現場はともかく上層部の方は、建前上、何か作戦を遂行しなければならなかった。それが、この特攻だった。すでに大規模な特攻作戦が二つ失敗した後であり、作戦名さえない、失敗すれば隠蔽されてしまうような作戦だった。アメリカ艦隊に撃ち落とされに行くだけのつまらない特攻である。
またこの時点で軍上層部は佐々木の出奔について何も察知していなかったのだという。それを逆手にとって、隊長は佐々木のことを隠蔽したのであった。つまり佐々木も、他隊員と共に沖縄へと出撃するかのように書類上細工したのである。
『先導機も露払いもないヤケクソ特攻。誤魔化すなど造作もなかったわ』
隊長は豪快に笑って言った。
そして、書類上は五機だが、四機の零戦は鹿児島を飛び立ったそうである。けれど、隊長以下すべての隊員は沖縄の空を見ていない。それぞれが、それぞれの方向に飛んで消え、いずれかで不時着して、戦争が終わるのを待っていたとのことだった。
それについて隊員同士での話し合いや打ち合わせは一切なかったという。また偶然それぞれがそれぞれの判断で逃亡したわけでもない。以心伝心とでも言うのか、今の言い方なら空気を読んだのだ。共に戦ってきた戦友だからこそ、隊長の意図を汲み、仲間がどうするのか、自身がどうすべきなのかを、会話せずとも成立させたのだと、やや自慢げに戦友たちは語った。
『我隊は全員が生き残った。何とも痛快じゃないか』
隊長は杯を高々と掲げた。ここへ来てから数え切れぬ程、何度も繰り返した乾杯だった。
ここへ来ることが出来なかった他二人も東京と名古屋で元気に暮らしているとのことだった。佐々木が見つかったことを電話で知らせると、二人とも電話口で咽び泣いていたそうだ。
また隊長も仲間たちも、戦争が終わって家に帰ると、やはり神風になっていたとのことである。その話になると、皆それぞれに自前のエピソードがあるようで、ここにいない二人の分も含めて、家へ帰った時の話を面白おかしく語った。
それが軍の混乱によるものなのか、はたまた体裁でそうしたのかは判らない。と最後に隊長が締め括った。
「ワシの人生で一番楽しい日だった」
老映写技師は、その時のことを思い浮かべるように、幸せそうな顔をした。ずっと長い間探していたものが見つかった時、人はこんな顔をするのかもしれない。
それから佐々木はこの映画館で働くようになったのだそうだ。隊長つまり先日亡くなった前会長が駅前キネマ館のオーナーだったとのことである。
老映写技師は四本目の煙草に火をつけた。
そのあとに老映写技師が口を開くことはなかった。ただ桜咲く宙に向かって煙草の煙を吹きかけていた。
長かった話もここで終わりらしい。
「以上です」
「ありがとう」
ずっと黙って聴いていたモンチは泣いていた。モンチの母親も泣いていた。オレも話せて良かったと思った。
10年前、桜舞い散る心地良い空間に、ただ留まりたかったというだけで、付き合った話をこれまで忘れなかったのは、オレ自身もずっと心に引っ掛かていたことだったからだと思う。
オレは抱き合って泣くモンチ母娘を見て、静かにソファーから立った。
今から親子で語り合うことが沢山あるだろう。
邪魔者は黙って去るのみである。
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