第33話

 「そこでようやく戦争が終わっていることに気づいたんだよ」


 老映写技師はその時のことを思い出して自嘲気味に笑うので、オレも誘われるように笑った。


 「村人からも散々笑われたわ。ただな戦争が終わって、たった数ヵ月しか経っておらんのに、村人は随分昔のことのように話すもんだから、何とも奇妙な感じがしたな」




脚の方は、村に医者はおらず、接骨医に診てもらったが、どうやら骨が粉砕しているらしく、充て木で固定するぐらいしか出来なかった。


それでも数日間、村で世話になると接骨医から貰った古い松葉杖をついて街へ出た。戦争が終わったとなれば、やはり家族に会いたくなったのである。


逃亡中も、山を下りた時のことを考えて、お金だけは大切に保管していた。手持ちで百円程あり、現在の感覚で言うと十万円ぐらい持っていたつもりだった。


が、冬用の衣類を買ったり、久しぶりに見る真面な食い物に目を奪われたりしている内に、手持ちの金は瞬く間に目減りしてしまった。



 「戦争が終わっとったことより、その辺で買った幕ノ内弁当が五円と言われた時の方が驚いたわ」



つまり、佐々木にとっては、弁当が五千円と言われたようなものであり、それだけ戦後のインフレは凄まじかったということなのだろう。彼が故郷の駅に着いた時、手持ちの金は殆ど無くなっていたとのことである。


故郷の街は戦火に焼かれることもなく、また倒壊した建物などもなかった。佐々木がこの駅でたくさんの知人から見送られて、戦争へ赴いた時と何も変わっていなかった。



 その時、ようやく戦争が終わったことを実感できたと老映写技師は言った。


 「やはり故郷はいい」


 老映写技師は故郷の匂いを思い出すように深く深呼吸した。


 故郷がどこなのか、老映写技師は明言しなかった。言わないのだから、言いたくないのだろう。すでに何年もこの辺りに住んでいたからか、訛りからは推測できない。ただ何となく、田畑が広がるような田舎ではないなということだけは判った。




佐々木は、懐かしい故郷の景色を眺めながら我家へと続く道を歩いていた。その時、子供の頃から仲が良かった二つ年上の従兄とバッタリ会ったのである。


従兄は、足がもつれるほど驚いて『生きとったんかい』と大声を張り上げた。そして『よう帰ってきたなぁ その脚はどうしたんじゃ?』と佐々木の手を取り、目に涙を浮かべて喜んでいた。また佐々木も『心配をかけたな。ありがとうな』とその手を握り返した。


もしこれだけだったなら、従兄との感動の再会だった。


が、従兄はハッと我に返ったように大声を出していたその口を押えると、キョロキョロ辺りを見渡し、慌てて佐々木の手を引き建物の影へと引き入れた。何か悪しき相談でもあるかのように……。


『突然、どうしたんだ?』


佐々木は訊ねるが、従兄はそこでも用心深く周囲を警戒していた。


『いや、何でもない……。ところで戦争はどうだった? その脚は治るんか? 零戦は乗り心地がええんか?』


けれど従兄は佐々木の質問に答えることなく、今でなくても良いような質問を矢継ぎ早に繰り返した。


一刻も早く妻や父母に会いたかった佐々木は、さっさと話を終えようとするのだが、従兄は、足止めするかのように、然もすれば子供の頃の懐かしい話まで持ち出すのだった。


さすがに焦れた佐々木が強引に立ち去ろうとすると、従兄はその行く手を阻んだ。


『どういうつもりだ。俺は早く家に帰りたいんだ』


佐々木は堪えきれずに言った。


この時、佐々木には、従兄のこの不可解な行動に、思い当たる節が全くなかったわけではない。


それは帰路、汽車の中でずっと考えていた不安だった。


なぜなら佐々木は脱走兵である。家族に迷惑を掛けていたとしても不思議はなかった。それならば家族に合わす顔がないと思っていた。


けれど従兄は、佐々木が生きていることに驚いていた。その反応を見て、佐々木は胸を撫で下ろしていたのである。


それはつまり死んだと思われていたということであり、おそらく軍からは戦死の知らせが届いているだろうことが判ったからである。


『ああ、判る。気持ちはよう判るが、ちょっと待ってくれ』


従兄は考え込んでいるようだった。その顔は苦渋に満ちていた。それでも意を決するように、己を納得させるように、小さく頷くと、冷たい眼差しを佐々木に向けたのである。言いづらい、でも言わねばならない。そんな覚悟が従兄の目に宿った。

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