第21話
それから一ヶ月程経った6月初旬に佐伯から連絡があった。式場への同行は一応了承していたが、式の予定は11月と聞いていたので、まだまだ先の話だと思っていた。
とは言え、大量の花を使ってくれるお客さんであり、無碍にするわけにもいかず、『喜んでお供します』と返答しておいた。
そして約束当日の朝、市場から仕入れたばかりの切り花の水揚げ作業をしているところに佐伯が現れた。ポロシャツにチノパンという前回より少しラフな格好だった。
「えっと、午後のお約束じゃなかったですかね?」
オレが慌てて伺うと、佐伯はニコニコ笑ってから「ちょっと早起きしたもので、手伝えることがあったらと思いまして」と頭を掻いた。
朝は、パートさんが来るまで、人手は幾らあっても足りないくらいであったが、まさか先日会ったばかりの人に、それもお客さんに、手伝って貰うわけにも行かず戸惑っていると……。
「それじゃ、コレをこっちへ運んで貰えますか?」
母がオレの友達か何かだと勘違いしたのか、切り花の入ったバケツを指差す。あっと思った時には、すでに佐伯はバケツを手に取っており、母に案内されてバックスペースに消えていくのを呆然と見守るしかなかった。
実質上、この店を切盛りしていたのは母だった。
昨年、あの鬼のように怖かった親父は、店で突然ぶっ倒れて呆気なく死んだ。直接の死因は転倒時に頭を強く打ってしまったからだそうだが、ぶっ倒れた原因は脳梗塞だった。
突然の親父の死を前にして途方に暮れるオレと違って、母の切り替えは早かった。
それまでの母は、人手が足りない時に店番をすることはあったが、専業主婦と言って良かった。商売には然程関心も示さず、親父に口出しをするようなこともなかった。
それが、親父が死んだその日も、また親父の葬儀の日さえ、親父に代って市場へ行き、セリなどしたこともなかったはずなのに、どうやったのか、注文分の花を競り落として帰って来たのである。
都心から駅四つ離れた実家と併設した店は、曾祖父の代から変わらず続く街の花屋さんであり、親父の通夜葬式の時ぐらいは、休業しても差し支えなかったが、都心のホテル内にあった支店は、ホテルで催されるイベントや結婚式で使われる花を担っていただけに、店主が死んだからと言って、――用意できませんでした――では済まされなかった。
それなのにオレは親父が急に死んで腑抜けになっていた。我ながら情けない話である。
そして母は、親父を冥土へ送る経の最中でさえ、オレを引きずり出して、他人の葬儀に使う為の花を取引先へと運ばせた。
葬儀の最中でも、喪主である母が、同時進行で仕事をする姿に、親戚の一部の人は眉をひそめたが、母は気にも留めなかった。
親父が方々を回って、必死の思いで紡いできた取引先の信用を失うわけにはいかないと、その時の母は鬼気迫るものがあった。
何をどうすれば死んだ親父の意向に沿えるのか、それを一番知っていたのは母だった。
街のちいさな花屋さんだった店を、会社組織にして大きくしたのは親父だった。ホテル内に支店を置いたのも親父だ。事実上、一代で築いたと言っても良い。
その苦労して作った会社を守ることが、長年の努力で培った信用を、己の葬式如きで台無しにしてしまっては、親父にとっては死よりも辛いことだと、母は判っていたのである。
会社を守ることに徹した親父の死後、バタバタした三か月が過ぎて、「私、疲れたわ。これからはあなたがやりなさい」と母に言われた。
この時、すでに、経理、税務、取引先との引継ぎ、市場などの権利等など、あらゆる問題が解決済みだった。お陰で会社は、親父の生前と何ら変わらず続いている。
そして俺は至れり尽くせりの状態で『(株)グリーンガレージ』の社長になった。
ただ母は、以前のように家でぼんやりしていることはない。ワンマンだった親父がしていたすべての実務はオレに託されたが、事実上の経営トップは母であり、親父が生きていた頃は肩書だけだった専務という立場で、会社の管理や監督業務を行うようになった。
それについて、オレは何の不満もなかった。親父が死んでから、ほとんど経験のなかった母が見せた機転やその判断の正しさを、オレはただ呆然と見守るしかなかったからだ。
それはまさに獅子奮迅の活躍であり、もし親父が生きていて、母の能力を目の当たりにしていたなら唖然としたに違いなかった。母をバカにしていたわけではなかったが、おそらく親父は母に相談すらしたことがなかっただろう。
親父の死後、もし母がいなければ、『(株)グリーンガレージ』は、今頃、無かったかもしれない。
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